第五幕 09話 女神の誘い



「ほう、確かか」

「はっ」


 片膝を着き首を垂れ、はっきりと応じる見事な装具の騎士。


「間違いございません、侯爵閣下」


 灰色の布地にすみれ色の縁取り。

 菫獅子騎士団の上級騎士の報告を受け、椅子に座る壮年の男は鷹揚に頷いた。



「ネードラハ軍と影陋族の反乱軍の衝突はネードラハの勝利。反乱軍のおよそ半数、千を超える影陋族の兵が死亡。ネードラハの被害もその倍は下りません」

「ふむ」

「確かな情報として、ネードラハの主力である飛竜騎士モズ・モッドザクスが戦死。影陋族共はこの西のヘズに逃げ延びております」

「そうか、そうか」


 改めて報告を受けたラドバーグ侯爵は、二度の頷きを持って答えた。

 噛み締めるように。

 漏れ出しそうな笑いを耐えて、隣に控える男に顎を向ける。



「どう思う、参謀長」

「まさに、天の差配。女神が主君に与えたもうた時運かと」

「言いおるわ」


 おべっかに聞こえる言葉を鼻で笑いながらも、機嫌は悪くない。

 実際に期待通りの展開。期待以上の推移。

 女神が味方していると言う参謀長エルナン・クィンテーロの言い様は、ラドバーグ候ニコディオの思いと同じであった。


 というのも自然な話。

 参謀長であるクィンテーロは、主ニコディオの性格をよく知っている。

 意に沿わぬことは言わない。だからこそ参謀長という席にある。


 無論、危険を感じるのであれば進言する。

 機嫌を損なわないよう気を配りながらの苦言もできた。

 けれど今は、期待通りに展開している状況だ。苦言を呈する場面ではない。



「東のマステス、トゴールトは壊滅。西部は影陋族の反乱で混乱、疲弊。今この大陸にニコディオ様の邪魔を出来る者などおりません」

「女神の差配か」

「閣下の先見があればこそ。この機にここにあることこそが答えでありましょう」


 歴史を振り返っても、成功者には共通した部分がある。

 時代が味方したという。

 逆に、それを味方にできずに成功したという例はほとんどない。


 それは本当に神の手によるもののような時運の良さ。

 歴史の境目。そこに自分が立ち会うことになるとは、ラドバーグ候ニコディオにしろクィンテーロにしても、菫獅子騎士団の誰もが思いもしなかっただろう。



 ニコディオ自身でさえ、ここまでお膳立てが揃うとは思っていなかったはず。

 先行して他の騎士団より良い立場を押さえる。そういう腹積もりが、とんとん拍子に良い方向に転がってしまった。


 敵対勢力は勝手に弱体化、あるいは消滅。

 競争相手は、早くともようやく今頃ロッザロンドを出発する程度。

 今、菫獅子騎士団の精鋭に多少なり対抗できるだろう相手は、取り囲んでいるエトセンの田舎騎士どもくらいのもの。

 それとて脅威とは言い切れない。



「ここまでうまく運ぶと、怖くもあるな」


 反対意見がないことに対して、珍しくニコディオの口から消極的な言葉が吐かれた。


「誘われておるようではないか」

「まさか、そのような」


 無傷の騎士団戦力に加えて、多少の威圧の為に近隣の冒険者なども雇った軍勢。

 いや、無傷ではない。先にエトセンに威力偵察に出した二名は帰らなかったのだから。


 フースとヘロルト。

 菫獅子騎士団の暗部を担う強力な騎士ではあったが、所詮は汚れ仕事の請負人。

 騎士団全体として考えれば大きな損害とは言えない。


 彼らがエトセンに入り、戻らなかった。

 そのことを問い質す質問状と共にこうして町の近くに布陣した。

 威圧として。余計なことは考えず全面的に受け入れるのならばよし。そうでないのなら強引な手段もあり得ると。



 恫喝が目的だ。

 戦争をするつもりはない。


 しかし状況は変化する。

 こうしている間に西部の状況が、ラドバーグ侯爵にとって良い方向に転がった。

 アトレ・ケノスのネードラハもかなりの痛手の上に暴動も起きているとか。


 幸いな時運はまだある。こうして大軍を擁する際の糧食も、ちょうど収穫期だったこともあり近隣から接収出来た。

 いつまでもこのままとはいかないが、食料に困る心配は少ない。

 そろそろ動いてもいいのではないか。



「この新大陸が、ラドバーグ候の統治を望んでいるのでしょう。この時を逃すことはありません」


 参謀長としてクィンテーロは進言した。


「沈黙しているエトセンの田舎者どもに、答えを急がせてもよろしいかと考えます」


 このまま待てば、糧食も乏しくなるしロッザロンド本国から別の騎士団も渡ってくるだろう。

 そうなる前に確固たる立場を築く。



「エトセン公として認められたカナンラダ大陸の統治権を、ラドバーグ候との共同統治として一部移譲。軍権を手にすれば、いかに他の者が後から口を出したところで公的な正義はありません」

「であるな」

「ましてこの大陸を襲う非常事態。菫獅子騎士団として、非常時相応の行動をしたとて咎められる理由もなく。放置すればルラバダール王国にとってさらなる災禍となりましょう」


 大義名分はあった方がいい。

 それも揃っている。


「エトセン公ワットマが、暗愚ゆえにこの事態を収めるに足りぬとなれば」

「……」

「統治者の暗愚は国民への裏切り。国家に対する罪でありましょう」


 イスフィロセもアトレ・ケノスも、影陋族により多大な被害を被った。

 ルラバダール王国が同じ轍を踏むわけにはいかない。

 まあその影陋族は既に半壊状態だとしても。



「以上の内容は、既に公文書として本国にも送っております。禊萩守みそはぎもりのアルビスタ大公が訴えたとしても罪に問われることはありません。反逆者というのなら」

「……この非常時に協力しないエトセン、ということだな」

「左様にございます」


 根回しというほどでもないが、裁判になっても通せる理屈は用意した。

 菫獅子騎士団が作ったわけではなく、状況が勝手に用意してくれたようなものだが。



「よかろう、参謀長。考える時は十分に与えた」


 総指揮官が片手を挙げ、軽く指で上を示す。


「これ以上の猶予はない。次に進めよ」


 エトセンにはこちらの要求を伝えてある。

 返事の期限は定めていないが、わかっていないわけもないはず。


「では、陣を発ちエトセンへ向かうべきかと」


 これが期限だ。

 まだ降るつもりがないのなら、強硬な手段に訴える。


「エトセンを囲めば、連中も決心がつきましょう」


 これまでは町を包囲していたわけではない。町の近くに陣取っていただけ。

 軍を進め、エトセンの町を包囲すれば諦めるのではないか。



「功を焦った傭兵――冒険者が、つい先走る・・・・・こともあるかもしれませんが」

「そうならねば良いな」

「全くですな」


 本格的な戦闘などこちらも望んでいない。

 ただ、相手の心を挫けばいいだけなのだから。

 それでもわからないとなれば、その時はその時ということになるが。



「もう一つ、閣下」

「申してみよ」


 行動開始の前に、参謀長が付け加えた。


「この陣容では既に過剰な戦力。ですから」


 片付けるべきことはエトセンのことだけではない。


「隣の町の影陋族を、ベラスケス将軍の部隊に掃討していただきましょう」

「ホセに、か」


 菫獅子騎士団の一軍を率いる頼もしい将軍。



「よいか、ホセ。地理に明るくない場所だが」

「ご命令とあらば喜んで」


 控えていた将官の中から、指名されたホセ・ベラスケスが一歩進み出て敬礼する。


「同胞との遠慮した戦より、よほど楽しめましょう」


 情報不足の土地だからと言って尻込みする性格ではない。


「お前はそういう奴だったな」


 参謀長の人選は、本人の性格とニコディオが認めやすいと見てのことだろう。



「ならば任せよう。見事、影陋族を討ち果たして……そうだな」

「美女と噂高い影陋族の氷乙女とやら、生きておれば捕らえて参りましょう」


 ニコディオは影陋族の美女を集めている。部下はそれを知っていた。

 残念ながらここまでは、目の肥えたニコディオの心を動かすほどではない容姿の影陋族ばかり。


 厳選され磨かれた影陋族など多くはいない。

 取引のあったレカンの町の商人も、先の争乱で新しい当主も死んだということで混乱していた。どこかに専用の牧場やらがあるはずだが、探している時間まではなかった。



「話通りなら美女揃いだと聞く。噂の一人歩きかもしれんが、せっかくだ。捕らえて参れ」

「はっ、ホセ・ベラスケスにお任せあれ」


 既に勝ち戦。ならば勝ちを楽しむまでだと。


「女神が我らの為に用意した恵みだ。全員、存分に楽しめい!」


 菫獅子騎士団としても長く本格的な集団戦闘はなかった。

 最強を自負する彼らには、せっかくの機会に力を振るいたいという気持ちがある。エトセン相手ではやはりまともな戦闘はないだろう。




 エトセンとの内戦さながらの交渉。

 それとは別に精鋭を率いたホセ・ベラスケスが西に向かう。

 菫獅子騎士団十指に数えられる英雄級の強者は、その配下ともども万全の状態で。


 敗戦直後で弱った敵を相手にも、わずかな容赦もない。

 主に完勝の報告を届けることこそが、ホセ・ベラスケスの誇りであり菫獅子騎士団の在り方なのだから。



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