第五幕 53話 真白い送り火_1



 まだどんな敵がいるかもわからない。

 近くの敵を一掃してから、街道を外れた北東の森に入った。


 エトセンの町から逃げてくる者もいるだろう。

 マルセナの最大の魔法に匹敵するような猛炎が上がった。あれに巻き込まれたら逃げる間もなく死んでしまうが。



 森の中を流れる小川のほとりで足を止めた。


「ここらは誰もいない、かな」

「……」

「いつまでもそんな顔しないでよ。ほんとに」


 困ったような顔で後ろから。

 クロエの亡骸を抱くイリアに、何か言いたいけれど、言い出せない。そんな顔。



「らしくないよ。いつも通り、言いたいことを言って」

「どうして……」

「その答えは言ったけど、何度でも言う」



 川の近くにクロエの体を横たえて、向き直った。

 真っ直ぐにマルセナと向き合う。

 小柄なマルセナ。可愛いマルセナ。


「好きなの」

「……」


「愛してる。マルセナ、貴女を心から愛している」

「でも……」

「信じてほしい。大したことは出来ないけど、貴女と一緒にいられるなら何でもする」


 自信なさげに迷う表情。

 本当に、どうしてしまったのか。いつものように笑ってほしい。


「呪枷なんてなくても――」



 ああ、そうか。

 簡単なことだった。答えならちゃんとある。


「マルセナ。貴女が不安なら、もう一度、しよ」


 そっと手を取り、その指でイリアの首を撫でさせた。


「この首に、貴女の印を」

「イリア……」

「それで不安がなくなるなら、そうしよう。ね」



 昔は、呪枷などなくてもマルセナは自信に満ちていた。

 だけれど、呪枷で絶対服従の安心を覚えてしまったから。


 絶対に逆らわない。

 絶対に背かない。

 マルセナに忠実に尽くすことが約束されて、だから安心して振舞える。



「そんな……の、いけませんわ」

「馬鹿ね、マルセナ」


 イリアは、マルセナにそんな顔をさせたくない。

 意地悪で我が侭で、だけど素直に言いたいことを言ってやりたいようにする。

 そんなマルセナでいてほしい。


「マルセナが、呪枷なしでも私を信じてくれるなら。なくてもいい」

「信じて……だって、わたくしはイリアに酷いことを……」

「その……ああいう、いやらしいのも……嫌いじゃなかったし」


 マルセナに素直になってほしいと言うのだから、イリアも素直に言うべきだろう。


「正直言えば、すっごく興奮しちゃった。もうマルセナなしだと満足できないくらい」

「あ……貴女は、もう……本当にイリアったら……」



 呆れたような、怒ったような。

 感情がマルセナの顔を彩り、それから花が咲くような笑顔に変わる。


「もう……わたくしだって、そうですわ」

「そう、なの?」

「そうです。イリアがもっとほしいって目をするものだから」



 何のことはない。

 イリアが恥ずかしく思うように、マルセナにだって恥じらう気持ちはある。


 イリアに呪枷をつけて、つい色々と興じてしまったと。

 恥ずかしいことを。気持ちいいことを。


「その……また、しよ」

「イリアがされたいと……いえ、違いますわ」


 首を振り、微笑む。

 意地悪な顔を作ろうとしたけれど、いつもよりずっと優しい笑顔。


「もうダメと言っても、許しません」

「ま、まあ……その、ほどほど……に」



 寄り添い、抱きしめる。

 やっと素直な気持ちでマルセナと触れ合える喜びを。


「愛してる、マルセナ」

「わたくしは……わたくしには、愛が見えないのです。わからなくて」

「何があっても私はマルセナを裏切らない」


 マルセナは可憐だ。

 どういう事情で冒険者になったのか知らないけれど、きっとつらい過去があるのだと思う。


「信じて」


 命さえ惜しくない。マルセナの為になら。


「私は、どんなことがあっても貴女の味方だから」


 他者を信じられないマルセナ。

 己だけを頼みにしていたから自信に満ちた振る舞いをしていた。


 誰も心に住まわせず、呪枷や力で従わせて。

 臆病なマルセナの裏返し。



「私が貴女を裏切ったと感じたら、私を殺して」

「イリア……」

「そうすれば二度と私はマルセナを裏切らない。永遠に貴女のもの」


 それも幸せだと。

 永遠にマルセナの心に住むことが許されるのなら。



「もちろん絶対に裏切らない。でも、私には他に預けられるものはないもの」


 イリアが自由にできるのは、唯一イリアのこの身だけ。

 捧げる。愛するマルセナに。


「私は私の全部でマルセナを愛する」

「ぜん、ぶ」

「マルセナは」


 我慢が出来ない。

 マルセナはいつも避けるけれど、今はこれしか誓えないから。


「マルセナのやり方でいい。私を、愛してほしい」


 まだどこか気持ちを秘めて迷うマルセナに、願いの唇を重ねた。



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