第五幕 52話 異人の遠い言葉
どうしようもないことだが、町の中央に向かうに連れて人間との戦闘が多くなった。
中央の区画は裕福な者が多かったらしい。
これだけ広い町だ。貧しい者は町の外に出て稼ぐ必要があるのだから外周に。
内側で暮らすのは、汗を流し働く立場ではない者ばかり。
途中で少なくない数の清廊族を解放することになる。
人間に隷属させられここで暮らしていた同胞。その彼らから町の構造と共に、他に囚われている清廊族のことを聞く。
個別に隷属させられている者まではわからない。
過酷な労役などに使われている者はまとめて、南の倉庫、工場の方にいるらしい。
あちこちで暴動と火災が発生していて、全ての同胞までは救えない。
そんな中、凄まじい爆炎が北側の区画に放たれた。
北に避難していた人間は多いと聞く。火勢が回れば逃げ場を失うのではないか。
正直なところを言えば、少しルゥナはほっとしてた。
どうせ殺すのだとしても、これ以上アヴィの手を余計な血で染めたくない。
混乱の中、勝手に死んでくれるのならそれでいい。その方がいい。
アヴィは怒るだろうか。
自らの手で復讐をしなければと。
十分だ。もうたくさんじゃないか。
アヴィの手で殺しただけでも、既に万を超える。
あんな冷たい目をしないで。誰かと自分の血に塗れて嗤わないで。
そう言いたいけれど、怖くて。
言えば、アヴィはルゥナを捨てるかもしれない。
違う道を進む者だと、離れてしまう。
「……今は、とにかく」
オルガーラがいてくれて助かった。
彼女を先頭に立てれば、ある程度まとまった部隊が相手でも一気に崩せる。
町を守備する人間の方も状況が掴みきれず、かなり混乱している様子だった。
ルゥナ達を見てさえ、菫獅子騎士団ではないと敵か味方か判断に迷ったりして。
菫獅子騎士団の部隊にしても、将が討たれたとか、救援や反逆者がどうとか。
混乱した敵との戦いは数段楽になる。
おかげで出会う敵のほとんどを殲滅できた。
さすがに町が広すぎて全滅には到底及ばないにしても。
「うーん、ボクまぁた強くなっちゃった感じがするぅ」
「でしょうね」
かつてアヴィの恩寵がない頃は、人間をいくら殺しても力を増すことはなかった。
今のオルガーラは、元々の氷乙女の資質に加えて、アヴィの恩寵で戦うたびに強くなっているのだから。
頼もしい味方……ということで、いいだろうか。
それもまた何か引っ掛かりを感じないでもないけれど。
「あれじゃないの? 人間の長老? のいるところ」
「長老ではないと思いますが」
オルガーラが指し示した建物は、既に半壊していた。
激しい戦闘の気配。
そして――
――っ‼
「これは――っ」
「うぁ、キィンッってきた」
空気が連続して破裂するような音と共に、半壊していた建物がいよいよ崩れ落ちる。
決着、ということなのかもしれない。
それにしても、今の音は――
「ソーシャの……
「三角鬼馬?」
聞き返したオルガーラに返事はしないで駆けだした。
今の魔法を使える可能性があるとしたらエシュメノで、ならば今そこで戦っているのはエシュメノだ。
敵の本拠地。その中枢。
単独でどこに向かったのかと思えば、そこだったか。
巨大な建物を破壊し、町全体にまで響くような激震を起こすような戦い。
先ほど北側の区画を焼いた魔法に劣るものではない。
そんな強敵とエシュメノが戦っている。
無事なのか。
いや、無事なのは間違いない。だからソーシャの魔法が……?
エシュメノは魔法を使えない。
適性がない。それは知っている。
だというのになぜ? ソーシャの魔法はまた別なのか。エシュメノにだけは特別に。
崩れた建物の、かろうじて残っている入り口から。
見つけた。
「エシュメノ、貴女は……」
生きている。よかった。
ネネランと共に、ぼろぼろの様子だけれど寄り添って、涙して。
「……ネネラン?」
「あ……」
ルゥナの声に気付いたネネランがこちらを見て、口元に曖昧な笑みを浮かべた。
どうしてここにネネラン……と、聞くのも野暮な気がする。
「……本当に貴女達は」
嘆息した。
安堵の息を。
無事でよかった。何がどうなっているのかわからないけれど。
とにかく危険な状況だったはず。それを生き延びて。
「……」
「は……」
歩み寄った。
倒れた男に。
床……と呼べる状態ではない。
崩れひび割れた地面。倒れてきた壁の瓦礫に打たれたせいか、顔にも胸にも深い傷がある。
陥没した脇腹は、先ほどのソーシャの魔法によるもの。
けれど、それよりも。
左足が大腿部から千切れていた。
大量の出血で、他の傷も合わせて明らかに致命傷。
「ビムベルク、でしたね」
「覚えて……もらってたかよ、嬢ちゃん……」
「馴れ馴れしい。私の方がずっと年上です」
生意気な小僧が。ルゥナを小娘呼ばわりなど。
強がりなのか、特に意味もなく素だったのか。
「……俺の、負けだ」
「お前はソーシャを……いえ」
言うべきはルゥナではない。
それを責めるのならエシュメノだけが言える話。そのエシュメノが首を振る気配を感じて、ルゥナの言葉も途切れた。
「わり、い……俺ぁ人間だから、よぅ……」
「……」
それが、悪いのか。
この男が人間なのが悪いと、それではまるで。
「……違います。間違っている」
否定する。違うと。
「お前が人間に生まれたことは、ただそういう生き物というだけです」
清廊族に生まれたから虐げられるのが当然だと、そんな愚劣極まりないことを言う人間がいる。
けれど、同じ言葉を返したいのではない。
「お前たち人間は……私たちや、この大地の他の命への尊重がない。敬意がない。思いやる気持ちを欠いている」
「……あぁ」
「だから……それを力で思い通りにしようとするから。だから、許せない。許されない」
人間に生まれたから、ではない。
人間として、そうした生き方をするから。
だから敵対する。相容れない。
「……お前は、清廊族を」
「スーリリャは……頼めた義理じゃあねえ、けど……」
英雄の目に涙が。
「……あいつのことは、許して……やって、くれや……」
「……」
「お前の言う通り……俺は、人間の味方で……つええ力を、使って……生きてきた。殺されんのも仕方ねえとわかっちゃいる……けど、よぉ」
死にかけの男が、ソーシャすら倒した英雄が、死に瀕して涙して訴える。
それがどうして、清廊族の誰かのことなのだ。
どうして。
遠い言葉。
何もかも手が届かなくなって、今さら。
「……スーリリャは、ただ……俺の、わがままに……」
「黙りなさい、人間」
聞いていられない。
敵なのに。
強大な敵で、清廊族にとっての障害で、ソーシャの仇なのに。
これではまるで、その手を取り合うことが出来た何かのようではないか。
救えない。
誰も、何も。救われない。死にゆく者など。
「……頼まれるまでもありません。人間のお前などに」
「……」
人間の頼みなど聞けるものか。
お前はただ、敵として死んでくれればいい。それがお前の役柄。
「あれが清廊族だと言うのなら、私たちの同族です。人間に囚われ、不遇な過去を背負った仲間です」
「……あぁ」
「同胞を救う為に戦ってきたのです。お前が私に頼めることなど何一つありません」
清廊族と人間。
どこにも渡す橋などない。
相容れぬ、譲れぬ関係なのだと敵対した。
たとえ死の淵にあっても、その頼みなど聞けるか。
「スーリリャとやらが清廊族だと言うのなら、お前が心に残して許されることなど何もありません。ただ穏やかに暮らすことでしょう」
「ありがと、よ……嬢ちゃん……」
聞かなかったのに、礼を残す。
穏やかな顔で。
皮肉気に口元が上がった。
「あいつ……強情なとこがある、から……違うって言うかも、なぁ……」
「……それは、彼女が決めることです。それこそお前が気にかけることではありません」
清廊族の仲間ではないと。
人間の味方だと、あの女なら言うかもしれない。
そこまでルゥナが請け負ってやれる話ではないが。
「は、は……お前らは、なんでそう……そこまで……」
「……」
「マジで、まいったぜ……なあ……」
男の目から光が薄れ、途絶えた。
充足した表情で無惨な死に様を。
「……」
エシュメノが、痛む体を押してそこに跪き、開きかけの目を閉じてやった。
そして無言でそのまま数拍、頭を少し下げて。
「その男は、貴女の――」
「強い人間で、清廊族の敵だった」
悼む必要などないと言おうとして、けれどルゥナもエシュメノの答えを聞きたかったのかもしれない。
真っ直ぐなエシュメノの胸の内を。
「ソーシャと戦った勇敢な戦士で、エシュメノと正面から戦っただけ。今はもう、ただの死体だから」
「……」
「この死体だっていつかニアミカルムに帰るんだ。死体が悪いなんてソーシャは言わない」
「……そうですね」
偉大な魔物と正面から戦った勇敢な戦士。
敵味方ではあったけれど、骸にまで罪があるわけではない。
戦士の死に様に向き合うのに相応しい態度で。堂々と。
他の人間と違い、清廊族に一定の心馳せがあった男だから、そういう気持ちにもなる。
「そうですね」
エシュメノの言う通りだ。
憎しみの心だけで殺し合うのでは獣にも劣る。
ルゥナとネネランも並び、静かに強敵の亡骸に目を閉じた。
結べる思いなどなく、取り合う手もない。
清廊族の女を案じて死んでいった戦士の死を、ただ見送った。
※ ※ ※
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