第四幕 097話 希望の戦士_1



 諦めない。

 諦めない。


 今さら教わることはないと思っていた。

 どれだけの年月を戦い続けてきたと。戦いに関して誰かに教わるようなことはないと。

 戦いに関わらないことなら、知らないことも多いとしても。



 けれど知らなかった。

 敗北を知らなかった。

 絶望を知らなかった。堪えがたい苦渋の中で生きさせられる絶望を。


 折れた。

 それまでの自分が呆気なく折れて、砕かれて。

 もう駄目だと思った。


 二度と立てないと思ったのだ。

 自分の足で立つことは出来ないと。だってそう、もう足はないのだもの。



 もう幸せなんてどこにもない。

 安らぎなんて得られるはずがない。

 望みを絶つ。それは外からの力ではなく、自らの心が望むことを諦めるから。


 自分の手で絶つのなら、再び掴もうと手を伸ばすのも自分の意志で。

 何度だって、どんな苦境からでも。


 諦めない。

 決して諦めない。

 本当の氷乙女、清廊族の誇り高い戦士として。希望のティアッテ。



「諦めません」


 煤けた殻を打ち破り、残っていた戦斧の先端を投げつけた。


「!」


 仕留めたつもりだっただろう。

 完全に殺したはずだと。



 この強大な敵とて、ティアッテのような格の敵と真剣に殺し合いをするのは初めてのこと。

 人間どもが英雄級と呼ぶ、彼女の脅威となり得るだけの力を持つ相手との戦いを経験したことはない。


 ティアッテはある。

 自分と同等、あるいはそれ以上の敵を相手にしたことが。

 一度は敗れ、折れたことも。


 戦斧は折れた。

 折れても刃は残っている。

 焼かれても、ティアッテの命はまだ残っている。残した。



「なぜ!」


 弾け飛んだ。

 投げつけられた戦斧を受けた二本の魔術杖のうち、片方が手から零れ飛んでいった。


「生きていられますの!」

「お前などに私は倒せません!」


 もう何もない。ティアッテの手には何もなく、ただこの身があるだけ。



 煤を破り敵リュドミラに跳びかかる。

 全裸で。

 愛用の戦斧を焼くような炎だ。服など残るはずもない。


「殻をっ!?」

「薄皮一枚を焼いた程度で」


 炸裂する直前に火球を切り裂いた。下から上に。わずかでもその力が上に逃げるよう。

 それだけでは助からない。どうすれば生き延びられるかを考えた。


 避けられないのは仕方がない。

 凄まじい高熱に耐えられるかどうかわからなかったが、全力で甲殻を纏った。


 正直に言えばまるで無事ではない。

 全身が焼け爛れるような熱量で、焼けた肌の表面をさらに甲殻に変えて脱皮するように繰り返し。


 体力が磨り減った。ごっそりと、命を維持することさえ危ういほど。

 子供の頃高熱にうなされた数日を、今のわずかな時で一気に過ごしたような。体が干からびそうだ。


 あんなものをもう一撃受ければ間違いなく死ぬ。あれでなくとも簡単な炎の魔法でも。

 死ぬ前に、ミアデだけは助けなければ。



「ティアッテ!」

「逃げなさいミアデ!」

「邪魔ですわね」


 今、燃やしているのは最後の命。

 不意を突いたから魔術杖を一本弾いたが、この女の力は魔法だけではない。

 倒しきることは出来ない。せめて守りたいものを守るまで命の火が消えなければいい。


「ダメだよ!」


 ミアデが叫ぶ。


「一緒に生きるんだ!」


 それが許されるなら嬉しいのだけれど。



 殴りかかったティアッテの腕が、残っていた魔術杖で叩き折られた。


「やあ!」

「見苦しい、ことっ!」


 構わずに体をぶつけた。


 腕を犠牲にして、けれど敵への決定打にはなり得ない。

 服が硬い。硬質な繊維で編まれた服か。


「く、ふっ」


 それでも衝撃は伝わる。

 雨に濡れたティアッテの体とリュドミラの小さな体が密着し、唇が触れ合うほどに顔が近くにあった。


「ミアデは私が」

「汚らわしい!」


 ティアッテの掌打がリュドミラの腹を打つ。

 反対に、リュドミラの手がティアッテの胸を叩き爪の痕を残した。

 引き剥がされる。


「まだ――っ!」


 踏ん張ろうとして、力が入らなかった。限界などとうに超えている。


「くっ、ここで」


 それでも歯を食いしばり、足を踏みしめて――



「あ……」


 崩れた。


 踏み込んだ足は借りものの足。

 千年を生きる魔物から貸し与えられたそれは、ティアッテ本来のものではない。

 先ほど折られた腕とは違う感触、まるで陶器が割れるように砕けた。



「あ」


 数歩離れた所で、リュドミラの口元が上がる。

 跪くように崩れたティアッテを見下ろして、嫣然と。

 片手の魔術杖が向けられたのは、ティアッテではない。



「ティアッテ!」

「いけませんミアデ!」


 既に死に体のティアッテを、届かないのに助けようと駆けるミアデに向けられた悪意。殺意。



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