第六幕 003話 予兆と記憶



 北の空に目を向ける。

 黒煙の上がる北ではなく、東よりの北東。


「全部は救えない……もうひとつ救ってあげたかった?」


 町の北東。あちらを見て言っていたような気がするけれど、確信はない。

 目鼻も手足もないのだから、実際にどこを見ていたのか。




 ルゥナの物思いを破り、反対側、南側から警戒の声が掛け抜けた。


「敵襲!」


 息をつく時間もない。

 南に向かった戦士から差し迫った報告が。



 まだ町の中に人間の戦力があったのか。

 広い町なのだから有り得る。そう思ったのだが。


「町の南に人間の別動隊! 門を破ろうとしています!」

「別動隊?」


 門を破ろうとしているとなると、この町の軍ではない。

 エトセンの守備隊と戦っていた菫獅子騎士団の残党か。



「菫の軍ですか?」

「あれとは別の。日が昇る川のような旗印ということです!」

「日が昇る川……なんでも構いません。すぐに向かいます」


 人間の軍なら敵であることに違いはない。

 ルゥナ達がこの場に来て半日も経っていないのだから、清廊族ではなくこの町に対する攻撃部隊だろうが。



「ルゥナ」

「アヴィ、大丈夫ですか?」

「平気。母さんが全部治してくれた」


 ぼろぼろの体だったのが万全な様子に。

 エシュメノやメメトハも同じく、ネネランの腕まで治してくれたようだ。

 本当に感謝の言葉もない。



「ルゥナ様」


 進もうとするルゥナの手を後ろからトワが取る。

 あえて声を掛けなかったのに。


「なんです、トワ?」

「少し……嫌な感じがします」


 表情が冴えない。

 怪我などの理由ではなさそうだったので、今は気にしないことにした。

 トワを必要以上に気にかけることに罪悪感を覚えるから。


「予感ですか?」

「わかりません。けど」


 曖昧な物言い。

 灰色の瞳は自信なさげで、この様子では嘘を言っているわけではないだろう。



 しかし。

 繋いだ手から伝わる温もりが、怖い。

 トワの熱に浸食されてしまいそう。アヴィの心配が片付いたらトワにだなんて、はしたない。


「何か嫌な感じが……」

「……そうですか」



 どうするの、と。

 目で訊ねるアヴィと、その隣に立ちアヴィを労わるようにそっと背中に手を回すセサーカ。


「アヴィ様、私と――」

「予感はわかりましたが、人間どもの軍は現実です」


 断ち切った。

 セサーカの言葉と、トワの手を。


「迎え撃つしかありません。敵に強者がいるのなら、他の戦士たちだけでは対処しきれないでしょう」

「……はい」


 ルゥナが今取るべきはトワの手ではない。

 武器を手に、敵を討つ。

 トワのことはそれからゆっくりと考えればいい。



「……気分がすぐれないのなら、貴女はオルガーラと共に他の残敵に対処して下さい」


 甘いだろうか。

 セサーカの視線が鋭く、揺れるルゥナの心を責めるよう。

 トワも数々の修羅場を潜ってきた。オルガーラと共にいればまず心配はない。



「……わかりました。オルガーラ」

「ボクはこっちぃ?」

「そうです」


 浮かぬ顔のトワを無理に連れて行くこともない。

 万全のアヴィにエシュメノ、メメトハ達がいて、守る側の戦い。対処できないこともないだろう。


 まだ何か言いたげなトワを置いて南に走った。

 トワと言葉を交わしていると、気持ちがまた揺らぎそうで。



 セサーカの視線を気にしすぎたと後悔することになる。

 疚しい気持ちがあるから目が曇るのだと、後で思い知らされた。



  ※   ※   ※ 



 南門に攻め寄せていたのは、二千ほどの軍だった。


 ルゥナ達が攻め入ったのは南西の門だが、この町は非常に広く城壁はかなり長大だ。

 南門と南西の門との距離がかなりある。


 菫獅子騎士団は西門から攻めていた。東門側からも火の手が上がっていたので、東西から。

 南門は無傷。

 数百の清廊族の戦士たちでも、守勢なら守り切れる。



「光河騎士団の名に恥じぬ戦いを!」


 やはり違う。菫獅子騎士団ではない。

 ルゥナ達には何が違うのかよくわからないが、一兵ずつの力量は菫獅子より劣るように見えた。



「城門を守っているのは影陋族です!」

「奴隷を使役してなど、エトセンの反逆者ども。舐めた真似を!」


 敵の視点からはそう見えるのか。

 エトセンの守備隊の多くが菫獅子騎士団との戦いで失われ、残った者は清廊族により命を断たれた。

 そんなことはあり得ないと、考えもしない。



「菫獅子騎士団も奴隷風情に敗れるとは情けない!」

「数の不足を影陋族で補ったのでありましょう」

「……」


 戦場だからか、声が大きい。

 言っている内容は的外れだが、連中の事情を察する。


 菫獅子騎士団は既に壊滅したようだ。

 ヘズ近くの橋で戦った際、かなり精強な軍と感じた。あれがまだ多くいるのなら危険かと思っていたが。

 敗残兵がこの光河騎士団とやらに伝えたのだと思う。


 ああ、なるほど。

 日の昇る川の旗印か。光河騎士団。



「次鋒が来る前に、我らでこの門を落とすぞ!」

「おおぉ!」


「次があるようですね」


 遠くを見れば、大地にまた土煙が。

 この二千の軍の、およそ倍ほどか。

 その上空に黒い影。遠く小さく見えるけれど、実際には大きめの魔物かもしれない。遠くよく見えない。



「アヴィ、エシュメノ、ミアデ。下に降りて一気に殲滅します」

「わかったわ」

「その前に、メメトハ、セサーカ。なるべく強力な魔法を。ニーレは要所の援護をお願いします」

「うむ、おぬしも持っておけ」


 メメトハから渡される小さな棒。

 魔術杖。メメトハのものと対になるような何か。


 敵の使っていたものだが、アヴィの鉄棍でも砕けなかった魔術杖だ。

 拾った名剣ブラスヘレヴは、鉄棍を失ったアヴィが手にしている。


 鞘のない剣。

 アヴィに持たせておくのは何だか暗示的なものを感じて嫌なのだけれど、そうも言っていられない。



「ルゥナ様、私はどうしましょう?」

「ネネランはラッケルタと共に周囲の警戒を。まだ町の内側にも敵がいるかもしれません」


 腕の傷が治ったネネランは、ビムベルクが使っていた巨大な白い武器を手にしている。

 英雄の武器だ。簡単に折れることもないはず。


 先ほど母さんはラッケルタも癒してくれていた。

 前足の傷は、傷痕は残っているもののもう痛みはないようで、強く地面を踏みしめる。



 そう、そのラッケルタ。

 母さんが粘液を伸ばして治癒してくれていた時、何を怯えたのか建物の影で縮こまっていたらしい。巨体なのに。

 魔物同士、何か感じるところがあったのかもしれない。



「この辺りの区画には多くの清廊族が捕らわれていると。いればその解放もお願いします」

「わかりました、ルゥナ様」


 防衛戦は、そういえば初めてだ。

 いつも攻める側だった。


 人間が、この地の神の岩を切り崩して作った城壁の町。それを守って戦うというのも皮肉な形。

 近隣にまだ清廊族の虜囚がいると言うのだから、ここで敵を通すわけにはいかない。



「「真白き清廊より、来たれ絶禍の凍嵐!」」


 メメトハとセサーカが合わせて紡ぐ魔法。

 怯んだ敵に向かい城壁から身を躍らせた。


「馬鹿が、近付けば――」

「はっ!」


 敵の数は多くこちらは数名。

 着地を狙おうとした敵を、吹雪を貫いたニーレの矢が鋭く撃ち抜く。


「はぁっ!」

「アヴィ様の背中はあたしが!」

「エシュメノも頑張る!」


 城壁からメメトハ達の魔法と、他の戦士たちも人間が残していた大矢や瓦礫を投げての援護。

 数の差は埋められる。この程度の敵なら増援が到着する前に。



「お前が指揮官か!」

「知る必要はありません」


 斬りかかってきた剣は鋭い。

 同時に突いてくる槍の穂先も。



 敵の連撃に、一年前なら対処しきれなかった。

 今は違う。


「っ!」


 くるりと、その隙間に身を潜り込ませて廻し蹴りと肘打ちで弾き飛ばした。


「むぉっ!?」

「こやつ、強い!」



 回りながら、踊るように。

 少し嫌なことを思い出した。


 人間に囚われていた頃、シフィークの連れのイリアはこんな動きをしていたかもしれない。

 狭い隙間を縫うように素早く踏み足を躍らせ、蝶が舞うように敵を斬り裂く。そんな風に。


 イリアには、色々いじめられた。

 ふと思い出しながら、小振りな魔術杖を振り抜いた。



終宵ついよい脊梁せきりょうより、分かて無窮の稜線」



 ニアミカルムの稜線を走る朝の光のように、ルゥナの未来を切り開いてくれる。

 そんな時にイリアのことを思い出すなんて、どうかしているか。



  ※   ※   ※ 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る