第五幕 44話 華と蝶



「馬鹿な! 他の者は何をしていた!」


 騒ぐ気持ちもわからなくはない。

 いくら激しい戦闘中だったとはいえ、易々と武装した部外者を通すなど一流の軍隊としては有り得ない手落ち。


 指揮官とすれば叱責したくもなるだろう。

 マルセナに焼かれた手勢を除いても、まだ二百以上の騎士がいたはずなのに。


「聞こえてないと思うけど」


 残っている短剣は左手のと、背中にある炎の短剣。

 炎の短剣は刀身がない。マルセナを守るのには不向きだ。



「……そう、あんた」


 横たわる黒装束の女に、息を漏らした。


「ありがとう……マルセナを守ってくれたんだ」


 イリアの感謝など、喜ばないかもしれない。けれど。


 胸に突き刺さったままの短剣。

 見覚えがある。エトセンの騎士団長のものだ。

 マルセナを狙っていた。あれが襲ってきてクロエは死んだのか。



「……私も、意地悪だった。ごめん」


 似た者同士。

 同じ女を愛した者同士。

 胸に残っていたその短剣を引き抜いた。



「……使わせてもらう」

「イリア、どうして……」

「あのねマルセナ」


 こんな時に、聞く必要があるのだろうか。

 案外マルセナも察しが悪い。というか、彼女はきっときちんと言葉にしないとわからないのだ。

 不安を抱え、愛を疑い。


「愛している、マルセナ」

「……」

「他に理由なんてない。ただ貴女が好きなだけ」


 クロエの気持ちは伝わっただろうか。

 彼女もマルセナをただ愛して、その為に死んだ。


 伝わったに決まっている。だからこうして、敵に囲まれながらもクロエの亡骸を守るように戦っている。

 そのおかげでイリアもマルセナを見つけられた。また会えた。




「下らん。女らしい愚にもつかんことを」

「で、その下らない女に負けるの。あんたは」


 マルセナとの会話を邪魔した男に、嘲笑とともに顎で示してやった。

 イリアが抜けてきた場所を。


 マルセナを囲んでいた一角。

 倒れる数十の騎士。全て背中から一刺しの傷で。


「鈍い部下と一緒にね」

「暗殺者だと? これほどの」


 失礼な。

 人間同士の後ろ暗い足の引っ張り合いをするロッザロンドと違って、カナンラダ大陸に暗殺者などという生業はほとんどない。



「冒険者よ。斥候が主なんだけど」


 足音を忍ばせ敵に近付くのは得意だ。

 マルセナの魔法に目を奪われ警戒している連中なら、他愛もない。


 イリアが大きく成長したこともある。今のイリアはカナンラダ最高の強襲斥候。

 最高の魔法使いマルセナと並んで戦える双剣使い。



「英雄級の……こんな、次から次に……おのれぇ!」

「色々あるけど、マルセナ」


 話したいことはたくさんある。だけど今は。


「やるよ、こいつら全部」

「……ええ、わかりましたわ」


 見えないけれどわかる。マルセナが微笑んでいると。

 やわらかく、温かい吐息。



「洞窟でもない。ここなら遠慮もいりませんわね」

「うん、私が支援する」

「でしたら」


 いつか、洞窟内で無闇に魔法を放つなと言ったことを思い出しながら。


「思い切り、やって差し上げます」

「やっちゃって!」

「この不埒な馬鹿どもを殺せ!」



 一番に迫ったのは、おそらく残っている中では特に強者だったのだろう。

 勇者級の上級騎士。

 最初に動いたのが不運。


「ごぶっ……ふ、ふみこ、みが……」

「見え見え」


 タイミングを合わせ、ほんの少しだけずらして。その下腹に左の短剣を突き刺した。

 倒れながらイリアを掴もうとする手を、即座にバックステップで躱す。


「つ、強いぞ!」

「斥候だと思うな!」


 軽戦士に対して力押ししようとした騎士に、彼らの呼吸と違うステップで間合いを詰め、躱す。

 踊る。

 踊る。


「はぁっ!」

「くっ、うぇああぁ!」


 小盾で防ごうとした腕がそれごと斬られた。

 右手に持った短剣。クロエの命を奪ったこれはとてつもない業物だ。

 初めて使うのに、なぜだかイリアとずっと一緒にあったかのように馴染む。



「その短剣、割れた爪の薬指メディキナリスか」


 ノエミが言っていたかもしれない。ボルド・ガドランの左手の短剣は女神武器だと。


「かもね!」


 なるほど。女神の武器であるのならば、マルセナを守るイリアに馴染むのも当然。

 敵からもらった答えにほんの少し楽しさを覚え、再び踊る。


「この大陸の方が多いとは聞くが、忌々しい!」


 女神の遺物はカナンラダの方が多い。いくらかは海を渡ったとしても、全てを送ったわけではない。



「その女を殺し、女神の恩寵を取り返すのだ!」

「勝手なことばっかり!」

「本当に」


 イリアを狙う敵ばかりではない。マルセナに向かう騎士もいた。

 しかしマルセナも並ではない。手にした杖で向かってくる騎士をまとめて薙ぎ払う。


「ぶぇ」

「つよす、ぎ……」


「始樹の底より」


 殴りつけた杖から血の筋を残しながら、


「穿て灼熔の輝槍」


 紅蓮の槍が飛び散った血を焼き、連続で放たれた。

 敵の指揮官の後方に、五連、六連、七連と。


「う、おぉぉっ!?」

「まて……ぎゃあぁぁっ!」

「小癪、魔法使いを狙ったか!」


 魔法を放ったマルセナに迫ろうとした騎士を、再びイリアが切り裂く。

 さらに迫った敵と刃を合わせ、ふっと力を抜き前のめりになったところを蹴り飛ばした。



「マルセナに近づいていいわけないでしょ!」

「ですわね。緋焔の豪天より、炸け撃砕の隕星」


 息をつき、続けて掲げた杖の上から燃え盛る岩塊が敵の集団に落ちる。

 いくらかは迎撃する敵だが、全ては防ぎきれない。


「集団撃滅魔法を単独で!? うああぁ!」

「ばっ、おぉぉ!」

「英雄級の魔法使いならば有り得ようが! うろたえるでない!」



 そうは言うが、指揮官の男とて驚愕に動きを止めてしまっていたのだ。

 疲れを知らぬように強烈な魔法を連続で使い、しかし楽し気なマルセナと。

 そのマルセナと視線も交わさず、それでいてぴたりと息を合わせ、舞い踊るよう戦うイリアに。


 勝てないかもしれない。

 そう思ったからこそ自分から踏み出せなかった。

 指揮官の迷いが部隊の狼狽を招く。



「精鋭たる菫獅子の騎士が、情けない!」

「だったらあんたが来なよ」


 当初いた騎士どもは半減。

 先頭に立って戦っていたのが強者だとすれば、残った戦力は半分以下だ。

 動揺と怯え。そこに――




「さ、参謀長閣下! クィンテーロ様‼」

「?」


 町から一人の騎士が駆けてきた。

 ひどい有様で。


「報告! 火急の報告!」

「何事か、見苦しい!」


 取り乱し、まるで敗残兵のような様子で駆けつけ、ここの状況も分からず大声で喚く。

 騎士たちも何事かと動きを止め、イリア達もその言葉に耳を傾けた。



「侯爵閣下が……ニコディオ様がぁっ……」


 息も絶え絶えに、顔を涙と鼻水と血でぐじゃぐじゃにして。服も煤けてあちこち破れている。


「討ち死にを……ニコディオ様が戦死されました!」

「は――」



 言葉が途切れた。

 参謀長と呼ばれた指揮官も、報告を聞いた騎士の誰もが言葉を失う。


 口を開けたまま固まった参謀長たちの隙間を、秋の風が擦り抜けていく。

 雨の気配。近日中には雨が降りそうだとイリアは肌で感じた。



「ば……かな、何を……ふざけたことを」

「ふざけて言えることではございません!」


 そうだろう。総大将と思われる人物の死亡報告など。

 参謀長も混乱している。有り得ない事態だと。

 上が混乱するのでは、部下がどうなのか。



「へえ」


 見て明らかに足並みが乱れた。

 膝が曲がり、腰が下がり。

 怯え竦む様がこれほど明瞭なのも珍しい。


「遠慮はいらない、よね」

「栄光の騎士団らしいですから。容赦などしては失礼というものですわ」


 じゃあ、遠慮なく。


 ――ギンッ!


 参謀長の剣が、踏み込んだイリアの短剣を弾いた。

 片方だけ。


「うぐぁ!?」

「遅い!」


 混乱して判断が鈍り、状況も頭から抜けた。

 イリアが二刀であることすら抜け落ちて、反対の短剣がその足を深く切り裂く。



「炎よ! 炎よ! 炎よ!」

「む、むぅあぁぁぁっ!」


 マルセナが連続で放つ小さな火球が、参謀長とその周囲につぶてのように降り注いだ。



「後ろ、任せますわ!」

「うんっ」


 それでも戦意を失っていない騎士がマルセナの背後を突く。

 マルセナと入れ替わり、その槍を弾き返し腹を裂いた。



 代わりに前に立ったマルセナ。

 その前方には、参謀長を筆頭に残る百ほどの騎士どもが。


「深天の炎輪より」


 木製の魔術杖が、声を溜めるように小さく震える。


「叫べ狂焉の裂光」



 放たれた煌めく光熱の衝撃波は、残っていた騎士どもの体を飲み込み、その命ごと吹き飛ばした。

 いつか使った時に、周囲の木々を薙ぎ倒し死の林に変えた時のように。



 そういえば。

 今になって思い出す。今だから思い出す。


 なぜあの時、マルセナはあの異種族の女を殺さなかったのだろうか。

 あの時はただ倒せなかっただけだと思ったけれど。今この力を見れば、あれは何か……



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