第四幕 100話 敗地に降る氷雨_2



 撃つ。

 オルガーラが敵を押し返し、ニーレが撃つ。

 ニーレ達だけではない。皆の撤退を支援しようと戦う戦士も少なくない。


「嬢ちゃんたちを死なせて帰れるか」

「オルガーラ、必ず清廊族を守ってくれ」

「ここは俺らが引き受ける! メメトハ様を……俺の命はメディザ様にもらったんだ」


 戦士たちにもそれぞれの思いがあり、戦う理由がある。

 オルガーラの消耗は激しく、押し寄せてくる人間を吹き飛ばすほどの勢いがない。


 手助けがいらないと言えるほどの余裕はなかった。

 死地に臨む戦士たちにその場を任せ、本隊を追う敵を掃討していく。



 消耗が激しいのはニーレも同じ。

 矢の強さ、精度。どちらもいつも以上に神経を張り巡らせなければならない。

 撃てなくなるまであとどの程度か。


 人間の町から離れると、多少は起伏のある丘陵と木々も増えていった。

 身を隠せるほどではないが。




「ニーレさん、ですか」

「確か、イバ……だったか」


 逃げ遅れたのか、小さな林に数名の清廊族の少女がいた。

 トワが気絶した際、彼女を守って下がったはずの少女たち。


「人間の別動隊に回り込まれて……」

「なに?」


 前線が混乱している間に後ろに回り込まれていたのか。

 人間の拠点に近い場所で戦っていたのだから、そういうことも有り得る。


「トワは?」

「トワ姉様は大丈夫です。先に進んだ本隊に預けました」

「そう、か」


 イバを中心としたこのサジュの少女らは、トワに心酔している。

 オルガーラと共にトワの役に立ちたいと。


「横に回った敵はなんとか。まだ他にもいるかもしれません」

「本隊の方ならメメトハもルゥナ様もいる。多少の敵部隊なら問題ない」


 ニーレ達は追撃部隊を少しでも遅らせるよう戦っている。

 少数の別動隊が相手なら問題ないだろうが、大軍に追われてはどうにもならない。最悪全滅だ。



「それなら君らも早く行け」


 今も迫ってくる敵部隊の気配がある。

 決死の覚悟で残った戦士たちだけでは食い止められない。

 ほどなくニーレ達も飲み込まれるだろう。


「私たちが食い止める」

「さっさと行けってば、イバ」

「オルガーラさん……いえ」


 イバが首を振った。笑って。



「……私が、ここで食い止めますから」

「は、お前の力じゃ――」

「残ります」


 イバが、足を差した。


「もう……動けないので」

「イバだけを残したりはしません」


 足が折れているイバと、彼女を支える仲間たち。



 ああ、と。

 牧場を逃げ出して、アウロワルリスを越えようとしていた時を思い出す。

 あの時の仲間たちの目に似ている。


 ユウラがいて、トワとの関係も今のような歪さではなくて。

 皆で手を取り合って進もうと。

 死ぬとしても、仲間と共に。仲間の為に。


 彼女らの瞳に迷いはない。

 眩しい。

 まだ夜は深く闇の中なのに、ニーレの目には痛い。心の奥に刺さる。



「……バカじゃないか。担いでいけばいいじゃん」

「私たちが時間を稼いで、トワ姉様の役に立てるなら」

「そういうのはボクの役目なの! イバのじゃない!」

「勝手を言わないで下さい!」


 担いでいけば足が鈍る。

 それでむざむざ敵に討たれるくらいなら、ここで敵と向き合い少しでも時間を稼ごうと。

 トワの逃げた方に向かえば、敵を誘導するようなものだ。イバ達を追った敵は、さらに勢いを増して本隊を追うだろう。


 ここに留まり、死ぬまで敵を討つ。

 その方が時間が稼げると考えたのは間違いでもない。



「……ユウラ」


 言い争いをしている場合ではない。

 敵は既に近く、怒号も聞こえてきた。


 いつの間にか風も穏やかになり、雨も止んでいる。

 これで夜が明ければ完全に不利だ。あのタイミングで撤退を決断して良かった。

 しかし、追撃で壊滅的な被害を受けては意味がない。

 ましてアヴィやルゥナを討たれてしまっては、再起の希望すら失われる。



「……力を、貸してくれ」


 氷弓を握り締めた。


 何度も願った。

 答えることのないユウラに、力を貸してくれと。

 弱いニーレに、敵を討つ力を願ってきた。


 今こそ、その力が必要な時。

 迫る人間どもを討ち滅ぼす力があれば、皆を守れるのに。



 ――皆を守れる、のに。


「……」


 そうだった。

 ユウラは、敵を滅ぼす力なんて持っていなかった。


 彼女が持っていたのはもっと大切で、優しい力。

 大切な仲間を守りたいという暖かな力だった。


 なのに。

 何を見ていたのか。

 何を見てきたのか。


 愚かなニーレ。盲のニーレ。

 何より大事なユウラの本当の姿から目を逸らして、ただ自分の望みを彼女に押し付けて。

 叶うわけがない。



「……馬鹿な、私に」


 弓を握る。

 人間どもの大軍が迫る南に向けて。


「最後の力を」


 ユウラの力ではない。

 せめて最後くらいは、ユウラのように皆を守る為に力を尽くそう。

 想いを込めて引き絞る。



「清廊族を守るのはボクの役目だって言ってるじゃん」

「ニーレさん」


 オルガーラが肩に、イバがそっと背中に手を当てた。


 狙いがずれる。気が散る。

 そんな文句を言う気にもならない。この敵の気配なら狙いなどいらないだろう。

 ただ、力の限り、想いを乗せて氷弓皎冽を引き絞るだけ。



「……歌ってくれ、鳴皎冽」


 ――キュイィィィッ!


 曇天の夜空に、輝きが降り注いだ。

 数百の銀の筋が。



「――っっ!?」


 美しい鳥の鳴き声のような響きと共に、流星のごとき光の雨が空を貫く。

 敵を撃ち抜く。



「な……ん……?」



「うわあぁぁっ!」

「奇襲! 影陋族の待ち伏せだ!」

「魔法部隊か! 下がれ! 下がれと言っている‼」


 混乱したのは、ニーレだけでなく敵軍も。

 突如として空を埋め尽くした無数の氷の矢に、押し寄せてきた大軍が慌てて停止、転進を指示するが。


 群れとして走り出したものが急に止まるのは難しい。

 ニーレの放った矢に貫かれる者と、止まろうとして後ろから来る味方に潰される者と。



「う、はぁっ」

「あぅ……い、いまの、は……」


 後ろで倒れ込むイバと、膝を着くオルガーラ。


「……共感の、魔法」


 ニーレの背中から、イバとオルガーラの力が氷弓皎冽に流れ込んだ。



「力を貸せ、って言った……じゃん」

「……」


 オルガーラに言ったつもりはなかったのだけれど。



 ニーレの独白を聞いたオルガーラとイバが、ニーレの背を支えるように手を添えた。

 それを通じて皎冽が、ニーレの力を大きく超える矢を放った。

 サジュで飛行船を落とした時のように。あの時はメメトハの助けもあったのだけれど。



「ユウラの……」


 ユウラの歌は皆に力を与えてくれた。

 彼女の声は、皆の心を繋げてくれた。


「そう……なのか」


 混乱している敵兵の声は、まだ多い。

 そんな喧噪が、どこか遠くのことのように耳に入らない。


「私が、力を借りなきゃいけなかったのは、ユウラじゃなくて……」


 倒れたイバを下ろした彼女の仲間たちが、ニーレを見つめて頷く。

 そして、手をニーレの背中に沿えた。



「……そうか、ユウラ」


 ニーレはまだ間違えていた。思い違いをしていた。

 再び弓を構える。


「お前は、最初からずっと力を貸してくれていたんだ。私が見ていなかっただけで」


 背中から流れ込む力は、それはユウラの力ではないけれど。


「私が見て、力を借りなきゃいけなかったのは……」


 ずっと目を背けてきた。ユウラではない者に心を置いてはいけないと決めつけて。



「今、守りたい……仲間だったんだ」


 ユウラを裏切りたくなくて、彼女の気持ちをずっと裏切っていた。


「それが、ユウラ……お前の為に出来る、私の――」



 再び空を走った流星群が、ネードラハ軍の追撃の足を止めた。

 殺意ではない。守るための力。


 それはニーレが本当に守りたいものではなかったのかもしれないけれど、きっとそれはニーレが本当に守りたいものだったのだろう。



 第四幕 完

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