第五幕 04話 下手な言い訳



「……」


 目を開けるが、霞む。

 どれだけ眠っていたのかわからない。


 今はいつだ。

 何をしていたのだったか。

 眠っている場合ではなかったような気がする。けれど。



「ここは……」

「人間どもがヘズと呼んでいた、始樹近くの町じゃ」


 疑問に、すぐ答える声があった。


「……ああ」


 あの町か。狂った兵士の町。呪術師がいた町。



「戻って……きたんか、ここに」

「どうやらまともなようじゃな」

「自分がわかるか、ウヤルカ?」

「あァ?」


 質問の意味がわからない。


「なにゆうとるんじゃ、ニーレ……っく、いたぁ」


 答えようとして胸が傷んだ。

 肺の中や、その周辺の筋肉。喉も。

 体を起こそうとすれば体の節々もひどく痛み、まともに動けない。



 バランスを崩して寝台から落ちそうになったウヤルカをニーレが支えた。


「無理に動くな」


 左側を抱え込むように。ニーレの匂いがウヤルカの鼻をくすぐる。


「腕が……ないんだ」

「……そう、じゃの」


 言われて思い出す。

 己の最後の記憶を思い出して苦笑いが浮かぶ。



「……ユキリンは?」

「問題ない。町の周りを飛んで警戒してくれている」

「そりゃあよかったわ」


 良かった。

 ウヤルカだけが命を繋いだのでは申し訳ない。

 寝込んでいたウヤルカより、ユキリンの方が丈夫だったか。



「他の……」

「サジュの戦士たちは半数以上が死んだ。ミアデ達は無事だ」

「ねえボクもういいでしょ? トワさまのところいってもさ、メメトハさまぁ?」

「……構わぬ。トワに、ウヤルカの治療を頼むと伝え――」

「わかった、じゃあねぇ」


 メメトハの返事の途中で駆け出していったオルガーラの背中に、メメトハが息を吐く。

 返事はしていたが、きっと伝わらないだろう。



「……無事で何よりじゃ、ウヤルカ」


 ウヤルカを見て、もう一度深く息を吐いた。


「無事、とも言い切れんが」

「まあそうじゃけど……メメトハ?」

「……正気で何よりじゃ」



 メメトハとニーレ、オルガーラまで揃ってウヤルカを見守っていた。

 理由があったらしい。

 心当たりはある。もちろん。


「あー、ああ……その、なぁ……」


 後ろめたい気持ちもある。


「隠してたってわけじゃあない……わけでもないんじゃけんど」

「たわけ、下手な言い訳をするでないわ」


 言葉を探すウヤルカにメメトハは再度、わざとらしく溜息を吐いて見せた。

 それから笑う。

 下らない言い訳をしようとしたウヤルカが、正気を保っていると確信して。



「うまい言い訳などされれば、それこそ正気を疑うところか」

「違いない」

「ひどい言われようじゃのぅ」


 メメトハとニーレの言い様に文句を返して、ふっと噴き出す。


「はっ……く、ひぃ……いたい、のぅ」

「おとなしくしていろ」


 少し笑っただけで涙が滲むほど痛む。

 ニーレがウヤルカを寝台にそっと戻して、首を振った。



「治癒術で治るようでもない。傷よりも、お前があんな薬を飲むからだ」

「わかっとる……すまん」

「皆、心配していた。全員に謝るんだな」


 ニーレも嘆息して、卓上の弓を手にして背中を向けた。


「ここはもう平気だろう。私も見張りに出る」

「その前におぬしも少し休め。これは命令じゃ」

「……わかった」


 メメトハの言葉に頷き、そのまま去っていく。

 トワがここに来て鉢合わせすることを嫌ったのかもしれない。

 しかし、今の様子だと。



「ニーレは、もう……大丈夫みたいじゃね」

「そのようじゃ」


 ユウラを失って以来、全てを拒絶するような雰囲気を纏っていた。


 親しみやすい口調ではないが、それは彼女の元々の性分なのだろう。

 今のやり取りの中に妙な棘はなかった。



「これも全ておぬしのお陰じゃ。あの飛竜騎士を討たねば全滅していたかもしれん」

「そか」

「褒めぬぞ。あのような忌まわしい薬を口にしよって」

「そりゃあ……じゃけんど少しは」

「少しも褒めぬぞ」


 きっぱりと切り捨てられ、思わず笑いそうになり腹を押さえる。

 笑うと痛い。

 痛い。

 生きているということだ。



「みんな……無事なんじゃな」


 確認する。


「アウロワルリスを越えてきた者たちなら、皆この町におる」


 犠牲者はいる。サジュの戦士たちは半数が死んだと。

 そうではなくて、あの断崖で出会った仲間たちの無事を確認したかった。



「無事……とも言い切れん」

「?」

「気にするな。皆生きておるし、そういう意味ではおぬしが一番の重傷じゃ」


 片腕を失い、片目も潰れた。

 改めて自分を確認してみれば、生きているのが不思議なほどの重傷だ。

 室内を見回すと、見覚えのあるものがあった。


「その兜……」

「戦利品じゃな。おぬしが討ち取った敵将の」


 強敵だった。倒した証があるのは悪くない。

 ウヤルカの遠眼鏡は割れてしまったが、その兜には遠眼鏡のような力があるはず。


「ユキリンも被っておるぞ。気に入ったらしい」

「黒い兜じゃけえ、ユキリンには似合わんじゃろ」


 死闘を繰り広げた敵の武具だったので、ユキリンも思う所があるのかもしれない。



「痛くないっちゅう話じゃったんに」

「うつけが。人間などの言葉に乗せられよって、まだ言うか」


 この町で戦った兵士は、あの薬で苦痛を意にも介さず戦う狂戦士になっていた。

 ウヤルカもそうなる覚悟だったが、逆に苦痛で身動きもできなくなるとは。


 話が違う。

 薬を残した呪術師に文句を言ってやりたいが、既に死んでいる。



「ゆうけどなぁ、あれがなけりゃ野垂れ死んどったんじゃけぇ」

「だとしても」


 メメトハはきりりと目を吊り上げ、寝ているウヤルカを見下ろす。

 背丈の問題で、メメトハに見下ろされるのは新鮮な構図だ。


「妾はおぬしを許さん。恰好をつけて死ぬなど」

「……恰好、よかったかのう」

「これで恰好悪ければそれこそ許さんわ。百叩きじゃ」


 可愛い。

 彼女なりの褒め言葉なのだと受け取る。

 残念だ。体が動けば今すぐメメトハを寝台に引き摺り込んでしゃぶりつくしたいのだが。さすがに今は無理だ。



「……」

「当分はまともに動けんじゃろう」

「……やね」


 笑うだけで激痛、身じろぎするのも一苦労。

 この状態では戦うどころか逃げることもままならない。



「一応、説明しておこう。おぬしが飛竜騎士を倒したことで統制を取り戻した」


 清廊族の戦士たちを上空から叩いていた飛竜騎士モズ・モッドザクス。

 その脅威を排除したことで混乱から立ち直った。


「既にかなり劣勢じゃった。嵐も収まりつつあり、夜も明ける。撤退するしかなかったのじゃ」

「……」

「逃げる途中でおぬしらを見つけた時は、てっきり死んでいるかと思うたわ」


 空で戦っている間に、戦場からかなり北にいたらしい。


「ユキリンが鳴かなければ見過ごしたかもしれん。後で礼を言うのじゃな」

「言い足りんのう」


 最後までユキリンに助けられたというわけだ。

 傷ついたウヤルカとユキリンを保護して、この町まで逃げてきたのか。



「ルゥナがおぬしずっと背負ってな。ユキリンは皆で運んだ」

「ああ、ルゥナが……ルゥナ?」


 何か忘れていることがあるような気がした。


「今のところ追手はないが、それもいつまでか。迎え撃つには戦力が足りぬ」


 多くの戦士を失い、ウヤルカもこの状態。


「サジュまで戻るにしても、おぬしが自分で歩ける程度までにはなってほしいところじゃが」


 無理に進むよりは、一度退いて態勢を整えるのも手か。

 あるいはそれほど被害が大きかったか。最初から敗戦が許されるはずのない数の差がある。

 一度の負け戦が致命的。出直す機会があるのなら不幸中の幸いと言える。



「ルゥナは……今はアヴィを見ておる」


 少しだけ言い淀んだ。


「……どいつもこいつも、おおたわけじゃ」

「うん? ……あ」


 思い当たることはある。

 メメトハの口ぶりからして、どいつはアヴィでこいつはウヤルカ。

 どちらも、呪術師が作った薬を隠し持っていた。


 あの状況でウヤルカが薬を口にしたのなら、アヴィもまた躊躇うような性分ではない。



「やはりおぬしがアヴィに渡したのじゃな」


 ウヤルカの顔を見れば答えがわかる。


「確信はなかったわけじゃが、やはりおぬしがこの町で薬を手に入れ、アヴィに渡したというわけじゃ」

「あーそりゃあ……うん」


 アヴィとウヤルカしか知らないことだ。アヴィが誰かに話すわけもない。


「アヴィとおぬしからあの薬と同じ匂いがするとエシュメノが言うものでな。様子から見てそうじゃろうと」

「ウチが言わなけりゃあバレんかったんか」

「そうでもない。手に入れたのがおぬしとわかれば、他の心配が減るという程度じゃの」



 カマをかけられたことにすら気が付いていなかった。

 全部知られていると思い、そのつもりで話していたけれど。

 駆け引きなどウヤルカには苦手なこと。


「性格が悪いのう、メメトハ」

「薬を隠し持っておったおぬしが言えるか、たわけ」


 容赦がない。

 反論の余地もないが。



「ウチも、必死やったんよ」


 残った方の手を少し上げてみて、握る。


「死にかけた。死んだと思うたんじゃけど」


 敵の魔法に飲まれ、死を覚悟した。



「ギリギリで生きとって、なあ……ユキリンと一緒に泥水ン中の治癒薬啜ってのう」

「それでおぬしの体にユキリンの鱗が生えていると?」

「ようわからん。あのままじゃ痛くて死んでしまうけぇ、残っとった呪術師の薬を飲むしかなかったんじゃ」


 治癒薬が鱗をウヤルカにくっつけたのか、呪術薬の方だったのか。

 あるいは無関係に、ただウヤルカとユキリンの絆の証なのかもしれない。

 今も、手の甲から腕にかけて薄っすらと白い鱗が残っている。



「ティアッテとは違った形での混じりものじゃな」


 メメトハもそれを見て納得するように頷いた。


「アヴィと、あれの母御と近いのかもしれん」


 呪術による繋がりというよりは、その方がいい。


 そういうことにしよう。

 どうせ理屈などわからない。ならウヤルカの気分がいい方がいい。


 アヴィと母の絆と同じ。いいじゃないか。

 なんだかアヴィ達とお揃いになれたような気がして、くすぐったい気持ちが痛みを和らげてくれた。



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