第五幕 45話 ずれ合う絆



 南西区画に、再び爆音が響き渡った。

 光熱はない。音と共に建物が爆散しただけ。


「こいつ!」


 危なかった。前に出ていたのがミアデでなければ、今の拳をまともにくらっていたかもしれない。


 殴りかかってきた拳を逸らし、隣の建物にぶつけた。ミアデと変わらぬ体躯なのに巨大な魔物のような破壊力。

 弾け飛んだ瓦礫と衝撃で距離を取りながら、その少女から目を離さない。



「影陋族のくせに!」

「関係ない!」


 強い。

 その上で後先を考えない戦い方。

 親の仇だと言っていた。無謀になるのも無理はない。



「はあぁっ!」


 アヴィが飛びかかったのは妹ではない。姉の方。

 先ほどの魔法、もう一度使われたら防ぎきれるとは限らない。

 魔術杖を投げ出し、提げていた鉄棍で殴り掛かった。


「わたくしに」

「姉様はなぁ」


 するりと。

 アヴィの一撃だ。速さも力も尋常ではない。

 それを、するりと。片手でいなした。容易く。魔法使いが出来ることなのか。



「最強なんだぜ!」

「絶望なさい」


 踊るように回転して放たれた蹴りを、アヴィだから防げたのだろう。

 殴り掛かったアヴィが逆に蹴り飛ばされた。


 同時に妹も、再びミアデに襲い掛かっている。


「くぅっ!」


 躱せない。両の拳を捌こうとして、躱しきれず片方を腕で受け止める。

 防御した腕に重い衝撃と痛みが残った。

 それこそアヴィの鉄棍で殴られたような重み。



「おらおらぁ!」

「ミアデ!」


 助けようとニーレが放った矢を二本、片手で払い除け、最後の一本を掴んだ。


「邪魔なんだよ!」


 ミアデに蹴りを放ちながらニーレに投げ返した。



「原初の海より」


 蹴り飛ばしたアヴィに向けて、姉リュドミラが杖を向けていた。


「来たれ、始まりの劫炎」

「「極冠ごっかん叢雲そううんより、くだ玄翁げんおう冽塊れっかい」」


 メメトハとセサーカが同時に打ち返す。

 魔法がぶつかった余波が大きく、妹ハルマニーが舌打ち混じりに後ろに下がった。

 姉の魔法に巻き込まれることを警戒したのだろう。


「やあぁっ!」


 メメトハとセサーカを合わせてもまだ足りない。敵の魔法が強く残る。

 それをアヴィが鉄棍で叩き払った。




「こやつ、化け物か」


 リュドミラと名乗った女でも小太陽の魔法はある程度の集中が必要らしい。疲労もあるのかもしれない。

 今放たれたのがそれだったら、飲み込まれていた。


 桁違いの強さ。

 今まで英雄と呼ばれる人間は皆そうだった。しかし、そこからさらにはみ出している。



「……熱い」


 アヴィの体が煤けている。

 今の劫炎を払う為に突っ込んだのだから当然だ。痛みはなくとも熱は感じるらしい。


 ここのところ様子のおかしいアヴィではあっても、敵の異常さには気づいている。

 ミアデが相手にしたハルマニーの方も英雄の領域。

 迂闊に動けない。




「低劣な魔物にも劣る知能でもわかりますか」


 間を置いた理由は彼女なりに。諭すように。


「お前たちなどが逆らって許される存在ではない。這いつくばり泥に埋もれながら見上げるべきわたくしに対して」


 どこまでも上から物を言う。


「許されざる罪を犯した」


 小振りな魔術杖を向け、冷たい目で。



「絶望なさい」


 命じる。



 言うだけの力がある。

 力だけなら確かに生き物として最上位。この上は存在しないだろう。

 そんなものに逆らい、怒らせた。だから絶望しろと。



「這いつくばる魔物……そうね」


 アヴィは怒らない。

 むしろやや穏やかな声音で応えた。


「悪くないわ、人間」

「はあ? ばっかじゃねえの」

「愚かなのです、ハルマニー。この者どもは」


 姉妹はアヴィの事情を知らないのだから仕方がない。アヴィとすれば、母である粘液状の魔物を連想したのだろう。

 笑顔で応じるアヴィに、理解が及ばず胡乱な目を向けた。



「トワ」

「わかっています」


 メメトハの呼びかけに冷たく応じるトワ。

 彼女らの関係もまた、今のアヴィとは別に歪なところがあるけれど。


「消せる限りは消します。あの女の魔法は」

「そこまでは妾たちでなんとかする」


 役割の確認。

 関係がこじれていても、今はそんな場合ではない。互いにわかっている。

 これを倒さなければ何も進まない。何も得られない。



 あのティアッテでさえ敵わなかった相手だ。

 生まれながらの氷乙女の身に、千年級殻蝲蛄かららっこの力まで得た彼女が。

 最強の氷乙女でも勝てなかった敵。


 リュドミラ・ミルガーハ。

 妹はハルマニーと呼ばれていた。どちらも忌まわしい奴隷商の一族ということになる。



「ミアデ。ニーレ。妹の方は……」

「任せて」

「ああ」


 自信などない。だがミアデがやるしかない。

 人間の最大の拠点で、最大最悪の姉妹が相手だとしても。

 ここで勝利すれば見えてくる。清廊族の勝利の日が近づくはず。


 ずっと願っていた未来で、長く諦めていた希望の日。

 それをミアデの手で掴めるのなら、どんな強敵だろうが関係ない。

 戦いが終われば、きっとセサーカも……



「呆けるな」


 ミアデの心の浮つきをニーレが止める。

 よく見ている。弓使いだからなのか、彼女の性分か。


「目の前の敵を見て集中するんだ。周りは私が見る」

「……うん、ありがと」


 ユウラのことがあったから。

 あんな思いをもうしないとニーレは戒めているのか。



「ごめん……勝った後のご飯のこと考えてた」

「それくらいならいい」


 軽口を返すと、ニーレがふっと笑う。


「それくらいでいい」


 浮ついている時ではない。だが硬くなりすぎてもミアデらしくない。




「なめたこと言うじゃねえか、奴隷のくせに」

「あたしたちは奴隷じゃない」

「はっ、首に書いてあんぜ」


 ハルマニーが指さす。

 ミアデにもニーレにも。アヴィとセサーカにも、首に残る傷痕が。


「元奴隷? どうやって呪枷を取ったんだか知らねえけど」

「確かに、妙ですわね」


 呪いの首輪は本来簡単に外れるものではない。外れないよう呪いがかかっているわけだから。

 ミルガーハの娘なら知っているだろう。



「黒い呪枷なら主が死ねば外せるでしょうが。色無しを?」

「……」


 憤怒にばかり染まっていた姉が、妹の言葉を受け疑問を示した。

 清廊族に着ける白い呪枷は、主が死んでも他の人間の命令に従わせる。呪いが途切れない。

 無理に取ろうとすれば激痛で狂死するはず。外そうとした誰かも一緒に。



「少し、聞かねばならないようですわ」

「おぬしらに教えてやることなどありはせん」

「わたくしが知りたいと言うのです。なぜ奴隷が逆らって許されると?」


 話にならない。

 清廊族を奴隷の種族としか見ていないこの女とは。


 この様子では清廊族に限らないか。

 誰に対しても、遥か天上から。まさに神にでもなったように下に見ている。



 清廊族が崇める魔神、姉神は、そんな目で世界を見ていないのに。

 全ての生き物に恩寵を与え、慈しみの心を抱くよう女神に伝えたと。


 人間どもが信仰する女神はどうなのだろうか。

 言い伝えでは、人間にのみ恩寵を授けようと言って魔神と対立したと聞く。

 恩寵を授けると言うのだから、軽んじたり嫌悪していたというわけではないとミアデは思うのだが。


 間違っている。

 最初からわかっていたけれど、やはりこのリュドミラ・ミルガーハは間違っている。

 どれだけ力があっても神などであるはずがない。ならば負けない。



「呪枷はなくとも首に刻まれた隷従の紋は奴隷の証。首を千切り、逃げた連中に聞くのもいいでしょう」

「手加減なしでやっちゃっていいんだな、姉様」

「先ほど化け物呼ばわりもされましたから。容赦などいりません、わたくしの邪魔にならぬよう」


 仕切り直す。

 敵はミアデ達の境遇についての疑念を聞き出そうと。

 こちらは、それぞれの関係の歪みがあっても役割を果たそうと。仕切り直し。



「姉様とアタシが揃ってんだ。お前らに勝ち目なんてねえさ」

「そういうことですわね」


 セサーカの狂信、アヴィの狂心。

 トワは皆に対して線を引いていて、メメトハはそれらを苦く感じている。



 これでいいのだろうか。

 仲間の気持ちがみんなズレたままで、姉妹の絆に繋がれたこの強敵と相対するのは、いいのだろうか。


「あたしが」


 守ってもらってきた。アヴィに、ルゥナに。ユウラを犠牲にして、つい先日もティアッテに守られた。


「あたしが、なんとかしなきゃ」


 きっとここがミアデの担うべき役目。

 今日まで戦い生きてきたミアデの命は、きっとこの時の為にあったのだと。


 奴隷時代、ミアデと共に温もりを分け合ったセサーカの為に。

 救い出してくれて、戦う力を与えてくれたアヴィやルゥナの為に。


 ミアデの拳は、今この難局を打破する為に鍛えられてきたのだと信じて、己の敵を強く見据えた。



  ※   ※   ※ 

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