第六幕 012話 異端質問_2



 胸騒ぎ。

 嫌な気分。

 トワに近付くのを忌避させる何か。


 人間の姿は、町の中心にはもうほとんどなかった。

 北側の火の手が強い。

 戦況は混沌としていて、略奪者が手にしたものもまた暴力で奪われる始末。


 走れるような多くの者は命だけを持って逃げ去り、逃げ遅れた人間は多くが死んでいる。

 死んでいない者は、今オルガーラを中心とした清廊族に殺されていく。南門近くからラッケルタの鳴き声も聞こえるから、ネネランと共に門の内側にまだ残る人間を殺しているのだろう。


 今ほどこの町で解放した清廊族も、その戦いの中に。



 恨みを晴らす。

 まさに今日まで虜囚の苦界にあった清廊族は、解放されたことで積年の憎悪が爆発した者が多い。

 混乱の中、嘆き悲しむだけの者もいるけれど。


 エトセンの町は、トワ達が来る前に人間同士の争いによる狂気に満ちていた。

 自由を取り戻した清廊族が、自分たちも溢れる狂気に染まるのも無理はない。



 トワは狂気が嫌いではない。

 清廊族にしろ人間にしろ、平素は取り繕った顔をしているけれど。

 皮を剥いた中身が見える。


 トワは嘘が嫌いだ。

 人間の奴隷をさせられていた頃、外面を取り繕う人間であればあるほど、その本性を意地汚く感じさせられた。


 ならば最初から素でいればいいのに。

 もちろん、いつも素のままでいたら面倒なこともわかっている。



 トワも嘘は使う。他人の嘘は嫌いだけれど。

 だって、ちょっと涙すると、ルゥナはすぐに優しくしてくれるのだもの。

 馬鹿だなぁって、とっても可愛い。



 だけどさっき。

 ルゥナは、本当にトワが不安で嫌な気持ちだったのに。


 トワの手を離した。


 行きたくない。

 一緒にいてほしいって、トワの手が言っているのはわかっていたはずなのに。



 アヴィが正気に戻ったから。


 あの女が、狂気に歪んでいたあの女が。

 素に帰った。


 嘘や取り繕う顔ではなくて、本当に素直に心を開いてルゥナの方を向いたから。

 そうしたらルゥナは……トワの気持ちを断ち切った。

 繋いだ手を振り切って、トワの方を見ないで行ってしまった。




 許せない。

 許さない。


 貴女が今振り切ったのは、トワの手じゃない。

 自分を縛る枷から逃げた。


 逃がすものか。

 逃がしてなるものか。


 トワがかける。嵌める。

 その心を縛る枷を。貴女がどれだけ外そうとしても、絶対に。永遠に。

 彼女の心の一番奥底にトワを刻み、繋がなければ。




 しかし、嫌な気配を感じたのも本当だ。

 ルゥナと共にいたいはずのトワを、留めるような何か。

 予感などと曖昧な言葉よりも、もっと重苦しいもの。


 南の空を見上げる。

 見上げて、見つけた。


 城壁を越えて近付いてくるものは、忘れるはずもない。忘れようはずがない。



「飛行船……」

「まぁたあれぇ?」


 ユウラの命を奪った災厄の象徴。

 トワと血を分け、共に生まれ育ったユウラの。


「でも、低い」


 低いせいなのか、サジュで見た時よりも速いように見える。

 実際に小さいから速いのか判別できないが、かなり急速に。


 真っ直ぐに、トワのいる方角に。




「やあ」


 鳥の魔物に掴まり、降りてきた男がトワを見て嗤う。

 その体から溢れ蠢くのは、濁塑滔の粘液。


 白髪の老躯。だが顔の肌は妙に瑞々しく、老齢だと聞いているがもう少し若く感じる。



「一目でわかったよ」


 馴れ馴れしい。

 トワを見つけたと。


「この町にあった反応は君か。僕の子……にしては」

「……」


 清廊族の裏切り者。

 忌むべき敵で、凶悪な力を持つ男。


 しかし。

 嘘はない。

 何も偽る色は感じない。ただ己の欲望に素直な。



「となると……孫、かな?」

「……」



 ああ、そうか。

 理解した。納得した。実感した。


 嫌な予感。行きたくないと思った気持ち。

 ルゥナと共にいれば聞かれたかもしれない。

 こんな、最悪な関係を。



 やはりトワは正しかった。トワが正しくないことなどない。

 異質な清廊族。トワが清廊族に何の親愛も抱かないのは、きっとこの血のせいなのだろう。


 トワが悪いんじゃない。

 トワは絶対に悪くない。



「一つ聞きたいことがある。答えなよ」


 なぜトワが答えなければならないのだろうか。

 こんな男の質問にトワが答える必要もないはず。



「……私からも聞きたいことがあります」


 交換条件ならば。

 トワにも何か利があるのなら。

 お前は、ユウラを失わせたお前は、その代わりになるものを差し出せるのか。


 トワの心を埋めるに足りる何かを。



「なぜお前は呪術を使えるのですか?」

「うん?」


 なぜ、清廊族のお前が、使えないとされる呪術を使えるのか。

 女神の道具を使ったから。そういう理由だけとは思えない。


「さて……」

「アルジ」

「わかってるよ、パッシオ」


 蠢き、体から溢れ出そうとする濁塑滔。

 ダァバは片手でそれを押さえつけようとしているように見える。

 無理やり。


「ちっ……なんでまた、こう、馴染まないかな」

「ハヤ、ク」

「ああ、でもこれを拾っていった方が良さそうだ」



 町を去ろうとしている。

 その前に、この男も何か予兆めいたものを感じたのだろうか。

 ここにいるトワの存在に。


「君の親……どっちかわからないけど、どこにいるんだい?」

「わたし、の……親?」


 親?


 トワが生まれ育った牧場では、そうした絆めいた関係を薄れさせる為に、引き離されて育てられた。

 家畜に親子の絆など必要ないだろうと。

 ただ産ませ、ただ利用する。それだけ。


 しかし、どこにいると聞かれれば。

 トワの灰色の瞳が東の空を映す。生きているのならその方角にいるだろうと。



「……君は賢いらしい。さすがだね」


 その視線だけで答えになったのか。

 ダァバは満足げにトワを称え、継ぎ足した言葉は自賛のようにも聞こえた。



「低能なこれを馴染ませるのに役に立ちそうだ」


 ならばお前は、どうなのだ。

 トワが必要なものをトワの鎖に繋ぐのに、お前が役に立つのなら。

 使ってやってもいいのだけれど。



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