第五幕 11話 師の導き_2
「みんないなくなっちゃったんだ、ジルダ!」
駆けこんできたのは、幼い少年。
ダァバが子供のような口調で喋るのとは違い、本当に年の若い子供。
「助け――? ジルダ……この人は?」
「礼儀のなってない子供だね。呪術の才能もなさそうだ」
「我が師でございますよ。若様。うぇっうぇ」
屋敷に残っていたミルガーハ家の直系。
リュドミラとハルマニーの弟ユゼフ・ミルガーハ。
「こ、ここはミルガーハの屋敷なんだ! ジルダの師匠だって言ったって」
果敢にも、というか、無謀にも、と言うか。
才能がないと評したダァバに食って掛かる。
祖父と、父母、そして姉もいない中、この屋敷を守るのは自分だという自負があったのかもしれない。
でなければ、さほど気の強い性格でもない。
ジルダのことだって怖がってほとんど近付かないような少年なのだから。
「燃えているみたいだけれど?」
火を放った当事者が、事も無げにそれを言う。
ああ、炎の魔法を使わず道具を使っていた理由についても、ここでようやくジルダは思い至った。
彼の生まれを考えれば、炎の魔法は使えまい。
あれらは炎の魔法に対する才能がない。存在を歪め作り変える呪術や、世界を拒絶する守護魔法ほど不適合ではないにしろ。炎の魔法は苦手なはず。
それを補う手立てとして、あまり見向きされていなかった火薬の改良をしていたのか。
「う、うるさい! 姉様がいればこんなの……そうだ、ジルダ」
即座にダァバが手を下すことはなかった。
子供の言うことだと放置したのか、放っておけば火災で焼け出されて死ぬと見たのか。
「ハルマニー姉様はエトセンにいる。一緒にリュドミラ姉様を探しに行けば、きっと」
ここ数日のユゼフは、急激な環境の変化についていけず半ば放心していた。
おそらく周囲の者は、このままではミルガーハも没落するのではと不安を感じていたのだろう。
そこにきて、町を襲った爆炎と暴動。これを機にユゼフを放置して逃げ出したのか。
「エトセンでございますかの」
我に返ったユゼフの傍には誰もいなかった。
あちこちで燃え広がる火災と狂乱の中、どうすればいいかと少年は考えた。
ジルダなら、この騒ぎでもここにいると。
居場所が確かで頼れる姉のハルマニー。
そこに行くまでの手立ては、ユゼフだけではとても覚束ない。
火事を消し止めることだって出来ない。それならエトセンにどうにかして行こうと。
苦手なジルダに助けを求めようとした。少年の勇気の精一杯というところ。
「……まあ、君は好きにすればいいんじゃないかな。ジルダ」
ジルダが助けるほどの興味はない。
ユゼフはリュドミラほどの才覚があるわけでもないし、ダァバが言った通り呪術の才能もない。
しかし、ダァバはどうでもいいと言いながらも、助けてやればと促しているようでもあった。
「僕はもう行くよ」
用事が済んだここから出ていく区切りとしたかっただけか。
ダァバが外に出ていく。先ほどユゼフが勢いよく開けたドアから。
この建物も火が回ってきた。そろそろ出なければジルダも危険だろう。
自分だけならここで死んでも構わないと思っていたが。
「ジルダ、僕と一緒に姉様を……」
「ババもひい様には弱いものですからのう」
気まぐれにダァバが見逃した少年の訴えに、ふうと息を吐いて立ち上がった。
リュドミラが大事にしている幼い弟だ。
見殺しにすることもない。それに生来、年若い少年はジルダの好むところでもある。
「行きますかのう」
差し伸べられた小さな手は、子供らしい温かさ。
みずみずしい。
渇ききったジルダの手とはまるで違う。
「……?」
焼け始めた建物から外に出て、立ち止った。
屋敷の本館は既にかなり燃えている。
町への火の広がりも早い。先日の戦の後、嵐が過ぎてから晴れた日が続いたので、燃えやすい環境だったか。
海からの風に乗り、町全体に火の手が。
「……どうかされましたかの?」
立ち止り、訊ねる。
「行かれるかと」
「そう思ったんだけど、さ」
出た先でダァバが待っていた。
このままではダァバとて煙と火の手に襲われる。ゆっくりしている時間はないと思ったが。
「誰もいない、ってさっき言ってたよね。君」
「そ、そうだ。誰も――」
「ここの」
本館と、ジルダが使っている離れとの間の庭。
そこにはうずくまる二つの小さな塊が。
「彼らは?」
「それは影陋族だ。荷物を運ばせるんだ」
「いるんじゃないか。他にも誰か」
小さな清廊族。シペーとテク。
リュドミラが最近気に入っていた奴隷だ。
命令もなく屋敷に残されていたのは不思議はない。それをユゼフが使役することもわかる。
「……ちょうどいいや、ジルダ」
ダァバが手を翳した。
うずくまる二つの塊の上に。
「ひっ!?」
「シペー、ぼく……」
ぽとりと、血が落ちた。
黒い血が……黒い?
「試したいことがあるんだ」
爽やかな。
たぶんダァバはそういうつもりなのだろう。皺の深い顔でそうされると、なんだか気狂いのような笑顔にしか見えないが。
「清廊族と、統一帝の血の混じった人間。それと呪術師」
うんうん、と頷いて。
「せっかく僕の為に揃った材料を無駄にするのはもったいないよね」
「ひぁぁ!」
「テク! いやだぁ!」
どろりと、ダァバが垂らした黒い血が広がった。
清廊族の少年たちを包み込み、捕らえる。
「な、何を……」
後ずさるユゼフの震える肩に、ジルダがそっと渇いた手を置いた。
この子はリュドミラが大切にしている。出来ることなら逃がしてやりたいが。
「ねえ、ジルダ」
いいことを考え付いたと。
「君なら思うだろう?」
もがくシペーとテクと、震えるユゼフ。
「この子たちと交わりたいって」
「……師、ダァバ」
震えるジルダ。
「一つになりたいって」
問い掛けるダァバ。
「こないだはうまくいかなかったけど、やっぱり必要なんじゃないかな。愛が」
試して、失敗して、また試す。
ダァバの行いは昔と変わらない。
ジルダは、かつての師がまるで変っていないことを悟った。
そして自分自身も。
「さすがでございます、我が師」
がしりと、震えるユゼフの両肩を掴んだ。
「まさに、まさしく! うぇっうぇっうぇっうぇ!」
「じ、ジルダ!?」
「ババはですな、このババはですなぁ」
後ろから覗き込む。ユゼフの顔を。
「ひい様の大事な大事な若様と、ひい様が寵愛する清廊族。それはもう、それはもう」
唾を飛ばして涎を垂らして。
「さすがは我が師ダァバ。このジルダの欲をババ以上にご存じじゃった」
「
「やめ――‼」
「シペーっ!」
「テク、逃げ――」
「うぇえぇっうぇっうぇっ!」
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