第五幕 54話 真白い送り火_2



 暗くなってきた。


 手ぬぐいを濡らしてクロエの体の汚れを拭き、清める。

 イリアもマルセナも、水を浴びて顔を洗って。



愁優しゅうゆう高空たかそらより、木漏れよ指窓ゆびまど窈窕ようちょう


 温かい。

 小川の水は秋らしく冷たくイリアを冷やした。

 冒険者として少しくらいの寒さに根を上げるわけではないが、寒いものは寒い。


 指窓の窈窕。

 季節と共に寒く、寂しくなっていく空に残る優しさ。

 秋の日に、指で作った窓から差し込む木漏れ日を謡う魔法。


 寒そうにしていたイリアに、マルセナがそっと唱えてくれた。



「ありがとう、マルセナ」

「いえ」


 体が温まる。

 温かくなったイリアに、甘えるようにマルセナが肌を合わせた。


「あの洞窟でも、こんなことを……」

「そうだったね」



 黒涎山の洞窟で、凍えたイリアを温めてくれた。

 思えばあの時初めてマルセナを……


「……最初から、ずっと好きだった」


 もう嘘は言わない。マルセナに。


「初めてサキルクの港で、あの酒場でマルセナを見た時から」

「……わたくしも、そうです」


 嘘、だろうか。

 マルセナの言葉は少しだけ嘘っぽく響き、でも嘘でもいい。



「仲間になってから突っかかったのは、シフィークなんかにマルセナが……」

「シフィークだけではありませんわ」


 今度の言葉には迷いはなく、嘘は感じない。


「わたくしはずっと……冒険者になってから、この身も利用して生きてきました」

「……」

「わたくしはほら、見かけが可愛いでしょう?」


 イリアより年若いはずなのに、嫣然と嗤う。

 自らを蔑むように。



「マルセナは全部可愛い。世界で一番」

「ええ……よく、言われました」


 マルセナの外見なら、利用できる相手はいくらでもいただろう。

 魔法の腕も立ち、自分の身も武器にして。

 そうやって生きてきた。



「最初は、商家の娘でしたわ」

「へえ……娘、ね」


 女と聞いて嫉妬を覚える。

 マルセナの初めてを奪った女がいると聞いたら。


「思い出しましたの。わたくしが可愛いのだって」

「忘れてたの?」

「ふふっ、そうですわね」


 変なマルセナ。

 浮世離れした彼女らしいとも言える。


「もっと強い力を得る為に、なんでも利用しましたわ」

「前から十分に強かったと思うけど」

「もっと……もっと、です」



 追い立てられるような声音。

 震えるマルセナを抱く力を強く。


「どうして、そんなに力を?」

「母様が……そう、母様の言いつけだったから。です」


 イリアに聞かれてから理由を思い出したよう。

 それまでは、ただ迫られる気持ちだけで生きていたのか。目的も忘れて。



「マルセナのお母さんは、どうして……そんなに」

「……力がなければ、復讐が叶いませんもの。そうでしょう?」

「……」


 そうでしょう、と言われても。

 頷けない。

 マルセナは、自分でも答えが見つけられないからイリアに確認するけれど。



「……どうだろう」

「そうなのですわ」


 決めつけて、イリアの胸に顔を埋めた。

 もうこの話は終わりだと。いやいやという仕種。



「軽蔑、しましたか?」

「まさか」


 今度の質問にははっきりと首を振る。

 考えるまでもない。


「女の……ううん、冒険者なんてどれも似たような汚い記憶もいっぱいだよ。私だって」

「……貴女が、あんなつまらない男の言いなりになっていたから」

「あ……そう、だったんだ」



 初めからイリアとマルセナは両想いだったのか。


 イリアは勇者シフィークに気に入られようと、そう振舞っていた。

 マルセナはそれが気に入らなくて、シフィークに取り入ることでイリアとの間を裂いた。


「……さっき、わたくしは一つ嘘をつきました」

「なあに?」

「本当は……港町より前に、イリア。貴女を見ていましたもの」


 つまらない嘘。

 イリアにはそうでも、マルセナには言い出せなかったこと。


「魔物と戦う貴女は、綺麗な蝶みたいだって……」

「なんか恥ずかしいかも」

「近づきたいって言えなくて、でも……あの酒場で、声をかけてもらうのを待っていたのですわ。恥ずかしいのはわたくしの方です」



 声をかけてほしくて、背中を向けたままうずうずと。

 その時のマルセナの様子を想像して、思わず噴き出した。


「ふ、ははっ」

「もう、笑うなんてひどいです」

「ごめ……だって、ねえ」


 可愛い。

 会った時から高慢で、仲間になって差し上げてもよいかしら、なんて言っていたくせに。

 想像したらどうしたっておかしい。可愛くて可愛すぎる。



 愛しいマルセナ。

 ようやく手に触れたイリアの花。

 その温もりを、熱を、熱情を。肌と舌で感じる。


「わたくしは、クロエとも……」

「言わなくてもいい」


 イリアと離れ、クロエと慰め合うこともあっただろう。

 知らない誰かよりは、クロエなら納得できる。命を賭してマルセナを守ってくれたクロエなのだから。



「イリアの知らないところでわたくしは……わたくしは、もっと……」

「たとえ何でも」


 言い募るマルセナに、はっきりと。


「マルセナがどんなことをしてきたとしても。誰も許してくれないような罪を犯したりしていたって」


 関係ない。イリアにとって理由にならない。


「マルセナが、たとえばあの黒い……濁塑滔だくそとう? あれになっちゃったって、それがマルセナなら」

「……」

「私がマルセナを愛していることは変わらない。変えさせない」


 たとえマルセナにだって、曲げさせない。

 イリアのたった一つ真実の想い。


「あれには……なれませんわ」

「例え話だってば」

「……なんでも・・・・?」

「なんでも」


 マルセナの瞳が揺れる。

 暗がりの中、イリアを映して。

 期待するように揺れた。



「私がマルセナを愛するのは私の自由。私はマルセナの全部を愛しているの」

「……その、全部を」


 マルセナが開く。

 自分の心と身体を、イリアに。


「教えて……ください」


 蜜を啜る蝶のように、花に絡みついた。



  ※   ※   ※ 



 晴れた朝。

 南から吹く風が雲を運ぶのは、次の夜か翌朝か。


 戦場に近い。ゆっくりしている時間はない。

 だけど。



渾鳴こんめい暗晦あんかいより、導け慈逢じほうの揺り籠」


 清濁入り混じる暗い海。

 進み続けた生涯を終えて旅立つ魂を、優しく包み次の出会いへと送る。

 そんな願いの込められた魔法。


 炎の魔法。

 なぜ覚えていたのだろう。なぜか自然と紡ぐことが出来た。



 ――弔ってあげよう。


 イリアに言われて。

 どうすればいいのか、また彼女を頼った。


 ――イスフィロセやコクスウェルは、ルラバダールと違って。


 風土が違う。慣習が違う。


 ――亡骸を焼くんだ。次の命の火を灯す為に。



「裕福な家では、少しでも高位の魔法使いを招いて送るのが最高の手向けだって言われてる」

「……」

「クロエにとっては世界で他にない、最高の魔法使いだよ」


 真っ白い炎。

 その中で揺れて、揺れて。

 クロエの体はわずかにも歪むことなく、空へと消えていった。



「……ありがとう」


 何か言葉を。

 うまく出てこない。自分は今まで何を……


 揺れる炎を見て、今度こそ本当に思い出した。

 あの篝火を。

 瞳に映した日のことを、全て。


「わたくしも……好き、でしたわ。きっと」

「……」


 イリアは何も言わず、ただそっと肩を抱いてくれていた。



  ※   ※   ※ 

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