第五幕 12話 由無き戦い
難癖に過ぎない。
エトセンを慰労訪問した菫獅子騎士団の幹部が、何者かの襲撃を受けて命を落としたなど。
命を落としたのは事実だが、襲撃を受けたとは言ってくれる。
仕掛けてきたのはそっちだと言ってやりたいが、最初からこれは難癖をつける為のこと。
仮にその襲撃者を逃していたとしても、別のやり口で理由は作っただろう。
ボルド・ガドランは逃げ延びた。
敵の出方は難しくなったはずだが、対抗勢力として存在していたアトレ・ケノスが影陋族との戦いで疲弊した。
ならばこの機に強引に話を進めようと。
話し合いではない。
一方的に、強引に、暴力的に。
アトレ・ケノスや影陋族が十分な戦力を有して脅威だったとしたら、判断はもっと難しかったはず。
口惜しい。
ルラバダール内部ではなく、外の状況が強引なやり口を許した。
それをどうこう言っても仕方ないが。
エトセン公ワットマ・ロザロ・クルス。
ロザロの姓は、このカナンラダの総領としてここに渡った際に当時の国王から送られたもの。
ロッザロンド大陸からの責任者として、と。
それもここまで。
父祖に申し訳ないが、ワットマが選べる道はもうなかった。
「……町の者や、騎士団の馬鹿どもに無茶はさせられん」
勝ち目のない戦にしかならない。
大人しく相手の条件を飲めば、ラドバーグ侯爵とてそう無体な扱いはするまい。
ようは傘下に入る形だ。
ラドバーグ侯爵を親として、エトセンを始めカナンラダの統治について彼の下に着くと。
先にその約定を交わしてしまえば、もうワットマに実権はない。後から来た別の騎士団に対しては、親であるラドバーグ侯爵を通さねば何も許可出来ないようになる。
ここで抗えば、待つのは多くの死ばかり。
自由を求めて戦うなど恰好のいいことを言って、住民と部下たちを苦しめるわけにはいかない。
選べる道は一つだけだった。
少し前ならば違った。
ネードラハから訪れた飛竜騎士。敵国の将。
彼の話に乗っていたのなら。
今さらだ。
誰も今の状況を予測できなかった。
選ばなかった道を今になって惜しんでも引き返すことは出来ない。
住民にとっては為政者が変わるだけ。
兵にとっては、指揮官が変わるだけ。
多かれ少なかれいつでも変化はある。それが予想しない形で訪れただけのこと。
「明日の朝、返事を出そう」
エトセン外周の城壁に押し寄せた軍勢から口上があった。
明日正午までに城門を開け受け入れるように。
随分と猶予をくれるものだ。
相手も時間をかけたいはずはない。
軍隊行動を維持するのは労力が必要だし、雇い入れた冒険者などの数も馬鹿にならない。
余裕があるという構えを見せている。
ただ、期限を過ぎれば容赦はないだろう。遊びでやっているわけではない。
「いや、私が出よう」
「ワットマ様」
「その方がラドバーグ侯爵の顔も立つ。
実際的には降伏だ。
外面を取り繕おうとすれば、相手を不愉快にするだけ。
ワットマがラドバーグ侯爵の下であると明確に示す方が心証はいい。
エトセンの住民と部下を守る。
それが領主としてワットマが出来る最善手。
「ビムベルクは?」
「ふざけが過ぎて町に投石した冒険者どもに向けて睨みを利かせています」
町を包囲しているのは菫獅子騎士団だけではない。
本隊は少し離れた場所に。城壁に近いのは傭兵の冒険者の部隊だった。
「投げた石が空中で粉々になるのを見て連中もやめたようですが」
「冒険者の頭を砕いていないのならいい。彼らもルラバダール領の者だ」
港町ゴディやその周辺で集めた傭兵と思われる。エトセンの民ではないが自国民のはず。
無用に殺せば、町を開けた後に面倒なことになるのは目に見えている。
とはいえ、投石などを放置してさらに過剰な行動に出られても困るのだから、ビムベルクの示威行為も無駄ではない。
「ビムベルクだけではありません。エトセン騎士団は皆、ワットマ様の命があれば」
ボルド・ガドランが失踪。ビムベルクが城壁に立つ中、ワットマの傍に控える副団長のサロモンテは、あまり感情的なことを言う性質ではないはず。
そんな彼でも、エトセンを包囲され領主が降る決意をする中では、冷静さを欠く発言が漏れた。
「気持ちだけは嬉しく思う。サロモンテ」
騎士は政治家ではない。武人らしい物言いを咎めはしない。
「私の命は、エトセンの民を守れ、だ。我が立場の為に死ねとは言わんよ」
それに、と続けた。
「死ぬのは悪くても私と我が一族だけだろう。そもそも誰も死なない公算の方が高い」
笑ってみせる。
領主として上に立った者が、王でもない誰かに膝を着く屈辱というのは、それは確かに耐えがたいものと思わなくもないが。
「私の立場がなくなり、食事の質が落ちるのは仕方がない。ラドバーグ候の命であちこちに彼の正当性を説明に走らねばならなくなるかもしれん」
使い走りのような仕事も押し付けられるだろう。
「家族を人質に取られることもな。末の娘は、ラドバーグ候と縁を結ぶことも考えられる」
政略結婚など珍しくもない。
ラドバーグ侯爵家がエトセン公にとって代わる為に、そういう縁組も有り得る。
「貴族の浮き沈みなどいつの時代もあること。騎士が守るものは主君かもしれんが、このエトセンではエトセンとルラバダールの民でいい」
「……そういう方だからこそ、お仕えしたいと思うものです」
「どうだ、私は政治家向きだろう?」
「不向きゆえに、損をされる」
二人で苦笑を浮かべ、それから声に出して笑った。
「はは、気にするな」
「団長がおられれば……いえ、不甲斐ない己を恥じます」
ボルド・ガドランがいればどうにかなったのか。
そうではない。
いたとしても、このカナンラダ大陸全体の情勢の変化に何が出来たのか。
よかれと思ったことが悪い方に転ぶこともある。
アトレ・ケノスとの共闘にしろ、トゴールトへの遠征にしても。
何を選べばよかったのか。この先も何を選ぶべきなのか。
誰も分からない。
ワットマはボルドを信頼し、ボルドは己の信念に従い騎士団を率いた。
その結果がこれならば、もっとよい道などなかったのだ。そう思わねばやっていられない。
「影陋族に滅ぼされたイスフィロセ」
遠くの異国の町を思う。
「魔物に食われたトゴールト。それらと比べて」
虐げてきた者からの苛烈な復讐に滅びるか。
魔物を使役する者に支配されるか。
それらと比較すれば今のエトセンの状況は。
「身内での下らぬ争いに過ぎぬ。よくある人間の歴史の繰り返しだ」
それだけに救いようがない。
誇りや生存を賭けて戦う姿勢と見比べるには、歴史ある国家としてあまりにも情けないと思わずにはいられなかった。
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