第五幕 08話 一つだけ選べる道



 収穫期を過ぎた穀物が刈り取られることもなく乾いた色に変わり、だいぶ涼しくなった風に煽られ踊るように波打つ。

 薄く青い空は高く、メメトハの閉塞した心をさらに小さく感じさせた。



 空を過ぎる白い煌き。町の城壁から眺める雪鱗舞の美しい姿に息が漏れる。

 ウヤルカたちの体調はまだまだ芳しくない。

 連戦の中での無理も祟っている。


 アヴィは少しだけ良くなった。

 意識は相変わらずだが、ルゥナではなくとも、セサーカやエシュメノ、メメトハでも落ち着かせることが出来るように。


 目覚めてからの狂乱も軽くなったので拘束具から寝台に移したけれど、万一の為に今も綱で繋いでいる。可哀そうだがどうしようもない。

 とりあえず汁物の食事や入浴程度は誰かが付き添えば出来るようになったから、この十日ほどで改善したと言える。



「……どう出るかのう」


 不安は尽きない。


 南の町、ネードラハからの追手がないことも不気味。

 西側の勢力がどうなっているか、偵察からの報告では各地で暴動が起きていたのだとか。


 兵士以外の人間の多くは逃げ延びている。皆殺しにできたわけではない。

 数十万、あるいはそれ以上の難民。

 今、メメトハの眼下に広がる実りなどは、その人間どもの糧になるはずだったのだろう。


 清廊族よりも遥かに数の多い人間。

 人間の強みだと思っていたそれが付け入る隙になっている。殺すことでこちらが力を増すことも含めて。



 蓄えはあるはず。

 それを分け合えば、この冬を乗り越えることは可能なのではないか。


 計算上はそうでも、自己保身や猜疑心がある以上は理屈通りに動けない。

 今はよくてもその先はどうなるのか。急に増えた大量の余所者に食わせ続けるまでの余裕はない。

 なら仕事を与えればと言っても、一朝一夕にできることでもない。


 未開地の開拓を考えたところで、結局は開拓しやすい場所は既に手が入っている。

 水源と住居の確保がやりにくい場所なら用意できるだろうが、そこで生活基盤を整えるのにどれだけ時間がかかるか。



 まして今の状況は、人間から見ればいつ清廊族に襲われるかわからない。

 町に暮らす者から見ても、この不安定な状況で自分たちの蓄えを余所者に配るなど許せるものか。

 為政者としても、難民に配慮しすぎれば住民からの不満が爆発する。


 爆発した結果が暴動か。

 取り締まる兵士の編成もままならず、暴動が暴動を呼ぶ。

 人間どもの利己的な攻撃性は、これまで清廊族を苦しめてきた原動力でもあるが、今は同じ人間に向かった。



 西部はいい。

 おそらく当面はこちらへの組織だった攻撃はないだろう。

 暴動がこちらに波及するかもしれないが、まともな武装もない群衆なら死を与えるだけだ。

 人間どもと違い、清廊族であるメメトハ達が難民に手心を加える理由はひとつもないのだから。


 問題は力を保っている南の港町と、それ以上の脅威が大陸中央側の人間の大都市。

 この町から東に十数日進んだ先にあると言う町、エトセン。

 噂では、大陸最強と謳われる軍を持つ町なのだとか。


 真偽はわからないが、冒険者から聞き出した話もある。

 昨年から魔物が山から溢れ出したと。春先に東部へ遠征して魔物と戦い、エトセンの軍も少なくない被害を出したと言う。



 噂話で真偽はわからない。

 だが、信じるに値する部分もある。


 昨年、山から魔物が溢れ出した。

 クジャでもそうだった。


 異常な成り立ちの混じりものが山に入り、真なる清廊の祠を荒らし、ニアミカルムを守る魔法を消した。


 あれをきっかけに山から魔物が溢れ出したのが、北部に限るわけもない。

 南部でも同じことがあったとして不思議はない。


 ニアミカルム山脈には多くの魔物が住む。

 溢れた中には千年級の伝説の魔物もいたかもしれない。

 いかに強力な軍でも、レジッサや殻蝲蛄のようなものが相手となれば被害も少なくないはず。


 クジャでは魔物の襲来に苦い思いをさせられたが、魔物にとっては清廊族も人間も区別などない。

 嵐などと同じ。



「……できれば、のう」


 脅威らしいものが見当たらなかったのか、ユキリンがメメトハのすぐ上まで戻ってきていた。

 城壁に降りてきたユキリンを撫でる。


「このまま動かずにいてもらいたいものじゃが」


 エトセンの町に集まっているという大軍。

 魔物との戦いで被害を受けた町に、このタイミングで兵が集まる。


「そうはいかぬ、か」


 口に上った考えは甘い。甘すぎる。

 町から溢れるほどの軍勢を集めてどうするのか。考えるまでもない。

 こちらに向けられる軍だ。



「メメトハ、休んで下さいと言いました」

「見ていないと心が休まらんのでな。おぬしと同じじゃ」


 東門の城壁に登って来たルゥナの不満そうな顔に返す。


 偵察は出しているが、やはり自分の目で見ないと不安がある。

 メメトハもルゥナも同じだ。



「今夜はアヴィをお願いしたいと」

「ああ、構わぬ」


 交代でアヴィの傍に付き添う。

 どれだけ言ってもなかなか離れないセサーカもいるが。


「この様子なら、ほどなく正気に戻るじゃろう」

「……そうですね」


 慰めの言葉。

 ルゥナに対して、そしてメメトハ自身もそう思いたいから。


 アヴィと寄り添い眠るのは嫌いではない。

 眠っている時のアヴィは幼子のような表情で、メメトハの小さな胸に額を擦りつけたりすることもある。

 可愛い。



 色々と思う所もあったが、サジュでアヴィと交わった経験は悪くなかった。あれで互いの結びつきが強まったのは間違いない。

 嵐の中、敵を挟んで逆にいたアヴィと共感で通じ合えたのも、メメトハとアヴィが肌を重ねて心を開いたから。たぶん。


 全体への指示などがなければずっとアヴィの傍にいてやりたいが、それはルゥナも同じか。

 今は少しでも態勢を整え、人間どもの動きに対処しなければならない。


 ここに辿り着いてから今まで何もないのが有り難い。このまま皆が回復するまで何もなければいいと思うが、そうもいかないだろう。



「おそらくは」


 ルゥナもわかっているかもしれないが、考えを擦り合わせる為に言葉にした。


「東のエトセンに集まった軍は多すぎるのじゃろう」

「……ええ」

「多すぎて、まとめるのに時間がかかっておる。臨時で集めた余所者のようじゃと物見も言っておった」


 元々の町の者なら、町の外に陣を布いて寝泊まりなどするまい。


「人間どもの習慣にはさほど詳しくありませんが、掲げている旗も町と違うという話です」

「足並みが揃わぬゆえ即座に進攻してこなかった。こちらとすれば、今はその時間が有り難いところじゃの」


 もし敵が数が揃った段階でこのヘズに、あるいはサジュに進攻していたのなら。

 逃げる足も遅くなったメメトハ達は飲み込まれ、さらに多くの犠牲を出していたはず。

 アヴィやウヤルカが体を休める時間もなく、全滅していた可能性も少なくなかった。



「姉神が、ほんのわずかでも手を貸して下さったのかもしれん」

「そうですね」


 目に見えない力など当てにしてはいけないが、ルゥナも否定はしなかった。


 敗戦の痛手からの絶望的状況。

 そんな中でのこの休息は、十分ではないにしろメメトハ達の心を安んじてくれた。


 冷静さを取り戻す。

 狂乱したアヴィとは違っても、ルゥナもメメトハの気持ちも八方塞がりではなくなった。


 このままなら、逃げる程度の算段はつけられる。

 その時間的猶予をくれたものが、姉神の計らいだと言ってみれば、神が清廊族を助けてくれているような気にならないだろうか。



「今のウヤルカではユキリンに乗るのもつらいでしょう」

「落ちなくとも、あれで飛翔などすればすぐ血反吐を吐いて死ぬわ」


 ユキリンの動きは速いが、それだけに乗っている者には負担がかかる。

 ゆっくり飛ぶのでは敵から見ればただの的だ。


 それでも、ウヤルカが自力でユキリンに乗り逃げられるようになれば、撤退は少し楽になる。

 戦うのではなく逃げるのなら。どうにか。



「……出直し、かの」

「それが望めるだけ幸いです」


 頷くルゥナだが、表情は明るくない。


 人間の数の多さ。

 付け入る隙になっているが、やはりそれは脅威なのだ。


「もう一度、やり直せるのなら」

「……そうじゃの」


 頷くしかない。

 今の状況で大軍を打ち破る手段はなく、ここで戦っても無駄死にしかならない。

 選べる道は一つ。



「……」


 ルゥナとメメトハ以外にわかっている者がどれだけいるだろうか。

 その道は、今までよりもさらに細く険しいものになると。


 清廊族の攻勢を脅威と知った人間が、今までとは違う対応をしてくる。

 準備を整え、さらに数を揃えて。

 出来る限り早い段階でこの大陸にいる人間勢力を壊滅させたかった。しかし今この状況となっては、それも無理な話。



 清廊族の未来を紡ぐ道は、蜘蛛の糸よりも頼りなく、溜腑峠の沼よりも深いぬかるみ。


 しかしルゥナの言う通りだ。

 その道はかつて見えてすらいなかったもの。

 選べるだけ幸いだと、頷くしかなかった。



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