第五幕 14話 形のない愛
「愛でございますかな」
聖職者が言いそうなことを言う。
「愛に気付くことこそが呪術師への道かと」
怪しげな液体を容器から瓶に移しながらナドニメの言葉を聞かされる。
「はあ」
「誰かに教わるようなものでもありませぬゆえ」
ナドニメの言葉は曖昧で、けれど世界の真理などというものがあるのだとしたら、おそらくそれはやはりあやふやな形をしているのだろうな、とか。
「愛の表現も、また皆それぞれに違いましょう」
やはり形などないのだろう。
今、ツァリセが瓶に移しているとろみのある液体のように掴みどころがなく、ぬるりと形を変える。
「素質のない者は、いかに教え導こうと呪術師にはなれませぬ。素質があってもそこに至れぬ者も多いのも残念なところでありますな」
「僕には素質があるって本当だったんですか?」
「呪術師は嘘は言いませぬ。戯言を言わぬとは言わねども」
「それも、愛なんですか?」
「愛に飾りはあっても、偽りは不要でありましょう」
だとすれば、まるで自信がない。
ツァリセは今まで色々な偽りを用いて生きてきた。
好むと好まざるとを関わらず、誰かの為だったり自分の為だったり。
適度に相手に合わせて、相手の望む己を演じることでうまく立ち回って来た。
小器用なツァリセだ。別に苦手なことでもない。
「いずれ、あなたも気づくのでしょう。遠い先のことか、明日のことか。不意にそれと気づく」
「わかりませんよ、明日のことだって」
「呪術師とは難儀な生き物でありまして」
使い終わった道具を片付ける手を止めて、ツァリセを見て笑う。
「あれですな。自らを変わり者と知りながら、同好の士が増えるのを悦ぶ」
「自分の趣味趣向を広めたい、みたいな?」
「広めたいわけでもないのでしょうや。ただ、同じ愛を知る者が増えるのは、そう……なんとも言えぬものです」
ナドニメも、うまく説明する言葉が浮かばなかったようだ。
ただ何となくわからないでもない。
自分の好きな何かを、他にも好む誰かがいてほしい。かといって、万人にそれを広めたいと聞かれれば少し違う。
知る者だけ知っていればいい。閉ざされた輪の中での限られた広がりというか。
好みの料理店が、広く有名になってしまい人気を集めると疎外感を覚えるような。
昔はもっと味が良かっただとか、最初にあの店を見つけたのは自分だとか。そんな風に捻くれた気持ちを抱くことがある。
だから広まってほしいわけではない。
けれど誰かと共有したい。
「難儀なものですね、愛って」
「まさしく」
はは、と笑い合う。
「で、これは?」
「ツァリセ殿がお持ちになって下され。そう指示をいただいておりますゆえ」
「?」
出来上がった呪術薬。用途は聞いていない。もちろん材料も。
ブラックウーズの粘液のようなものが主成分に見えるが、明らかにした後に飲めとか言われたらきっと後悔する。
瓶が二つだから、たぶん二人分ということだろう。
「使わずに済むのならそれもよいかと。あって困るものでもありませぬ」
「はあ」
「これで私も愛に報いることが出来るとならば、無上の喜びと言えましょう。我が命、この為にあったと」
ずいぶんと大げさなことを。
まるでこれが最期のような発言を受け、やはりナドニメも同じなのかと感じる。
このままで済むとは思えない。
ただ激動の渦中で悪い想像を膨らませてしまっているだけなのか、本当に何かの予感なのか。
渦の中から先を見通すことは難しい。
「ツァリセ」
呼ばれた。
やや低いけれど少女の声で。
「休んでいて下さいと言ったじゃないですか」
「こんな中、寝てろっていうほうが無理じゃんか」
図太い神経をしているかというツァリセの見立ては違ったらしい。
力はあっても所詮は年若い少女。ハルマニーだって不安で寝付けないことくらいある。
「大丈夫ですって。貴女は民間人、いくら菫獅子騎士団でも」
「なんか嫌な気分なんだ。ネードラハの母様は何も言ってこないし」
そっちもあったか。
ハルマニーにとっては、このエトセンを取り巻く情勢よりもネードラハのことが気になって当然だ。
家族がいるネードラハの港町。
影陋族の襲撃を受け、それを撃退したという情報は聞いている。
だが同時に、あの飛竜騎士モッドザクスが死んだという噂も。
確かなことがわからない。
実家からの連絡もない状況で、ハルマニーが不安に思うのは無理もない。
「今はこういう時ですから、連絡がなかなか取れないだけですよ」
エトセン周辺に菫獅子騎士団が駐屯し、外との行き来を阻害している。民間人が通ったら殺されるというわけではないが。
情報が不足。
知らずにネードラハから何か連絡を取ろうとすれば、菫獅子騎士団に抑留、尋問くらいはされているかもしれない。
「イオエルの奴も当てになんねえ……爺様たちの指示を待てって、さ」
誰もが経験のない事態だ。
迂闊に動くことは出来ない。家令イオエルの役目は、ハルマニーの安全が最優先。
ここにいるのが安全かどうか。
かといって外に出れば、菫獅子騎士団に拘束されるかもしれないし、復讐の機会を窺っている影陋族に襲われる可能性もある。
領主ワットマが降伏する腹積もりを決めたのなら、この町で戦火が広がることは考えにくい。多少の混乱はあるとしても。
今はおとなしくして、ミルガーハ本家からの連絡を待つ。
イオエルの判断は順当だと思う。
「家族が心配なのはわかりますが……」
「はっ、心配いらねえよ」
ツァリセの言葉を受けて、強がりを思い出したように鼻で笑った。
「爺様も母様もものすっごく強いんだ。師匠と同じくらいだぞ」
「そんな噂は聞きますね」
「姉様は……それよりもっとおっかない」
僅かに表情が歪んだ。
頭に何かイヤな思い出でも浮かんだのだろう。
「あんなの人間じゃない。アタシが全力で打ち込んでるのに受け止めたり避けながら上級魔法で母様を迎撃したりするんだから」
「二人同時に?」
「怪我しないように手加減してるってさ。父様が呆れるくらい強いんだぞ」
ビムベルクだって常識外れだと思うのだが、今のハルマニーの話ではその上を行く。
ハルマニーの母ゾーイは英雄級の戦士だと聞く。
このハルマニーだって、ビムベルクが認めるだけの力を持つ。この年で勇者級を上回り英雄に迫るだけの力を。
それらをまとめて相手に出来るとか。それで魔法使いなんて有り得るのか。
「人間ですか、本当に」
「ありゃあ化け物……間違った。女神女神、姉様は女神なんだ。女神様の生まれ変わり」
「……そうですか」
化け物呼ばわりして痛い目に遭ったことがあるらしい。
聞いているはずもない、遠い地にいるはずの姉に対して言い繕う。
「そんな化け……いえ、すごいお姉さんがいるのなら、影陋族がどんな戦力でも敵うわけはありませんね」
なんでかお尻を庇うように押さえながら頷いているハルマニーの様子を見れば、嘘とは思えない。
他のミルガーハ本家の人員も考えると、影陋族では勝てないだろう。
仮にエトセン騎士団総力でも、ネードラハの全軍とミルガーハ一家が相手となれば勝てる見通しが立たない。
英雄級、勇者級の戦力は、熟練の精兵千人でも抑えきれない。
やはり相応の強者を、出来れば敵より多く当てる必要がある。
その上で、他の兵も相手にしなければならないとなれば、影陋族の数ではとても足りない。
連れているのが全員、上位の冒険者以上の戦力であれば可能かもしれないが。
だから敗れた。
エトセン対ネードラハといった人間同士の戦いであれば、民間であるミルガーハ家が出る必要はない。
だが、人間全てを復讐の対象とする影陋族が攻めてきたのだから、ミルガーハも冒険者も協力しただろう。
仮に今、エトセンにミルガーハ家のような戦力があったとして、彼らが協力してくれるということであれば。
菫獅子騎士団を防ぐことも可能だったかもしれない。
有り得ない仮定の話でしかないけれど。
「とにかく」
夜更けに騎士団本部に来るなど、状況を考えれば危険なことだ。
「ハルマニーさんは言った通り、町の宿で旅行者として……」
騎士団とは無関係な旅行者という方が、仮に何か厄介事が起きたとしても巻き込まれにくい。
菫獅子騎士団が入り混乱するのなら、それに乗じてネードラハに脱出したっていい。
今のように包囲されていなければ、ハルマニーとイオエルならどうにでもなるはず。
「っても、な」
少しバツが悪そうに。
「イオエルに黙って出てきちまった。もうじき夜明けだし……」
非常時に言いつけを守らなかったと。叱られるのが嫌だと思うならおとなしくしていればいいのに。
「それこそ、夜が明けたらどうなるか――」
意図せず状況が動くかもしれない。
そんな予感をツァリセが口にしたから。
爆音と地響きが、夜明け前のエトセンの静けさを打ち破った。
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