第五幕 55話 巡る絶望、傷痕



 町にいた人間。少なくとも中央区画の人間は一掃し、逃げて行った。

 手の空いた戦士たちを南の区画に。オルガーラも共に。


 追撃の意味もあるが、主には囚われの清廊族の救出のため。

 北は火の手が強すぎる。南から吹く風が煽るせいで、町の北半分は火の海となっていた。



 手のつけようがない。

 全力で氷雪の魔法を使い続ければ消し止められるかもしれないが、そこまでの余力はない。


 力尽きた所に人間の部隊が帰ってくるかもしれない。

 焼かれて死ぬのは人間。火を放ったのも人間。


 空の様子から、明日には雨が降るだろう。

 そうすれば火の手は治まる。

 今、ルゥナ達が危険を顧みず手を尽くすことではない。



 残敵の掃討と警戒。

 エシュメノと、どうしてかそこにいたネネランと合流して戻りながら。


 ネネランに聞いてみた。

 どうやってここに?


「町までラッケルタと。町に入ってからはエシュメノ様の匂いを頼りに」

「……」


「ルゥナ様もわかります? エシュメノ様の香りって若木みたいな」

「……」



 エシュメノは少し嫌そうな顔をして、くんくんと自分の体を嗅いでいる。


「そう……ですか」

「はい」


 嬉しそうなネネランに、思わずルゥナも腕を上げて自分の体臭を確認してしまった。

 血の匂いやらでよくわからない。ただでさえ自分の匂いはわかりにくい。



「……他の匂い、とかは?」

「わかりませんよ?」


 何を当たり前のことを、と言うように。

 ルゥナがおかしいのだろうか。


「近くにいればともかく、離れている誰かの匂いなんて」

「……そうですね」


 気にしないことにしよう。

 色々おかしいのはネネランだから。ネネランなのだから仕方がない。



「ルゥナ様はあれですね、薄紫のリラのような爽やかな、落ち着く香り……」

「や、やめて下さい」


 数歩離れた。

 かなり強行軍で来て、身を清めている時間もなかった。

 清廊族の女は確かに花の香りを漂わせるが、さすがに今の自分を嗅がれるのは嫌だ。



 ネネランのこういう性格は……まあ、ほんの少しだけ有難い。

 沈みがちな気持ちに明りを差してくれる。


 勝利だ。

 数日前までの状況を考えれば、大勝利と言ってもいい。

 焼け焦げる臭いに包まれる大都市。これを陥落させ、人間の主力を打ち破った。


 人間同士の争いによる部分が大きいが、それでも勝利には違いない。

 消えかけた光明が、再び清廊族に差し込む。



 今度こそ本当に、この大地から人間どもを全て消すことが出来るかもしれない。

 嵐の港町で潰えたかと思った未来。


 そうだ。俯く時ではない。

 ルゥナは皆を導く立場。自分が暗い顔をしていては皆の士気に影響する。


 心配事はアヴィのこと。

 既に報せがきて、強敵は倒し皆無事だったと聞いている。

 助けに現れたラッケルタのおかげだというのだから、これもネネランの勝手を責められない理由だ。



 腕を斬られたということだが、治療もそこそこにアヴィが進んでしまったと聞いている。

 南西から入って、あらかた敵を駆逐して。

 そのまま東方面に。中央までの敵は、ルゥナ達が既に対処してあった。


 今のアヴィの力でメメトハ達も一緒なら、これ以上の強敵と出会うことはないと考えられる。

 そうは言っても放ってはおけない。

 まだそれほど遠くはないだろう。




「これ、は……?」

「うん?」


 転がる死体の中、いくらか焦げたそれに刺さる片刃の剣。

 腹を貫いたまま残っている。


「……」

「ああ……うん、間違ってない」


 見覚えがあった。

 剣など似たようなものはいくらでもあるが、それにしても似ている。


「ルゥナの剣だ」

「……私の、ではありませんが」


 あえてエシュメノが言ったのは、別の言い方をしたくなかったからだろう。

 ソーシャの体を貫いた剣だとは。



「確か、ブラスヘレヴ」

「……」


 あの時と同じように、何かに突き刺さったまま。

 鞘はない。

 断崖アウロワルリスを登った時に、トワに手を伸ばして投げ出してしまった剣。



「……かなりの名剣でしたから、拾っておきましょう」


 と、言うものの。

 ソーシャからその剣を引き抜いた時の記憶がちらつき、手が止まった。


「改めてみると、やっぱりすごい剣ですね」

「あ」


 ネネランは躊躇わない。

 彼女はソーシャのことを見ていない。ルゥナがその剣を使っていた時のことしか。

 特に感慨もなく、でも貴重な道具だと片手でそれを抜き取った。



「……」


 拍子抜けする。

 まあそうだ。優れた剣であってもただの道具。貫いていたのは人間の死体。 

 抜いたから何が起きるわけでもない。



 奇妙な巡り合わせ。

 崖から落ちた剣を誰かが拾って、売り買いか何かの流れでこの町に辿り着いたのか。

 それがまたルゥナの手に戻るとは。


 ネネランから差し出された剣に、首を振った。

 今は魔術杖を持っている。それを理由に。


 逆にネネランはほとんど丸腰。愛用していた魔槍も失っているのだから、剣くらいは持っていても。

 言い訳か。少し不気味な気がして触れたくなかった。



 宿縁というものだろうか。

 ソーシャの仇との決着といい、この剣といい。

 まだ何か……




 頭を振り、気持ちを切り替える。


「アヴィ達も、おそらくこの辺りに――」

「――っ! ルゥナ‼」


 エシュメノが叫んだ。

 吹き飛ばされて。ネネランも一緒に。



「……え?」


 どちらも重傷だった。とはいえ、エシュメノとネネランをまとめて吹き飛ばすなど。

 壁に叩きつけられ、倒れた。


「あ……な、ん……」

「エシュメ――」



 自分が後だったから防げたに過ぎない。

 ルゥナを狙った一撃を魔術杖で防ぎ、砕け散った。


「っ!」


 反撃は……できない。

 出来るはずがない。


 エシュメノ達が反応出来なかったのも当然。


 だって。

 だって、それは。



「どうし、て……」

「あああぁぁぁっ!」


 容赦のない一撃がルゥナを貫いた。

 燻る瓦礫の町を転がり、濛々と土埃を巻き上げ。



 激しく視界が上下に回る中、瞳の端を過ぎた。

 メメトハやセサーカ達が瓦礫の中で倒れている姿が。



「あ、あ……」


 手を伸ばそうとして、体が震える。

 アヴィの一撃をまともに受けたのだ。立てるわけがない。



 容赦のない、アヴィの一撃を。



「こいつも、もらっとくかぁ」


 ネネランが落とした剣を拾い上げる手。

 ぼろぼろの乾いた包帯を巻いた腕。


 地面に下げたはずみに包帯が抜け落ちて、腕全体に古い火傷の痕があるのがわかった。

 両腕を焼かれた男。


 それとも、何かに、溶かされたような。



「ほんっと、影陋族さまさまだぜぇ。はぁっはぁ!」


 嗤う。

 嗤う。


 蔑称に敬称を重ねて、下卑た声で高らかに嗤う。

 その前に立つアヴィは、唇を震わせたまま。


「おっと、お前は俺を守っとけよ。どこから狙われるかわかったもんじゃねえ」

「あ……あ、あぁ……」



 人間の男などに、言われるままに。

 アヴィが。


 アヴィの長く美しい髪を、下卑た男の汚れた指が梳く。

 そして、彼女の首の古傷を撫でた。


「生きていてよかったってぇのは、こういうことだなぁおい」


 やめろ、ふざけるな。

 お前などが触れていいはずがない。

 このような下衆が、生きていていいはずがない。



「このギエロ様の為に、俺の奴隷を届けてくれるんだからよぉ」


 こんなに強くしてくれて、と。

 倒れたルゥナ達を見ながらさらに嗤った。



「感謝するぜ、影陋族」


 ふざけるな。

 こんなふざけた結末など……こんな、こんなことが。



「あ、あ……」


「だから、よぉ」


 下劣な、肥溜めより汚く病を撒き散らす魔物よりも悍ましい男の濁った色の舌が、アヴィの首の傷に這わされる。



「だからお前も、もっと喜べよ・・・・・・。なあアヴィ」


 首の傷に残る印に、命じた。



「あ、あぁ……やああぁぁぁぁぁっ‼」



 歪み壊れかけていたアヴィの心。

 それが完全に潰れる嬌声が、戦火の町に響き渡る。


 終わりの絶叫が鳴り響いた。



  ※   ※   ※ 

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