第四幕 099話 敗地に降る氷雨_1



「うがぁぁ!」

「こいつ、まだこんな力が!」

「無理をするな!」


 オルガーラが振るった鎌が群がる敵を打ち返す。

 敵の方は交代で、オルガーラを仕留めようとはしていない。代わる代わる順番に、オルガーラの足止めをしているだけ。


 腕に自信のある数名でオルガーラを押さえるという作戦。

 似たような作戦はこちらもやってきた。人間がそうしない理由がない。



「もう無理だ、ルゥナ様」


 告げる。

 全体を見渡すニーレだから、認めたくないだろうルゥナに告げる。


「ここまでだ」

「ですが……」

「このままじゃ全滅する」


 戦線を崩壊させた飛竜騎士は、救援に現れたウヤルカとの戦いでニーレの射程から消えた。

 ウヤルカの様子がおかしかったようにも見えたが、よく見ているほどの余裕はない。


 それまでの数度の攻撃でこちらの前線は崩れ、混戦となってしまった。

 持ち直そうとルゥナもニーレもオルガーラも奮戦したが、人間の数が多すぎる。

 倒しても倒しても湧いてくる。



「ネネランとラッケルタの傷もひどい。エシュメノの体力も限界なんてとっくに過ぎている」

「……わかります。けれど」


 さらに迫る敵にルゥナが落ちていた剣を投げ、ニーレが矢を放った。


「――っ」


 矢をつがえ放つまでに時間がかかる。

 ニーレの限界も近い。



「撤退しようにも、このままでは」

「風も収まってきた。敵に弓兵が増えるかもしれないし、他にも飛竜がいるようだと――」

「ルゥナ、やっと見つけたのじゃ」


 その声に、はっと瞳に力を戻して振り返るルゥナ。


「メメトハ、無事で――」


 戦況を変えられる、と。

 強い力を持つ仲間が別行動から戻ったと、思わず期待した彼女を責められない。


「あ……アヴィ!」

「気を失っているだけです」


 ぐったりとしたアヴィを抱くセサーカが、駆け寄ろうとするルゥナから遠ざけるように体をよじった。



「アヴィ様は私が。貴女は貴女の役割を果たして下さい」

「セサーカ……」


 逡巡するルゥナに、セサーカが譲る様子はない。

 セサーカの口元にも血の流れた跡が。


「ティアッテまで……ミアデ、無事ですか?」

「あたしは平気。だけど」


 ミアデが首を振る。抱いているティアッテの体は、既に力なく。

 こちらの戦況以上に、彼女らはつらい戦いを越えてきた。



「負傷も軽くはない。トワは……おらぬ、か?」


 普段ならルゥナの近くにいそうなトワの姿がない。

 メメトハが言い淀んだのは、最悪の可能性を考えたのだろうが。


「トワは私を庇って昏倒して、後方に。貴女達も……」

「ルゥナ様」

「そうですね、ニーレ。貴女の言う通りです」


 このアヴィ達の姿を見ては、ルゥナも飲み込むしかない。


「……撤退しましょう」


 敗戦だと。



 逆転の手などない。

 都合よく何かの助けなどあるわけもない。


 ここは敵の拠点。

 人間はさらに増援があるだろう。

 飛竜騎士は数騎いると聞いているが、今までに出てきたのは一騎のみ。

 風が収まり、夜が明ければさらに不利になることは明白。


 撤退する。

 言葉にすることも簡単ではない。


 これまで勝利を重ねてきた。敗北は許されず、それが皆の士気を支えた。

 それらが崩れる不安もある。

 若年のルゥナの指示を皆が聞いてくれていたのは、勝利という事実があったからだ。



 そうした懸念とは別に、もっと差し迫った問題も。


「敵は私が食い止めます」


 撤退すると言っても、ただ逃げ出すわけではない。

 敵の追撃を断ち、皆の退路を出来る限り安全にしなければ。


 混乱した逃走劇では被害が増える。

 方向を見失い、人間に討たれたり囚われたりする者も出てくるだろう。

 守り役が必要だ。


「あたしが」

「ミアデはティアッテを、連れて帰ってあげて下さい」

「しかしルゥナよ」

「メメトハ……」


 首を振り、メメトハを見つめる。


「……頼みます」

「馬鹿を言うでない」

「メメトハ、貴女がいれば」

「間違ってるよ、ルゥナ様」


 責任を感じているのだろう。敗戦の。

 殿を務め、敗戦の責任を取ろうというルゥナの気持ちはわからないでもないが。

 けれど、間違っている。



「負けていないんだ、私らは」

「ニーレ……?」

「私らの負けは、アヴィ様とルゥナ様。あんたらを失うことなんだからさ」


 元よりこの戦い、勝利などずっと先にしかない。

 人間を滅ぼし、この大地を清廊族の手に取り戻す。

 そこに至るまで戦い続けるしかない。そして、その原動力になるのはアヴィであり、指揮を執るルゥナだ。


 ウヤルカは自身を投げ出して戦っていた。

 彼女もまた、自らの役割を果たそうと。

 ならば次はニーレが。



「ここで死ぬのは、あんたの役目じゃない」


 氷弓を握り締める。

 冷たい弓なのに、どこか温かさを伝えてくれる。


「私が食い止める」

「うだあぁ!」


 ニーレが視線を向けた方向でオルガーラが声を上げ、人間の体が二つ飛んでいった。



「行け」

「ですがニーレ」

「迷うな! わかってるはずなんだ。だから、迷うな」


 問答している時間はない。

 ルゥナにだってわかっているはず。今選べる道で、何が正解なのか。


「死ねと命じるのはつらいかもしれない。けどそれがあんたの役割なんだ」


 ルゥナの優しさは、嫌いではない。

 最初から彼女は厳しい振りをしながら、中身はただの優しい少女に過ぎなかった。

 優しくて甘い。

 だから判断できないのだとすれば、今ここでその甘さを断ち切る。


「あんたの、役目なんだよ」

「……」


 背中で感じる息を飲む気配。

 わかっている。ルゥナが望んでこんなことを命じられるわけがないと。



「メメトハ……ミアデとセサーカを護衛しながら皆と撤退を」

「……あぁ」

「オルガーラ!」


 纏わりつく敵を吹き飛ばし、さらに敵とぶつかっているオルガーラに向けて。


「ニーレと共にしばらく敵を防いだら戻って下さい!」

「あー?」

「トワを守る為です! お願いします!」

「わかってるよそんなのぉ!」


 本当にわかっているのかどうか、咆哮を上げてまた敵にぶつかる。

 オルガーラの大楯に、敵兵の顔が潰されるのが見えた。



「ニーレ」


 振り向きはしない。


「……頼みます」

「あぁ」

「お願いですから」


 それでも言葉を重ねたのは、やはりルゥナが甘いからだろう。


「……生きて、戻って下さい」


 それを責めるつもりもない。握る弓の温かさが増した気がした。



「清廊族の戦士たち!」


 声を上げる。


「ここでの戦いは十分です! 私に続きなさい!」


 旗頭が先導しなければ判断できない者も少なくない。

 まして混乱した戦場の中。


 ルゥナの号令に従い、戦士たちが敵兵を牽制しながら北へ向かう。

 人間の波が、数を減らした清廊族をこの機に飲み込もうと押し寄せてきた。



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