第五幕 48話 灰色のゆらぎ



 凄まじい力。

 今まで見てきた中でも特に異常。異様。


 トワの知る限り、これほどの力を持つ者はいない。

 サジュに現れたダァバが神を名乗ったと聞いた。生き物の枠を外れた力は、人間でも清廊族でも同じ境地に辿り着くのだろうか。



 残念ながら、戦闘に関してトワは特別に優れているわけではない。

 だから多くの手段を用いる。

 幻覚、混乱、薬効。


 トワの手札が通じない。

 幻覚を見ようがまとめて焼き払う。

 混乱するには心が強すぎるし、もう狂気に染まっている。

 薬も、この屋外では効果が見込めない。


 この女はここで確実に殺さなければ、次はルゥナが危険になる。

 好き嫌いは別として、アヴィやメメトハと協力が必要。



「愚か! 無力!」


 嗤いながらアヴィの攻撃を避けながら魔術杖を一振り。

 セサーカの撃った氷弾を炎の壁で蒸発させた。


「こんなものが、お父様とお母様を!」


 嗤いが、瞬時に憤怒に変わる。

 感情が入り乱れて不安定。

 地面を叩いたアヴィが大地を揺らした。その振動の中でも揺らがず、アヴィを蹴り飛ばした。



「うぅっ!」

底府ていふ割窩われあなより、溢れよ飢望の暴燭ぼうしょく


 蹴りつけ、宙を舞いながら唱える。

 踏みしめて耐えようとしたアヴィに、炸裂する火の玉を浴びせた。


「冷厳たる大地より、奔れ永刹の氷獄!」


 メメトハが唱えた。アヴィと女の間に氷柱が立ち上がり火の玉の破裂からアヴィを守る。

 重厚な氷柱にびっしりとヒビが入ったが、砕けない。

 強い熱を受けてあっというまに溶け、ぶわっと熱い霧に変わる。



無辺むへん伏篭ふせかごより、なじめ唾棄の清澱さやおり


 空を飛べるわけではあるまい。

 鳥ではなく、また神でもないのだから。


 トワが紡いだのは泥濘ぬかるみの魔法。

 宙を踊り、着地する女の足元の地面がそこだけ沼のように変化する。



「その足場ではまともに――」

「穢れを、わたくしに」


 態勢が崩れた。

 膝近くまで飲み込まれ、やや前のめりに。


「忌々しい!」


 ――だんっ!


 踏み直した片足で泥濘が吹き飛ばされた。

 先ほどのアヴィの鉄棍と変わらぬほどの衝撃を、ふらついた姿勢の片足で。



「っ!」


 わずかに顔を歪めた。

 舌打ち。


「わたくしの靴が」


 当たり前だ。鉄棍でもない靴で大地を揺らすほどの踏み抜きをすれば。

 己の靴が弾け飛んだと苦々しく吐き棄てる。

 激しい戦闘に対してではなく、そんなことが気になるのか。



「屑が、わたくしに対して」

「……」


 ぎらりと睨まれた。

 神に唾したと。


「ゴミはそちらでしょう」


 トワの唾液なら女神でも喜ぶのでは。

 嗤い返してやった。


「ルゥナ様以外は、等しく価値などありませんし」

「奴隷ごとき生き物の分際で」

「私の涎が欲しいとねだる人間もいましたね」


 牧場にいた頃を思い出して、鼻で笑った。

 人間の方がよほど穢れに満ちている。

 己が蔑む清廊族の涎や排泄を見たがり、欲して。



「本当に、救えない生き物」

「……」

「?」


 女の表情が変化した。

 憤怒や侮蔑とは違う。トワの言葉にどこか理解を示すような。

 あるいは、共感、か。



「腰高な物言いを。不愉快ですわ」


 表情がふらりと迷ったのは一瞬。

 元の憤怒の表情。いやそれ以上の怒りを表すように眉を吊り上げた。

 わずかでも納得しかけたことが不快だったのではないか。


「死をあたえ――」

「はあぁっ!」


 氷柱が変化した蒸気の中からアヴィが飛びかかった。

 鉄棍での連打。


「――ましょう」

「やあぁ!」


 連打。連打。

 それを魔術杖で受け、弾き。

 あの魔術杖の強度はアヴィの持つ鉄棍以上なのか。煌銀製の鉄棍が歪んでいく。



極光きょっこう斑列ふれつより、鳴れ星振ほしふり響叉きょうさ


 セサーカが放つ星振の響叉は、こちらの手札の中で最速。

 躱せない。

 横からの援護とすれば適切だが。



「いい加減」


 魔術杖を持っていない手で打ち払われた。

 双鉄棍を捌きながら、横目で不可視の衝撃を払う。

 妹と離れて平気なのかと思ったが、この力なら単独で掃討できない相手などいないのだろう。


「息をさせているのも不愉快ですわね」


 アヴィの鉄棍、左のそれがいよいよ曲がった。

 メメトハが身構える。セサーカと同時に魔法を撃たなかったのは敵の魔法を警戒した為に。



神火しんか炬鉢こばちもえさしより――」


 もう一方のアヴィの鉄棍を打ちながら女が紡いだ。


「――ひかり指せ、孤条の朱赫しゅかく


「「天嶮より下れ、零銀なる垂氷」」



 メメトハとセサーカが合わせて放った。

 数十の氷の杭が降り注ぐそれを。


「なんじゃと!?」

「そんなことが!」


 女の手にした杖が光を放つ。朱色の光の筋。

 灼熱の炎を凝縮した長い杖のような、あるいは神火の剣のような。


 まるで虚空に絵を描くよう、調べを指揮するように躍る。

 吸い込まれるように、無数の氷の杭が掻き消えた。朱の筋はまだ煌々と輝いたまま。



「このっ!」

「これで」


 曲がった鉄棍を叩きつけ、断ち切られた。溶けた。


「まだ!」

「終わりです」


 反対のひしゃげた鉄棍も焼き切るように割られ、アヴィはすんでのところで手を離した。


「神の怒りを!」

「うぅっ!」


 咄嗟に張った黒布。鉄棍と鉄棍を結んでいたそれが。

 朱に染まる杖を受け止め、わずかでも受け止めてから、破れた。



「母さんっ!?」

「っ! お前たちに――」


 煌銀の鉄棍も容易く焼き切るような熱量を、一瞬でも受け止めたのが奇跡のようなもの。

 その衝撃で後ろに弾かれて、一緒に切り裂かれはしなかったけれど。



「母など、いるはずがない!」

「っ‼」


 母の仇と言っていた。

 だからと言って清廊族に母がいないわけもないが。


 家族の絆は自分たちだけのものだと、認めない。

 腰高と評されたトワだけれど、この女の傲岸さには負ける。



「アヴィ様!」


 愚かと言えば愚か。他にないと言えばそう。

 神火の杖でアヴィを殺そうとする相手に、次の魔法は間に合わない。

 だからセサーカは飛び込んだ。肉弾戦では敵わぬ相手でも。



「わたくしを止められると」


 仕方がない。

 魔法を消す魔法といい、アヴィ達に手の内を晒すのは嫌なのだけれど。



碧落へきらくに落ちぬ涼球すずだま対反ついはん露映つゆばえに、揺らげ現空うつそら量座かさくら



 晴れた日に、葉先から落ちない露の雫。

 そこに映る世界はあべこべで、現世と反対の世界があるという。


 ネードラハでルゥナを助ける為に使った。

 存在する場所を、トワとルゥナと入れ替えて。

 うまくいったのだと思う。次の瞬間、少し狙いがズレた飛竜騎士の攻撃の衝撃で意識を失ってしまったけれど。



「なん、です――っ!?」

「む、ううぅっ!」


 重い。

 魔術杖を握る手が震えるほどの重量。存在が重すぎるのか、手にしている神火の剣の力が強すぎるのか。

 トワの魔法がうまく作用しない。


 ルゥナに使った時はこんなことはなかったのに。

 耐えきれない。支えきれない。



「くぁっ!?」

「な」


 途絶えた。

 トワの魔法が途切れた。


 それと同時に、女が手にしていた朱に染まる神火の輝きも消えた。



 ――ゴァァァァッ‼



 トワの手から飛んでいった魔術杖と、それとまとめて消し飛ぶ建物。

 強引に奪い取った火の力が弾け、トワの魔術杖とまとめて建物を焼き尽くす。文字通り灰燼に。



「ようやった!」

「っ」


 褒められてから理解する。今の現象を。

 女の手にはまだ魔術杖があるが、輝きは失われた。

 突然のことに惑うそこにセサーカが飛びかかる。



「この、わたくしに!」


 セサーカを焼き切ろうとした炎を失い、対応が遅れ体当たりを受けた。


「触れるなど!」

「きゃあぁっ!」


 薙ぎ払われた。瓦礫の中を転がるセサーカに続けてメメトハが。


終宵しゅうしょう脊梁せきりょうより、分かて無窮の耀線!」


 切り裂く。

 光の刃が、防ごうとした魔術杖をすり抜けて女の体を斜めに。


「くぅっ」

「侮りが過ぎるのじゃ、貴様は!」



 元々あちこち破れていた服が切り裂かれ、血が噴き出す。

 しかし――


「このわたくしに、傷を」

「うぬうぅっ!」


 メメトハは油断していなかった。

 これで倒せると思っていない。だから防げた。

 力負けして吹き飛ばされ大きく地面を削るが、打ち返した女の手刀を杖で受け直撃を避けた。



「わたくしのラーナタレアを!」


 敵の使うものとよく似た魔術杖。

 異常に頑丈なあれでなければ、受けた杖ごとメメトハが両断されていたかもしれない。



「返しなさい! れ者が!」

「がああぁぁっ!」


 アヴィが飛びかかった。

 既に両手の鉄棍はない。爪を尖らせるように指を立て、牙を剥きだして。



 トワもまた走り出している。

 杖が失われたのであれば、腰の包丁を手にして。


 アヴィよりも早い。位置的に。

 けれど、女の反応も速い。

 唸り声を上げたアヴィに対して迎え撃つ姿勢と、それに続けて魔法の為の呼吸を。




 トワはどうすべきだろう。

 迷った。

 

 ――相打ちなら、悪くない。


 人間最強の敵は排除する。

 それと同時に最大の邪魔者も。


 悪くない。けれど。



 ――ルゥナ様が悲しむ、でしょうか。


 迷った。

 大好きな誰かに、消えぬ悲しみの傷を負わせるのではないかと。

 それはきっと、ユウラを失った時のトワのように。死ぬまで消えない。



 ――褒めて下さる、でしょうか?


 決めた。

 ここでトワがアヴィの危機を救えば、きっとルゥナはトワを褒めてくれるだろう。


 一番の寵愛をくれるよう要求することだってできる。

 トワは頑張ったのだもの。

 気狂いのアヴィはルゥナに冷たい。きっとルゥナだってトワを。



「姉様!」


 ああでも。

 間に合わなかったのなら、仕方ないですよね。


 頑張ったけど間に合わなかったのなら、仕方がない。だってそれはトワのせいではないのだもの。



 トワの刃の向きが変わった。

 爪先が変わった。


 姉を助けようとしたくせに、なぜだか足が竦んだ小柄な少女に。

 その迷いが命取り。トワなら迷わない。



「母さんのぉ!」

「お母様の!」


 アヴィの爪が、メメトハの切り開いた傷から肩に食い込んだ。

 同時に、女の手の魔術杖がアヴィの片腕を斬り飛ばした。


 そして紡ぐ。

 終わりの魔法を。



  ※   ※   ※ 

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