第五幕 13話 彼と彼女を隔てるもの



「やな予感って奴だな」


 このまま済むとは思えない。

 かといって、何が起きるのか、どうするべきなのかもわからない。


 ビムベルクは自分が思い悩むのに向いていないことは知っていた。

 だけれど、ずっと。

 悩み、迷っていた。


「閣下……」


 ビムベルクを呼ぶ声は、どこか不安げに。

 その響きをずっと知っていながら聞こえない振りをして。



「すまねえな、スーリリャ」


 頭を掻いて詫びる。

 ずっと目を背けてきたことを。


「俺ぁお前を……どうすりゃあいいのか、わからなかったんだ」

「閣下が謝られることなどありません。私はただ感謝を……」

「親父の遺言でな」


 話したことがあっただろうか、なかっただろうか。

 どちらにしてもスーリリャは黙ってビムベルクの話を聞く。


「清廊族の一人くらいは救ってやれって、よ」



 はい、と頷いて、


「私は、救っていただきました」

「……違ったな。幸せにしてやれって言われたんだったか」


 確かに、スーリリャをひどい境遇から拾い上げることはした。

 だがそれで彼女を幸せにしたとは言えない。


 出来ていたのなら、こんな顔はさせなかっただろう。


「すまねえな」


 苦手だ。こういうのは得意ではない。

 エトセンの英雄だと持ち上げられても、ただの女相手に逃げ続けてきたことを自覚する。



「俺は今まで、お前に手を出したことはなかった」

「……はい」


 冒険者時代もそうだったし、その後も。

 スーリリャを女として触れたことはない。


「私は汚れた身ですから。閣下には――」

「そうじゃねえ」


 冒険者ギルドで、娼婦を兼ねた雑用係の奴隷として働かされていたスーリリャ。

 もうずっと昔のことだとは言っても、彼女には暗い過去がある。



「俺はそんなことを気にしてるわけじゃねえ」

「私が気にします」


 スーリリャがきっぱりと首を振った。


「既に私は、閣下のお気遣いで十分すぎるほどの幸福をいただいています。それを」

「ああ、まだるっこしい」


 もともと苦手なのだ。こういうのは。


「だいたいお前、それでいいって顔してねえだろうが」

「……」

「いや、わりぃ。そうじゃなかった」


 言葉を間違えた。言いたいことはそうではない。

 本当に苦手だ。こういう時、ツァリセならもっとうまく言うのかもしれないが、さすがに副官に女の口説きまで任せるわけにもいかない。



「……抱くぞ」

「ご随意に」

「あー、だからそれも違って……あのな、スーリリャ」


 奴隷のように応じるスーリリャにも苛立ち、頭を掻き、それからそっとスーリリャの頭に手を置いた。


「嫌なら断れ」

「そんなことは……」

「俺はお前を泣かせたくねえ、だからちゃんと言ってくれ。察するとかそういうのは苦手なんだよ、知ってんだろ」


 甘えだ。

 苦手だからそっちがやってくれ、と。



「明日には連中が入ってくる。俺だってどうなるかわかったもんじゃねえ」

「……」

「今夜くらいしか、お前とちゃんと話せる時間はないかもしれねえ」

「閣下……」

「俺は、よ」


 恰好をつけても仕方がない。

 強敵と戦うより腹積もりが必要だとは、これまで思ったこともなかったが。


「惚れてんだ。お前を、スーリリャ」


 宵闇の中、スーリリャの赤い瞳がビムベルクを映す。

 情けない顔の英雄様を。


「……お前に惚れてるんだ」


 はら、と。

 頬を伝う涙。


「……ビムベルク様」

「泣くほど嫌だってんなら」

「馬鹿を言わないで下さい」



 自信がない。

 惚れた女に好かれる自信。

 そして、それを幸せにする自信などあるはずがない。

 まして異種族の女。彼女の過去を思えば、どうやれば自分が幸せになどしてやれるのか。


 冒険者をやめてから十年ほど。

 ずっと目を背けてきた。これが出来る精一杯。他にどうすればいいかなどわからないと。



「私などに、もったいないお言葉です」

「お前がいいんだ。俺が惚れた女を悪く言うな」

「……はい」


 わずかに浮かんだ笑顔を見て、少しだけ落ち着きを取り戻し頬の涙を拭う。


「私も、ずっと、お慕い申し上げております。ビムベルク様」

「助けた恩なんかだったら気にすることぁ」

「ですから、もう……本当に察しの悪い方ですね。そういうことではなくて」


 気恥しさから出た言葉に頬を膨らませて、ふっと息を吐いた。


「スーリリャは、あなたの優しさに救われてきました。ビムベルク様と添い遂げることを夢見ていました」


 一歩、詰まる。

 スーリリャの手が、ビムベルクの脇から背に回された。



「……この想いを、お許し下さい」

「俺は……いや、スーリリャ」


 口から出そうになった言い訳を飲み込み、肩を抱く。



「俺の子を産んでくれ、スーリリャ」

「……」


 言うべきではない。口にすべきではない言葉で。

 どうしようもなくビムベルクとスーリリャの間を隔てる壁を、ことさらに明らかにするような。



 馬鹿だと思う。気が利かない。気遣いがない。

 けれど、他に言うべき言葉がわからない。


 有り得ないことだとわかっていても、つまりはその壁こそが人間と清廊族とを決定的に遮るもので、スーリリャとビムベルクを素直に出来なかった理由。

 奴隷と主人というだけではない。別の種族なのだから。本当の意味で結ばれるはずなど……



 息を飲んだスーリリャが、顔を上げてビムベルクを見つめて。


「……はい、喜んで」


 果たされるはずのない約束と共に、スーリリャとビムベルクが重なった。

 世界のどこにも遮るものがない距離に。



  ※   ※   ※ 


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