第五幕 57話 溢れた澱み
母さんからもらった力。
ずっとうまく使えなかった。
最初は、大きすぎる力に全然慣れてなくて。
うまくできなくて。
忌々しい人間に、不愉快な呪いで蓋をされた。
大事な大事な母さんの力なのに、使えなくなってしまった。
悔しかった。
私がちゃんとできていたら、ソーシャは死ななかった。
エシュメノにあんな悲しい想いをさせないで済んだのに。
もっと強くなりたい。
もっと強くならなければいけない。
クジャで、ルゥナの初めてを捧げられた時に、正直に言えば少し困った。
私にはよくわからなくて、私もあの汚らしい男と同じことをしているような気がして。
その翌日、木を伐るように言われた。
なんだか力がうまく使えなかった。
加減が利かない。急になんだか力が増えたみたいな。
後でわかった。
力のある処女の血で呪いが解ける。
ルゥナとの夜は無駄じゃなかった。やっぱりルゥナはえらい。
エシュメノとメメトハも、悦んでくれた。
私の力が戻るって、自分から進んで彼女らの初めてをくれた。
そうして力が戻った。
けど、やっぱりうまくいかない。
もっと力があるはずなのに、上手に出来ない。
もどかしい。歯痒い。
私はもっと戦える。もっとたくさん人間を殺して、全部殺して。
そうしたら母さんと安心して眠れる。
早く辿り着きたい。
もっと早く、もっと上手に戦わないと。
そんな私の焦りのせいだ。
嵐の夜にウヤルカが死んで、みんな死んで……無事だったのだけれど。
あの時は皆死んじゃうと思った。
うまくできない私を、敵の女が嗤った。
――力を持っていても、あんたの体はそれに見合ってない。
母さんの力が私に合っていないと。
そんなわけがない。
――異常な力があるだけの子供みたいなもんさ。
異常なんかじゃない。愛の力だもの。
私はいつまでも子供じゃない。ちゃんとできるもの。
出来ると思った。
この薬があれば、全部の力が使えるって。
でも、どうなってしまうのかわからなくて、怖かった。
覚悟が足りなかった。
私の覚悟が足りないせいでウヤルカが死んだ。
他の、私に優しかった仲間も死んじゃう。みんな死んじゃう。
温かいものが、また全部なくなっちゃう。
考えなくてもいい。
後のことなんて考えなくたっていい。
そう、人間を殺して殺して、全部殺して。母さんの所にいくのだもの。
薬を口にしたら、ふわぁってなった。
体が軽くて、ぐにゃぐにゃの自由な感じに。
何でもできる。なんだってできるってわかった。
力が溢れてる。もっと殺さなきゃ、もっともっと殺さなきゃ。
私を馬鹿にした人間の女は、最後になんて言ってたんだったか。
とても不愉快なことを。
――あたしにゃあ子供がいるんだ。
だからなんだ。
噛みつく勢いで迫った私に、必死な形相で下らないことを。
――あんたなんかに負けない。あの子らの母親なんだよ!
ぷつりと、切れた。
母親がいる?
娘がいる?
私にはいないのに。
私にはもういないのに。人間に奪われたのに。
叫んで、叫んで、悪い人間を殺した。
母親が死んだなら、娘も殺さないと。
殺してあげなきゃ可哀想。
頭が真っ白になって、真っ暗になって。気が付いたらセサーカに手を引かれていた。
人間の気配がするのに、それとは逆に向かおうとする。
私が違うと言ったら、セサーカは素直に頷いた。
この子は私とずっと一緒。私のことをよくわかっている。
一緒に戦場に向かい、人間どもを殺した。
ずっとふわふわしていた頭が、人間の血を浴びて冷えた。
冷めた。
斬られても叩かれても痛くない。
母さんと一緒。
私、母さんと一緒だって。
なのにどうしてか、ルゥナは喜ばない。
すごく悲しそうな目で、今にも私を叱りそうな顔で。
セサーカは違った。
ちゃんとわかってくれて、ちゃんと褒めてくれた。
ルゥナにはわからないのかもしれない。あの子は清廊族の村で育ったから。
人間が一番たくさん住んでいる町。
たくさんの人間がいれば、人間同士が争うことなんて珍しくない。
私は知っているもの。
そう、私は生まれる前からそれを知っているもの。
人間はそういう生き物だって。
私の中の私が知っている。
みんな死ねばいい。
みんな殺せばいい。
いっぱい邪魔が入る。
邪魔なやつと戦って、全然私は痛くなくて。
でも母さんと一緒。熱いのは苦手。母さんと一緒。
ものすごく邪魔な奴を殺した。
一番邪魔な人間を殺した。私はやっぱりちゃんとできた。
お祝いみたいに、小さな太陽みたいなのが空に上がっていく。
ぼうっと見ていた。
花火かしら。
飛んでいった花火が、町にお祝いの火を撒き散らす。
やっぱりそうだ。花火だった。
とっても久しぶり。
焼け出される人間ども。
たくさん死んだ。
でもまだ残っている。殺さないと。
私、ちゃんとできたよ。母さん。
もうすぐ母さんのところに行けるから。
待ってて。そこで待っていてね、母さん。
「……よぉ」
ふらりと、路地裏から声を掛けられた。
向こうから殺される為に出てくるなんて、珍しい人間――
「影陋族の娘……そうだお前」
全身に、痺れが走った。
体が強張り、手も唇も震えて。
「アヴィじゃねえか」
気が付いたら、みんな倒れていた。
どうして?
どうして、こんな?
どうして世界は、いつも、いつも。
私に優しくないの。
こんな世界、滅びてしまえばいいのに。
※ ※ ※
「しばらく見ねえうちに、えらくまたいい体になったじゃねえか」
「う、あ……」
誰も立てない。
あちこちで人間のうめき声や悲鳴が聞こえる。
仲間たちの苦悶の吐息も。
略奪、暴行。
そんな空気に触発されたのかもしれない。
あるいはただ、この下衆がそういう性質なだけなのか。
「久しぶりに女の匂いを嗅がされちゃあ、ちぃと我慢してらんねえ」
「うぁ……」
体をまさぐる指は、蛆虫が這うより不快なのに。
痺れるような力で抵抗が出来ない。
悔しい。
やっと母さんの力をちゃんと使えるようになったのに。
なんで。
どうして。
「こんな荒れた戦場。せっかくだ、お前のお仲間にも見せてやろうぜ。なあ」
「や……あ、あぁ……」
倒された。
瓦礫の上に、倒された。
「っても、俺が危なさそうだったらすぐ助けろよ。今のお前ならできんだろ?」
「……」
「返事はどうしたぁ!?」
「は……はい……」
歯が鳴る。
屈辱と、絶望で。
どこまでも品性のない男の、吐き気を催すような獣欲。
それに逆らうこともできない。
こんな男の為に母さんは力をくれたんじゃない。なのに。
「そんなに怯えんなって、なぁ」
臭い息。
ざらついた肌。
何もかもが不快。
そんな男の手が、私の体を無遠慮に荒々しく触れる。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
ルゥナの顔が見えた。
泣きそうな顔。
それとも、怒りではちきれてしまいそうな。
ああ、あぁ。
ごめんなさい。ごめんなさい。
私が、ルゥナの言うことをちゃんと聞かなかったから。
ルゥナに背を向けて、自分勝手なことをしたから。
だから罰が当たったんだ。
ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさい。
謝るから、許して。許して、助けて。
誰か……お願い。誰か助け――
「……」
助けようとしてくれた仲間を、みんな叩き潰してしまった。
私の手で。
私の力で、全部。
どこにもいない。
もう、助けてくれる誰かは、どこにもいない。
「反応わりいなあ、おい」
「う……うぅっ……」
男が、
とてつもなく悪いことを思いついたという顔で、私に囁いた。
「久しぶりだ。お前ももっと悦べよ。アヴィ」
「あ、あぁぁっ……うあぁ、あ、あ……」
声にならない。
無理やりに吐き出される悦びの嗚咽。
頭がおかしくなりそうな。
違う、とっくにおかしくなっていて、でももう私という何かの根っこが崩れるみたいな。
悦び、咽び、泣いた。
涙が溢れた。
涙がこぼれた。
押し倒され、目尻から耳を伝い、伝い落ちて。
その耳から下がった左右の耳飾り。
ソーシャが縁取りしてくれた、母さんの残した黒い石に。
『――――――――――っ‼』
黒い奔流が飲み込んだ。
激しい怒りと共に、アヴィの世界を飲み込んだ。
※ ※ ※
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