第五幕 05話 負け得たもの



「ウヤルカ、無事ですか!?」


 駆けこんできたルゥナが、ウヤルカを見て静止する。

 笑いかけると、表情を失くして、それからぶわりと涙を浮かべた。


「よか……よかった、ウヤルカ……」


 溢れ出す涙。

 本当に、泣き虫な女だ。

 その涙がウヤルカを想ってのことであれば、まるで嫌ではないけれど。



「目が覚めたって?」

「ウヤルカ、エシュメノがご飯わけてあげるぞ」

「エシュメノ様、好き嫌いはいけません。名前を書けるようになったら根菜は減らしてあげますから」


 続けてどたどたと、急に室内が賑やかになった。



 皆元気そうな姿……でもないか。

 ネネランが片手を包帯で吊っている。

 ミアデの表情はどこか冴えない。心配事があるのだろう。

 それでもウヤルカが目を覚ましたと聞いて、安堵した表情を浮かべた。


「ネネラン、腕は……」

「私、失敗しまして」


 ウヤルカほど重傷ではないとはいえ、軽症には見えない。



「腕、くっつける前に傷口を焼いてしまったものですから。それで出血は止まったんですけど」


 痛そうな失敗談を笑い話のように。


「エシュメノ様が拾ってきて下さったんで、とりあえず凍らせてここまで帰ってきたんです」

「むう」


 本人は明るく話すが、聞いているウヤルカも拾ったというエシュメノも顔を顰める。



「それからもう一度、焼けた傷口を切って繋いで……この状態だと治癒の薬や魔法では治しにくいみたいで」

「そ……か」

「お揃いですね、ウヤルカ」


 何も揃ってはいないと思うのだが。


「そう……じゃね」


 にっこりと笑顔で言われて、何となく頷いてしまった。

 治らない怪我同士、という意味だろう。

 もしかしたら、腕を失ったウヤルカを元気づけようという気持ちだったのかもしれない。




「起きましたか。正気みたいですね」

「だから平気だって言ったじゃん、トワさまぁ」


 遅れてきたトワと、そんなことより構ってほしいと訴えるオルガーラ。

 平時には本当に当てにならない。伝言も頼めない。


 そういえば先ほどエシュメノに文字が書けるようになればとか言う話があったが、あれも伝言の為だろうか。

 ウヤルカがこの状態では伝令がうまくいかない。だから文字を覚えようとか。



「正気と平気は違います、オルガーラ」

「うぅ……まあ、よわっちいからぁ? 怪我してきゅーってなるのは仕方ないけど」


 元気になったら殴ろう。

 目標が出来た。氷乙女を殴る。


「アヴィは、今はセサーカが見ておるか?」

「はい」


 メメトハに頷き、ルゥナが袖で目を拭ってウヤルカに歩み寄った。



「ウヤルカ……貴女のお陰で、こうして皆ここにいます」


 膝を着いて、ウヤルカの手を握る。


「馬鹿なことを……私の失敗を埋める為に、こんな……」


 作戦が満足に立てられず失敗した。

 負けた。

 敗走もままならない中、ウヤルカが文字通り身を切って撤退を助けた。

 ルゥナは責任を強く感じて、ウヤルカの無事を喜んでいる。



「たくさんの戦士を失いました。ですが、貴女を……」

「背負いすぎじゃ、おんしは」


 小さな体で清廊族の全てを背負おうと、無理をしすぎている。


「おっぱいも大きいんじゃけぇ、背負うもんまで重けりゃ肩が凝るじゃろ」

「もう……私は真剣に」

「ええんじゃ、ウチは」


 茶化されたと口を尖らせるルゥナに笑う。



「楽しかったんじゃ」


 素直に笑う。


「初めてウチの力の全部を出し切ってな。敵も全力で応えてくれた」

「……」

「そんで、おんしを助けられた。仲間をなぁ」


 その代償が腕一本と片目。安いとは思わないが、それを惜しんで仲間を失うよりはずっといい。


 ルゥナだって逆の立場ならそうしただろう。

 ネネランが怪我をまるで苦にしていないのも、大事なものを守った痛みだからだ。彼女にとってはエシュメノを。

 だからルゥナが気に病むことはない。


 死んだ者も含めてそれぞれが、それぞれの大事なものの為に全力を尽くした。それだけのこと。



「それに……あぁ!」


 思い出した。

 声を上げ、自分の声で体に走った苦痛に身をよじり、けれど思い出したことを忘れない。


「ウヤルカ?」

「そうじゃった。そうじゃ、ルゥナ」


 ぐいっと、握っていた手を引き寄せる。

 痛みなど後だ。それよりも――



「おんし、ウチにおっぱい好きにしてええゆうたじゃろ」

「は?」


 確信がある。

 なぜかわからないが、奇妙な確信がある。そういう約束をした覚えはないが、間違いない。


「な、にを……」

「約束したんじゃ! 戻ったらおっぱい好き放題してええって」

「ば、馬鹿なこと……ぁっ!」


 わずかに、声にならない声を漏らした。



「い、言ってません!」

「嘘じゃ!」


 目を逸らした。


「ゆうた! 絶対言ったんじゃ!」

「なんでそれを……言ってませんってば!」

「言っていましたね」

「トワ!?」


 きっと振り返るルゥナ。

 皆が視線を避けるようにトワとの間から退いた。


「い、言ってませんよ。そんなこと」

「言っていましたよ」

「なんで言っちゃうんですか貴女は!」

「……」

「はっ!?」


 皆の視線に、ルゥナが我に返った。

 痛みに堪えて彼女の手を離さなかったウヤルカとしては、痛みと戦った価値がある。



「ルゥナ様」

「……」

「嘘はいけないと思うんです」

「……っ」


 喉を鳴らすルゥナと、可哀そうなものを見る目のトワ。


「私にも、そうやって嘘の約束をされても困りますから」

「トワ……」

「言いましたよね、ルゥナ様」

「……言いました」


 トワの公平さは残酷だ。

 徹底している。トワにとってルゥナは愛しい相手だろうに、それでも嘘は許さない。

 好きだからこそ嘘を許さないのか。



「ミアデ!」

「え、あたし?」


 ルゥナは落とした。次の標的に移る。


「おんしも言ったじゃろ」

「え、え?」

「ウチに悪戯されたいって」

「ち、違うっ! そんなことは言ってないってば! あ、えと……あ」


 視線を集めたミアデが、慌てて否定してから口をぱくぱくと動かす。

 心当たりがある。

 起きがけにメメトハとの会話の駆け引きでやられたが、なぜか今は妙に勘が冴える。これも薬の効能だとしたら有難い。


「言うたじゃろ、ミアデ」

「あ、あたしは……だ、だって、ウヤルカ死んじゃったかと思ったんだよ。だから」


 言ったんだな、と。


「少しくらいの悪戯なら、許してもよかった、かもって……」



 大勝利。

 これがウヤルカが頑張って勝ち得たものか。

 すごい。すごく良い。頑張ったのに十分な報いだ。


「好き放題……敏感なところを好き放題舐めてしゃぶって可愛い姿を堪能してもええんじゃのぅ」

「「そこまで言ってない!」」



 おとなしく体を癒せとか、心配して損したとか。これは駄目とかあれは駄目とか。

 だらしないにやけ顔のウヤルカに、ルゥナとミアデが細々と注釈を言って去っていった。


 元気になったら楽しいことがたくさん待っている。

 いつ人間の追手が来るかもしれないとかそんな焦燥より、ウヤルカにとって何よりの薬になる材料だった。



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