第五幕 47話 知らず迷わず_2



「おとなしく死ねよ、影陋族!」

「ミアデだよ!」


 殴り掛かった拳を払いながら名乗られた。

 力は劣ってもかなり素早く動く。


「清廊族のミアデだ!」

「知らねえよ!」


 名はあるだろう。今まで気にしたこともないことを気付かされた。

 麦束とは違う。一つ一つに名のある命。



「くそっ!」


 余計な考えがちらつくのは、スーリリャのせいだ。

 言葉を交わし、あれがビムベルクを強く慕っている気持ちを知った。ツァリセも含めて種族など関係なく、ごく普通に笑い合えることを。


 リュドミラのようにただ復讐の為に踏み潰せばいいのに、心に濁りが混じる。



「なんでも、お前は母様の仇だ!」

「お前ら人間だって、あたしたちの家族みんなの仇だよ!」

「ああそうさ! そうだろうよ!」


 たとえばこのミアデがハルマニーと互角以上の強者だったら、こうも鈍らなかっただろう。

 格下の相手で、他のことを考える余裕が出来てしまうから。


 だから、有り得ない妄想をしてしまうのだ。

 この少女は、真っ直ぐな瞳でハルマニーと正面から対峙する異種族の少女は、もしかしたら巡り合わせが違えば友情に似たものを結べたのかもしれない。などと。



 スーリリャのせいだ。

 ビムベルクのせいだ。

 ツァリセのせいだ。


 あのぬるい陽だまりのような関係を、ハルマニー・ミルガーハが築き得た可能性などあるはずがないのに。




「あぁっ!」


 振り払う。


「るっせえんだバカ‼」


 苛立ちを振り切り、奥歯を噛み締めた。



「戦うしかねえんなら、名前なんか教えんなバカが!」

「っ!」


 狙ってやったのなら大したものだ。

 ハルマニーの――ミアデの言う通り、年若く未熟なハルマニーの心を搔き乱す。

 迷いを強引に振り払い、代わりに拳に力を込めた。



「らあぁぁっ!」


 一撃で大岩を、建物も軽々と打ち砕くハルマニーの拳。

 乱れ打つ。


「くっ、のっ!」


 当たれば即死。

 普通なら恐怖で身が竦むものを、ミアデは信じられない集中力で一撃ずつ全て捌いていた。


「こ、のぉ」


 迷いを忘れて殺す。そう心を固めて小さな英雄ハルマニーが乱打する猛撃を、力で劣るくせに正確に。

 赤い目が、ハルマニーの体の動き全てを見ていて、他の何も見ていない。

 格下だからこそ、他の何にも囚われずただハルマニーとの戦いだけに全てを賭けて。



「でもなぁ!」


 力の差はあるのだ。

 捌くので手一杯のミアデと違い、ハルマニーにはまだ余裕がある。


「これなら!」

「うぐぅ!」


 廻し蹴りを避け切れない。力も逃がせず、何とか防御するが体勢が崩れた。

 そこに止めを――



「わかってんだよ!」

「だろうな!」


 狙いをつけたまま動かなかった弓使いが、仲間の危機を助けようとすることくらい。


 ハルマニーの顔を狙って打たれた矢は、今までの威力よりずっと強い。

 食らえば射抜かれただろうが。


 見て、払い除けた。

 同時に、蹴りを放ったのと逆の軸足を狙った氷の矢。

 一度に二発、正確に顔と足を撃つ弓使いの技量も極めて優秀。


 跳んだ。

 僅かに上に跳び、矢をやり過ごしてから。



「お前から殺すぜ!」

「!」


 次の踏み足で間合いを詰めた。

 瞬速。踏んだと同時に目の前にいると錯覚するほどの。


「はっ!」

「ぐぅ、あっ!?」


 一撃は、手にしていた弓で防がれた。

 妙な感触。氷の弓かと思ったが変に柔らかく、そのくせ丈夫な。

 だが、ハルマニーの一撃を受けきれず後ろに飛んでいった。


「これで!」


 よろめいた弓使いに、もう一歩踏み込みと共にその身を貫く一撃を。



「させない!」

「っ!?」


 追い付かれた。

 先に蹴りで態勢を崩していたはずのミアデが、ハルマニーのすぐ後ろに。



 速い。

 こんな速さがあったのかといえば違う。


 ミアデはハルマニーの動きにだけ集中していた。

 蹴りを受けた後、ハルマニーが弓使いを狙うのを予測して、ハルマニーが踏み出すのと同時かそれより早く動き出していたのだ。


「はあぁっ!」

「くぅっ!」


 突撃槍のような蹴り。咄嗟に受けたハルマニーの片腕が軋む。

 背中に食らっていたらかなりの衝撃だったろう。動きが止まるほどの。


 防戦一方だったミアデからの反撃に、頭に血が上った。



「甘いんだよ!」


 殴り返した拳。

 甘いのはハルマニーの方だったか。


「げ、ぶっ……」


 ミアデの頬を掠め、代わりにミアデの掌打がハルマニーの腹にめり込んだ。

 戦いながらハルマニーの拳打を見極め、ここで迂闊な一撃に対して見事に反撃を決める。



「あたしが、お前を!」


 続けたミアデの左は、今度はそちらが軽率。

 掴んだ。手首を。


「な、めんなぁっ!」

「うあっ!?」


 掴み上げ、叩きつける。

 地面に。


「がっ……」

「もういっちょう!」


 咄嗟に受け身を取るミアデ。

 ハルマニーの態勢も不十分で充分な力でなかった。

 だからもう一度、今度こそ叩き潰す一撃を。



「っ!」


 短く吐いた息の音と同時に、再び背中から襲われた。

 今度はハルマニーの反応が間に合わない。

 強い衝撃を受け、掴んでいたミアデを離して前に転がり、向き直る。


 散らばっていた瓦礫を手にしていたのか。

 ハルマニーに体当たりをしたのは、先ほど弾き飛ばした弓使い。手にした石材はハルマニーを殴った衝撃で崩れ落ちた。


「ち……やってくれたな」

「あり……がと、ニーレ」

「お互い様だ」



 立ち上がるミアデも無傷ではない。

 ハルマニーも、殴られた後ろ頭の痛みで少し視界が滲む。


 形勢はハルマニーが優位だが油断はできない。

 必死な連中なのだから、力が足りなくとも無我夢中で噛みつくものか。



 英雄級の力があっても、相当な力で頭を殴られればさすがに揺れる。

 少し距離を開け、呼吸を整えようと――



「っ!?」


 ――ゴァァァァッ‼


 すぐ隣の建物がまとめて消し飛んだ。

 仕切り直す瞬間だったから、ぎょっとする。目を向ける。


 白炎が、恐ろしい形相を照らすのを。

 見なければ良かったのかもしれない。



 助けなければならない、唯一の姉。

 リュドミラに迫る敵の姿。


 姉の詠唱は、間に合うのか。


 間に合わない。あのタイミングでは。

 けれどハルマニーがいる。敵との距離を瞬く間に詰められるハルマニーが。



 間に合う。

 リュドミラにだけ目を向けている鉄棍の女――すでに鉄棍はなかった。


 リュドミラに食いつこうと牙を剥いている女。

 そして、脇から包丁を手にリュドミラに襲い掛かろうとしている少女にも、間に合う。



 ハルマニーの動き出しに、ミアデは間に合わず、弓使いは弓を手にしていなかった。

 だからこの瞬間が、ハルマニーとリュドミラの姉妹の勝利。



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