第五幕 41話 英雄の望む敵



「うどぉりゃああああぁぁ!」

「馬鹿なぁっ!?」


 菫色の肩当が砕け散った。

 破片がいくらか肌に突き刺さっていたが、特に意味はなかっただろう。


 濡牙槍マウリスクレスにより鎧と合わせて肋骨から背骨まで砕け、臓腑も破裂していた感触があった。

 肌の傷など関係ない。既に致命傷だ。



「が……は、ぶ……」


 血を吐き、痙攣する男。六将の一人だと名乗っていた。

 確かに言うだけの強さはあったが。



「……無事か?」


 周りを見る。

 血と肉と、壊された壁や燻る帷幕カーテン


 上を見れば、高い天井だったはずが、崩れて空が見える。

 煙る空。


 エトセン公邸の大広間。

 こんなひどい有様になるとは。

 何が菫獅子騎士団をここまで駆り立てているのか。これでは何も残らない。


 連中だって、勝利した暁にはこの場所を使うのではないのか。

 破壊する意味がわからない。



 意味がわからないと言うのなら他にも。

 指揮が混乱しているようだった。六将たる大幹部がここにいながら。


 戦っている途中で気付いたのではないか。ビムベルクと己の力量の差を。

 だというのに、まるで玉砕を覚悟するかのような無謀な戦闘を。


 退くに退けない。

 確かに始めてしまった以上、退路はない。勝利するより他には。

 だが今の六将やその部下の戦い方は、そういう雰囲気ではなくて。



「……は、は」

「生きてるか、ナドニメ」

「……これまで、ですかな」


 片腕を失い、ただでさえ悪い顔色がそれを通り越して死人の色に。

 倒れたまま力なく笑った。



「……わりぃ」

「なんの……これもまた、お役目……」

「……」

「主公は、奥座に」


 エトセン公ワットマは、その家族と共に奥に入った。

 いよいよ最期。

 ビムベルクが破られるのであれば後はない。ならば誇りを保つ自死を選ぶと。



「……役目、か」

「気に召されるな」


 暗くなったビムベルクに、妙に明るく感じる声音で応じるナドニメ。


「呪術師として、愛に従う者の手伝いが出来たと。我が命はまさに満たされん」

「……」


 強く、はっきりと言った後で、くたりと力を失った。

 残った片手で、懐から一つの瓶を取り出して。



「……だというのに」

「?」

「私も……まだ、人でありましょうや……」


 転げ落ちそうなそれを受け取る。


「……あなたの姿に、ほだされもうしたか」

「こいつは……」


 瓶の中を覗くと、緑色の液体が。



女神レセナは除く。肉髄に溜まる懈怠けたい揺り聲ゆりごえを。微睡まどろみ瀞膿とろうみ


 死にかけた身でナドニメは静かに唱え、笑った。



「あなたはまだ、彼女を守りたい、と……おっしゃるので、あらば」

「……助かる」

「なぁに……」


 疲労を回復する呪術薬だ。

 連戦でビムベルクの疲労もかなり溜まっている。今これは助かる。


「なに……ひとときの、場を……つな……」


 自嘲するような笑顔を浮かべ、その瞳が光を失った。


 そっと目を閉じさせ、横たえる。

 それからナドニメの残した薬を飲みほした。



「……まずい」


 どろりとした感触と、えぐみと苦み。

 吐きだしたくなる味だが、ナドニメが最後に残してくれたものだ。


 ビムベルクがここで守る。

 ここを守る限り、ワットマは死なない。

 ナドニメが言った通り、ひとときの場を繋ぐだけの意味しか持たないかもしれないが。




「……」


 敵が来ない。

 菫獅子騎士団の攻勢が止んだ。止むはずはないのだが。


 確かに相当な被害は与えたと思うが、壊滅したはずはない。

 何しろまだ敵には総大将ラドバーグ候ニコディオその人がいる。紛れもない最強格の大英雄。


 先ほどの六将はなぜそれを待たなかったのか。

 いや、主を戦わせるなど騎士の恥と言うのかもしれないが。それで負けて騎士の誇りと言えるのか。

 ビムベルクには理解できない。



 外からは聞こえる破壊音と怒声、悲鳴。戦いの音は止まない。

 まだ戦っている。

 菫獅子騎士団だけではない。火事場泥棒とか暴徒と化した住民、冒険者もいるだろう。


 もっと整然と攻めてくるという予想だったが、無秩序に破壊をばら撒いたような。

 菫獅子騎士団の考えが全く理解できない。



「……」


 敵が来ない。

 ビムベルクの役割はここでワットマを守ること。出ていくわけにもいかない。

 状況がどうなっているのか。



「……そうか」


 伝令ではなく、姿を現したそれを見れば。



「道理で……敵が来ねえわけだ」



 大広間の入り口に立つ小さな影。


 破れた天井の上の煙が、秋の冷たい風に吹かれ晴れる。

 高い秋の蒼天から差す陽光が、少女の額の角に影を作りながら照らし出した。



「……やっと、来たかよ」


 なんだ。

 この状況で、全く考えてもいなかったはずの相手なのに。

 なのにずっと待っていたような。

 最初からこうなることが分かっていたような。


 ぴたりと収まるような安堵さえ覚えて、誰もいない大広間で少女と向き合う。

 見間違えようはずもない。



「エシュメノ、だったな」

「そうだ」


 頷きもせず、真っ直ぐにビムベルクを見つめたまま。


「エシュメノは、全部守る。エシュメノが、今度は」

「そうか」


 おかしなものだ。

 今、守っているのはビムベルクの方で、攻めてきたのはこの少女の方だろうに。


 けれど、少女の真っ直ぐな瞳も言葉も間違ってなどいない。

 きっとビムベルクが守りたかったものと、エシュメノが守りたかったものは似ているのだろう。


 それはきっと、本当は何も変わらない――



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