第五幕 42話 今、駆ける
「お前は」
何を言えばいいのか、全然わからない。
「お前が、ソーシャを殺した」
「そうだ」
聞くまでもない。この人間の気配は覚えている。
忘れるはずがない。
「俺が、あの魔物を殺した」
「ソーシャはエシュメノのお母さんなんだ」
「そうか」
胸に残る濃緑色の魔石と、左右の短槍。
目に映るそれらを真っ直ぐに見据えたまま短く答えた。
「悪かったとは言わねえ」
「……」
「俺は人間で、あれは魔物だ」
謝らない。
「そんで、お前は清廊族だ。そこに善いも悪いもねえ」
「どんな生き物だって、そうでいることに善いも悪いもあるわけない」
「ああ」
ただ違うだけ。
それだけなのに。どうしてこうも相容れないのだろう。
「お前の母親だって言うんなら」
「……」
「それこそ、今さら言える言葉なんてねえだろ」
帰ってこない。
どんな言葉を尽くしても、取り返しなど出来ない。
男はそう言う。
「もういい」
話しても意味はない。答えもない。
分かり合うことも出来そうにない。
「だけど聞く」
角の生えた頭を小さく振ってから。
「お前は、またエシュメノの大事を殺すか?」
「……あぁ」
「エシュメノの大事な仲間を。家族を、これからも殺すのか?」
「ああ」
はっきりと頷いた。
どこかでまた建物が焼け崩れる音が響いてくる。
抜けた天井の上に雲が過ぎり、エシュメノと男の間に影を差した。
「何度聞かれたって同じだぜ」
背丈より大きな白い武器を掲げた。
「俺はエトセン騎士団の赤一番隊隊長。団長代行ビムベルク。人間を代表する最強の戦士だ」
己の立ち位置をはっきりとするように、軽く床を踏み直した。
「人間への脅威なら排除する。魔物でも何でも必要なら殺す」
「……」
「お前らの戦いもここまでだ、清廊……いや」
その巨大な獣の牙のような武器を手に、断ち切るように。
「母親んところに送ってやる、影陋族の娘!」
だったらそんな、泣きそうな子供みたいな顔はやめるべきなのだ。
エシュメノだったらそんな顔をしないのに。
ビムベルクの武器。濡牙槍と呼ぶが、槍なのか極大の剣にも鈍器にも思える。
エシュメノの左右の短槍とぶつかり合い、エシュメノを振り払う。
「っ!」
衝撃が凄まじい。
一撃で石床に亀裂が走り、吹き飛ばされたエシュメノが壁に足を着いた。
「やぁっ!」
「はえぇっ!?」
壁が爆散して、さらに建物が崩れる。
崩れるより速くビムベルクに迫ったエシュメノの右が濡牙槍で弾かれ、左は籠手で弾かれた。
濡牙槍だけではない。右手の籠手も黒鋼に光る何かで、左足の甲にはざらりとした質感の鱗のような紋様。
浮いたエシュメノを蹴り抜こうとした左足を、籠手で弾かれた反動で回転して避ける。
「すばしっこい!」
「お前は危ないやつ!」
全身が凶器のような戦士。
今の蹴りだって石の柱でも容易く砕くような威力だったし、鱗の足甲は掠っただけでも肉を抉られそう。
強い。
嵐の夜に戦った老爺よりも上だ。
あの時だって、ネネランとラッケルタの助けがなければ勝てなかった。今はエシュメノだけ。
エシュメノだけでやらなければ。
この男は駄目だ。
きっとこの男とエシュメノ以外を戦わせたら、死んでしまう。
ソーシャがそうだったように。
エシュメノの目の前で誰かが死ぬ。大事な仲間が。
アヴィかもしれない。ルゥナかもしれない。他の死なせたくない誰かかもしれない。
エシュメノがやる。エシュメノだけでやらなければ。
もう嫌だ。
誰かが死ぬのはもう嫌だ。
見ているところで死なせるのも、エシュメノが知らないところでだって。
さっき聞いた。
これからも清廊族を殺すと。
人間の敵だから、魔物も清廊族も殺すんだって。
それをさせない為には、今ここで倒すしかない。
エシュメノにしか出来ない。だから。
「やあぁ!」
着地した姿勢から、弾かれるように飛び込んだ。
巨大な武器を持つビムベルクに肉薄しての連続の突き。
「む、うぅ!」
ビムベルクをしても唸るほどの速さで。強さで。
光が瞬くほどの速さで左右から繰り出される槍。一撃弾くだけでビムベルクの足元の床にヒビが入っていく。
「ここまで、力を……っ」
「たあぁ!」
エシュメノは強くなった。ソーシャがくれた力と、アヴィ達と一緒に戦い鍛えてきた力。
これで守る。皆を。
「それでも、なぁ!」
人間最強の戦士ビムベルク。
わかっている。尋常な強さじゃないことくらい。
そうでなければ、ソーシャがやられるわけがないのだから。
「っ!」
「なんだと!?」
家を吹き飛ばす威力での高速の連続攻撃でも、呼吸を掴めば即座に対応する。
そう思った。わかっていた。
エシュメノの短槍をかち上げようとした動きが見えたわけではない。ただその空気を感じて読んだだけ。
一瞬だけ、突きをやめて一歩下がる。
「はっ!」
「ちぃっ!」
タイミングをずらされたビムベルクを貫く右の短槍。うねるような螺旋を描く紫の。
下がった溜めと共に打ち込むそれは、速度よりも威力を重視して。
ビムベルクの右の籠手が、やや無理な体勢で防ごうとした。その留め具と共に腕を切り裂く。
「くそっ!」
「うぶ!?」
左手に残っていた濡牙槍の柄が返ってくるのが避け切れなかった。
頬を浅く打たれ弾き飛ばされる。掠っただけなのに。
「ぐぅぅっ!」
床に落ちていた瓦礫にぶつかりながら転がり、咄嗟に両手の柄で床を強く叩いた。
「まだ動けんのか!」
「エシュメノは!」
床を叩く瞬間、短槍の柄が蹄のような形に変化していた。
ソーシャの足だ。どんな地形でも強く駆け、跳ねる。
エシュメノが転がった床、そこを叩き割った濡牙槍から跳躍して逃れた。
一瞬遅れていたら叩き潰されていただろう。
「負けない!」
「なんだぁ!?」
ソーシャはどんな野山でも駆け抜けた。
まるで空を駆けているかのようだと。
まさに。
ソーシャの蹄が空を駆ける。何もない宙空を走るように、エシュメノの身を躍らせた。
上下左右、自在に。
美しいニアミカルムの三角鬼馬。
自由に野山を駆けた偉大な魔物。それとよく似た姿の少女が、エトセンの崩れた大広間を縦横無尽に駆け巡った。
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