第六幕 散る華、咲く華(全100話)
第六幕 001話 匪徒の探求者_1
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匪(ヒ) わるもの
徒(ト) 罪人
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「っ……はぁ……はあ……」
荒い呼吸と、全身に浮かぶ汗。
久しく記憶にない。
いや、そうでもない。半年ほど前にもあった。
理解できないものに対する焦燥と恐怖心。
つい半年前の記憶。その前に似たような経験をしたのは、もう百六十年以上も昔になる。
長い時を生きてきたのに、たった一年の間に二度も。
平穏に済むと思っていたわけではないが、予想を大きく上回る脅威と言える。
ダァバの想定外の出来事がまだ起きるか。この旧大陸は。
※ ※ ※
ダァバは短慮な愚者ではない。
考えず行動に移してしまったのは、かつて兄と呼んだ男に己の内面を看破された時だけ。
兄は愚かだった。
ダァバの心に清廊族への親愛など全くないと知っていたのなら、ダァバと自分だけで向き合うべきではなかった。
兄として、弟の心根を変えようと思ったのか。
あるいは自分だけでダァバを制圧できるとでも。
確かに優秀な男ではあったが、ダァバには及ばない。
いつものように、表面を取り繕って受け流せばよかった。
出来なかったのは、ダァバが手に入れたいと思っていた里の女を、兄が娶ることになったから。
そこに加え次点をつけていた女に冷淡な対応を受けた。さらにその女に訓練の体で一撃を食らってしまう。
全体はダァバ優勢だったが、一撃を入れられた。
苛立ちが溜まっていたところに兄の詰問、説教。
そんな言葉の中に、いつか生まれる前に聞いたような言葉を吐かれたから。
――お前自身の為を思って言っているんだ。
自制が利かず、兄を殺した。
祝言を前にした花嫁が現れたので、兄の命のついでにそれの貞操も奪った。
そして出奔した。
追手もかかる。さすがに腕利きが多い。
逃げ延び、湖に出た。
湖には名のある化け物がいるとか。
この世界の神となるべく生まれたダァバに対して、この世界の
神の声を聞くと言われる化け物。
この化け物を従えれば連中も考えを改めるだろう。
そう思い、声をかけてやった。
だが所詮は化け物。会話が通じるものではない。
手荒い返答と、また追手。
忌々しい気持ちを爆発させそうになったが、ダァバは愚者ではない。
重傷の自分では不利。船を盗み、海に出た。
風の魔法は苦手ではない。
海風の冷たさにもダァバの身は強く耐え、夜目も利く。
船を走らせた。
途中でふと考えてしまったのだ。
あの湖の魔物は、執念深くダァバを追ってくるかもしれない。
深い海の底から、小舟に乗るダァバを一飲みにしようと。今にも齧りつこうとするのではないかと。
だだっ広い海原。
自分の目でも見通せぬ海の底。
恐怖を覚えた。
この世界に生まれて初めて強い恐怖を。
夢中で船を走らせた。
真っ直ぐ、だったのかどうなのか。とにかく可能な限り。
ダァバは愚者ではない。
見知らぬ世界の、さらに見知らぬ土地。
素性を隠し、情報を集める。
ロッザロンドと呼ばれる土地。
彼らにとっては、ダァバが生まれ育った場所の人間――清廊族は、神話伝承の類に扱われていた。
ダァバは、この世界では神話の住民。
神として君臨するにふさわしい。
どうすればいい。
元の場所など忘れこの地に君臨するか。
いや、ダァバを追いやった連中を許しては置けない。
苦しみ、後悔し、嘆き赦しを請う姿を見なければ。
新大陸ロッザロンドにも相応の強者がいる。数も少なくない。
社会の仕組みがそれなりに完成していて、富める者はその富と力を失わぬような形になっている。
ダァバの寿命は長い。今は焦るべきではない。
入念に準備を。
人間に旧大陸を見つけさせ、航路を確立する。
ダァバ自身も、もっと新たな力を得なければならない。
絶対に負けない力が必要だ。
怠惰に、安穏と、何でも食べられて静かに生きるなどというつまらない願いをする者とは、ダァバは違う。
呪術。
魔法とは違った技術体系の異能。
それを知り、研究した。
根本は魔法と同じだ。
世界に染みついた言い伝えなどから、それに倣った現象を発現させる。
魔法と違うのは、物理的な作用ではなく精神的な作用が大きいところ。
精神魔法、と呼ぶべきではないか。
清廊族に比べ肉体に執着する人間だからこそ、外圧で精神の形を押し曲げようと出来るのか。ダァバなら使えると考えた。
心の内側に作用する。
その為には、そうなるのも当然と思わせるだけの材料が必要。
赤子を焼いた灰だとか、罪人の骨だとか。最も愛しいものの心臓などという場合も。
納得させるだけの材料を揃えてようやく通じる。
異例なこともある。
たとえば女神の視線であれば。女神の声であれば。
材料を抜きにしても呪いが発現する。原初の女神が言うのだからと、材料を端折って呪いをかけられる。
先に手に入れた瞳の方は駄目だった。
ダァバに合わない。
次に探したのは声に近い部位。
軸椎。
旧大陸で人間と清廊族が争う中、ダァバは焦らなかった。
絶対に勝つ準備をしてから臨む。自分が勝つ為の準備。
魔法より不便と軽視されていた火薬。知っている知識と、ここで手に入る材料は違う。
様々なものを使い、試して。何度もやり直して。
金も必要。手も必要。
腰を据えて研究が出来る場所も必要で、海に近い国を出資者として知識を分け与える代わりに協力を得た。
研究は満足に進み、探していた軸椎も手に入る。
協力は得るが、ダァバは他人など信用しない。
女神の軸椎を使って何人か呪術で隷従させたが、一定数以上出来なかった。片手の指の股ほど。最大で四人。
しかし隷従の呪術は命令には従わせられるが意志は消せない。奴隷同士でも無用な諍いを起こしたこともあり、よほどの場合でなければ面倒だと控えた。
愛隷の呪いも、もちろん試した。見目のいい女に。
こちらは意志も消し去る。使い勝手がいいと思ったのは数年だけ。
人間は老ける。
年を重ねても呪いは解けない。ダァバに愛を囁き求めてくる。
鬱陶しい。
解呪の方法など知らない。ないのではないか。
呪枷と違って女神の声でかけた呪いだ。世界が終わるまで消えぬ呪い。
殺した。
不要になった道具を捨てるように。
だというのにその女は、命が尽きるその瞬間まで囁き続けたのだ。ダァバを愛しているだのと空言を。
気持ち悪い。
殺されてなお愛だのと、まるで
あまりに気持ちが悪くて、それきり使うのをやめた。
元よりダァバの力は英雄を越えている。そして、この世界の常識を破るだけの知恵もある。他人など必要ない。
爆薬の生産も出来るようになり、準備は整った。
次の問題は、追われた故郷にどのように戻るかだ。
ただ船で帰るのでは、あまりに劇的でない。
神らしくない。
空を飛んで帰ろう。
決して海を行くのが恐ろしいとかそんな理由ではなく、上空から愚かな者どもを見下ろす為に。
空を飛ぶ方法。
魔法の風で瞬間的にそんなことも出来なくはないが、大陸間を渡るほど連続では無理だ。
飛竜を乗りこなす連中もいる。それとて海を渡ることは出来ない。
そもそも、化け物に乗るなどごめんだ。
他の方法を探す。
圧倒的優位な状況で臨むのがダァバの信条だ。
「僕の為のげえむなんだ」
※ ※ ※
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