第五幕 49話 葬列に歩む足
動き出すまでに一瞬の迷いが。
――わたくしの邪魔にならぬよう。
そう言われた。
無敵の姉リュドミラに危機などあるのか。
危機だとして、ハルマニーがそれを助けようと飛び込んだら。
姉は、唱えている魔法でハルマニーを焼かないだろうか。
復讐の怨嗟に囚われ、憤怒の微笑みを浮かべる姉。
それを見てしまったから。
――怖い。
幼い頃から刷り込まれたきた感情。
足が竦んだ。
それはハルマニーの罪なのだろうか。
きっと姉は許してくれない。きっと。
※ ※ ※
リュドミラとて痛いものは痛い。
万物を裂く灼熱の杖の魔法。
あれが消されるとは思わなかった。
消されたのではない。強引に切り離された感じ。
わずかな狼狽の隙に捨て身の体当たりを受け、朝日のような光の剣で斜めに斬られ。
その傷口に爪を立てられ、痛くないわけはない。
もう一つ、わずかに迷った。
助けようと飛び込んでくるハルマニー。信じて片方を任せていいのか。
リュドミラより弱い。信じて、母は死んだ。
ハルマニーはどうなのか。リュドミラに手傷を負わせるほどの敵に。
考える時間はなかった。
敵の爪が肩口に届き、振るった右のラーナタレアが敵の左腕を鋭く切断した。
リュドミラが振れば並の剣よりもよほど鋭い。
「お前もこれで――」
「うがああぁぁ!」
「っ!?」
信じられない。
腕を切り落としたのだ。どんな者だろうが痛みで一瞬は怯むはず。力が弱まるはず。
わずかな逡巡もなく、噛みついた。
リュドミラの反対の肩口に。
「くっ! けだものが‼」
「ぶぅぅああはぁぁ!」
リュドミラの血で口を濡らして、顔に頭を叩きつけた。
見えている。歯を食いしばりそれを見据えて。
「退きなさい!」
「ぶぇっ」
打ち返した。
見苦しく眉間で、影陋族の女を打ち返した。
情けない声を上げて後ろに転がる女。
ハルマニーは何を――
見なければ良かった。
見るべきではなかった。
噛みついてきた女を頭突きで引き剥がして、ちらりと送った瞳に映ったのは。
目測を誤ったのか、
空を打つハルマニーの拳と、その下に潜り込み包丁を差し込む灰色の影陋族。
「あ――」
「ね、え……」
真っ赤に染まった。
真っ白に染まった。
頭が、視界が。激情に飲み込まれ。
何をやっている。愚昧な妹は。
何をやっている。下劣な奴隷が。
やられるはずがない。少なくともそんな女に負けるはずはないのに。
奥歯が一度音を立てて、その激情を食い千切った。
「お前たちはぁぁぁ!」
許さない。許さない。
決して許しはしない。
リュドミラにこんな思いを再びさせた妹も、許さない。
「全て!」
「
ハルマニーを見なければ、絶対に受けなかっただろうつまらない攻撃。
簡易詠唱。ただ冷たい霰をほんのわずかに吹かせるだけの。
怒りに染まったリュドミラの目に、かすかに染みた。
零れかけた水滴に
「母さんのまふらぁぁっ!」
頭突きを受けて後ろに転がった姿勢から、飛び込まれた。
リュドミラの腹に。
破れた服から、リュドミラの腹に突き立てた。
尖った指を。
「……が……ふ……」
力が、抜けた。
激しい熱を感じて、それが自分のものなのか、自分を貫く獣のものなのかもわからず。
膝から崩れ落ちた。
ずるり、と。
涙が零れる。
さっき凍った雫が、目頭の熱で溶けて零れ落ちる。
泣くなんて、どれくらい前のことだろう。
奇妙な安らぎ。
お父様と、お母様と、お爺様と。ハルマニーも一緒に。
これならもう、弟ユゼフに言い訳をしなくて済む。
ただ安らかに。何も心配せずに。
「や、った……母さん、わたし……」
「……アヴィ、さま」
残った影陋族の声が耳に届いた。
目がかすむ。暗い。何も見えない。
この世界にこいつらを残して……いけない。
弟の為に、この危険な影陋族を残してはおけない。
目は見えないが、手の感触が教えてくれた。
ラーナタレアがまだ手元にある。だから。
「天地果つる……
呟いた。
紡いだ。
「つき……よ……」
こんな世界など、全て。
焼き尽くされればいい。
「いかん! 真白き清廊より――」
もう遅い。
「……ぬれずみ、の……そうれ、つ……」
女神に見放された魂は、日輪の業火に焼かれながら列を作り自らの葬送を歩むのだと。
自らを焼く窯に向かって、黒く煤けながら焼き尽くされるまで歩き続ける。
ここにいる連中も皆。
「来たれ絶禍の凍嵐!」
双対のラーナタレアから、白く輝く太陽と、冷たく凍える嵐がそれぞれ放たれた。
※ ※ ※
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