第五幕 07話 敗戦の将、形無きものに悄悄と縋る_2



「……アヴィ」


 力を失い眠る彼女に願う。


「誰も……母さんも、貴女にこんな風に傷ついてほしくないんですよ」


 己の心身を削って戦うアヴィに助けてもらったけれど、こんなことを望む仲間はいない。



「どうすれば……私は、どうしたら……」


 眠るアヴィの耳に揺れる黒い石。

 ソーシャが作ってくれた耳飾り。ソーシャの涙と、母さんが遺した黒い石と。


 アヴィの心に届かないだろうか。

 母さんの本当の気持ちは。

 言葉を交わしたわけではないけれど、濁塑滔の残した意志については他の伝説の魔物からも聞いている。


 慈しみ、労わる気持ち。

 こんなに傷つきながら戦う娘を見たいはずがない。


「ソーシャ……母さん、どうか」



 不安は尽きない。

 アヴィは本当に元のように戻れるのか。

 回復出来ないのなら、北部に連れて帰りルゥナがずっと見ていたっていい。


「一緒に、ずっと眠り続けたって……」


 アヴィと共に眠り、共に夢を見る。永遠に。

 そういう未来もルゥナにとっては幸せなのかもしれない。



 けれど、それでは戦いはどうなるのか。

 今だっていつ人間の追撃があるかわからない状況だ。

 西部の国も壊滅的な被害を与えたが、全滅しているわけではない。

 復讐の為、数を揃えて攻めてくるかもしれない。


 南部中央から東部にかけては人間の勢力下だ。

 まだこの大陸にどれだけの敵がいるか。

 ここだけではない。人間の本拠は別の大陸で、清廊族の反攻に対して援軍が派遣されるのも当然予想している。海の向こうだからすぐではないにしても。


 遠いことではなく近くで悪い情報として、このヘズの町から東にいった大都市に大軍が集まっているという報告もあった。

 これだけ攻め込んだのだから、敵が対応策を取らないと考える方がおかしい。



 先の戦いで勝利していたら。

 仮定の話だが、まだ戦える望みはあった。

 大軍といっても兵士の数が多いだけなら、敵の攻勢を凌いで打ち破れたと思う。


 しかし現実に敗北を喫し、戦力は半減。その結果でも運が良かったと。

 負傷者も多く満足に戦える状態ではない。

 アヴィやウヤルカを筆頭に、動かすことも難しい重傷者も多い。逃げることもままならない。


 時間が必要だ。

 西から、南から、東から。

 人間の手が伸びてくるのを警戒しながら、今は少しでも皆を回復させる。

 間に合わないのなら、誰かを犠牲にしてでもアヴィを逃がさなければ。



「……どうすれば」


 アヴィのことも、仲間たちのことも。

 手立てがない。時間が必要で、その時間がどれほど与えられるのか。


「せめて今は体を休めるしか」


 戦い続けてきた。

 皆、疲れ切っている。敗戦の後ということもある。


 セサーカに休息を取れと言った。

 他のみなにも、出来る限り休んでもらう。


「これが最後……いえ、そうならないように」


 口から零れそうになった言葉を飲み込み、首を振った。



 幸い、すぐにここに迫る敵の姿はない。

 偵察部隊も交代で休息させる。

 食料の備蓄は、清廊族より遥かに多かった人間の蓄えがあった。遠慮はいらない。元は清廊族が手にすべき恵みだ。


 よく食べ、よく眠る。

 思い悩んでも答えはなく、今の状況で選べることはそれくらいしかなかった。



 だけど。


「……贅沢、ですね」


 奴隷として、あるいは貧しい土地に追い立てられ生活していた身からすれば、こんなことでも贅沢な話だ。


 敗戦に気落ちしている仲間たちを元気づける材料になるだろうか。

 もう少しアヴィが落ち着いたら、彼女にも食事は必要だ。

 食べやすいものを。

 とりあえずは飲めるよう汁物にして。


 あの洞窟で暮らしていた頃のアヴィは、母さんとどういう食生活だったのだろうか。

 母さんはアヴィに柔らかい肉を譲ってくれたと話していた。


 もしかしたら今のルゥナと同じように、アヴィの食事について思い悩んだこともあったのかもしれない。

 何でも食べる粘液状の魔物なのに、アヴィの食生活に。



「母さん……」


 耳飾りに願う。


「アヴィを、助けて下さい」


 何かに願い事なんて、久しくした覚えがなかったけれど。



 ああ、と。理解する。

 これは違う。アヴィを助けてほしいのではない。


 ――私を、助けて下さい。


 敗戦で弱気になっているのだ。ルゥナもまた。

 自分でどうにもならない事態に対して、誰か助けてと縋りたいのだと自覚する。

 今まではアヴィが助けてくれた。



 助けてほしい。

 救ってほしい。

 ほとんど関りのなかったゲル状の魔物にそう願うのは厚かましいかもしれない。


 だけど、どうしようもないほどルゥナも追い込まれていて。

 死んだ魔物にだって縋りたい。

 わずかな時間だったけれど、ルゥナが目にした母さんの姿はアヴィの母として十分すぎるほど強かった。


 母さんならきっと助けてくれる。

 祈りや願いで何かが叶うわけではないとわかっていても。


 負け戦に誰より心を弱らせたのはルゥナで、縋る何かがないとルゥナも気をおかしくしてしまいそうだった。



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