第四幕 096話 嵐裂く翼_2
再び戟と槍がぶつかる。
正面から力比べでは不利は否めない。突っ込んでくるモッドザクスの戟を叩いて下に躱す。
「くっ」
「Fia!」
飛竜の爪が掠めた。
動きを見切られつつある。ウヤルカと違い、モッドザクスは普段から他の飛竜騎士との空中戦の訓練を積んでいることも優位か。
「愛用の武器を失い、片腕もない。今の貴様では!」
いっそ狂気に任せてしまえれば勝機はあったのか。
まともだから、万全を期したモッドザクスには届かない。勝てない。
「この私は越えられん! ここまでだ‼」
「じゃかぁしいわ!」
とどめと、突き進むモッドザクスに向けて槍を投げた。
「っ!?」
唯一の武器だ。裸のウヤルカに他の武器はなく、投げるとは思っていなかっただろう。
一直線に向かってきた軌道を僅かに変え、近付いたウヤルカを戟で突くのではなく薙ごうと角度が変わった。
本来なら、一度仕切り直せばよかったのだ。モッドザクスは。
武器をなくしたウヤルカを、改めて冷静に攻めればよかったのだが。
しかし武器を手放した敵というのは、攻め手とすれば絶好機。
やや無理な体勢でも咄嗟に攻撃したのは、高速戦闘に慣れているモッドザクスとすれば自然な反応だ。
モッドザクスの戟槍は、先端が少し幅広の刃になっている。
突きならば掴めなかった。
薙ぎならば。
俊敏さでは飛竜より雪鱗舞が上。
敵の攻撃に対して、ユキリンは迷わず前に出た。言葉を交わさなくとも血肉を分けた姉妹の意志を受けて。
ほんの僅か。歩幅で言えば一歩に満たないほどだけれど、モッドザクスの目測とズレた。
猛烈な勢いで叩きつけられる戟の柄を、空いている片方しかない手で掴んだ。
ぶつかる飛竜の勢いはそのまま、ウヤルカとユキリンも絡まりながら密着する。
「ぐ、馬鹿な!」
「最初から馬鹿なんじゃウチは!」
別に狂気に酔う必要などない。元より正気で戦争などやっていられるか。
幸いなことに、呪術の薬のおかげで痛みはほとんど感じない。
体は動く。
モッドザクスが両手で引き戻そうとする戟を、片手で握り締めて渡さない。引き合う。
ぶつかった衝撃はウヤルカの方が痛手だが、モッドザクスとてまるで平気ではない。
苦痛に眉を寄せ、歯を食いしばり。
「やはり貴様らは蛮族だ!」
肉薄して、密着して。
モッドザクスはウヤルカから目を離さなかった。
「それらしく死ぬがいい!」
黒い鋼に金縁の兜。
一本の戟槍を引き合う敵に対して、それを叩きつけた。
「っだ、ぁ……」
頭突き。
お綺麗な戦いなどではなく、体のぶつけ合い。さすがに兜での頭突きは効いた。痛みではなく目がちかちかする。
「擦り潰せ、モッサロシャ!」
「GyiAa!」
頭突きに怯んだ隙に、絡まるユキリンとウヤルカを引きはがそうと飛竜に命を発する。
絡み合い、足の爪で互いを引っ掻き合っていた飛竜――モッサロシャと呼んだ――とユキリン。
力では飛竜が上で、爪が食い込むユキリンの体を地面で擂り潰せと。
転進する。
がくんと、方向転換をして。
「――っ!?」
急激に。
ぶわりと浮いた体を鞍に固定しようと足を絞めた。モッドザクスは。
ウヤルカの方は踏んばりが利かない。
そのまま宙に投げ出される。戟だけを手に。
「な」
ウヤルカを繋ぎとめていた戟槍が、モッドザクスの手から離れていた。
意図しない方向転換に驚き、咄嗟に体を固定しようと意識が足元にいった隙に今度はウヤルカが頭を叩きつけた。先ほどの頭突きの返礼。
耳上にあった遠眼鏡が砕ける。
その破片が目に入りそうになったことに、片目が見えないウヤルカは気にならなかった。
モッドザクスはそうではなかった。頭突きの衝撃よりも目にガラスが入りそうになって気が逸れた。
バランスを崩して、兜に頭突きをされた驚きと割れたガラスと。それらが重なり、戟をウヤルカに奪われた。
「ユキリン!」
「PiAaaaaaa!」
白い鱗に血を流しながらユキリンが離れた。飛竜の爪で体を裂かれる痛みを厭わず。
飛竜の足に力が入っていない。
それより羽ばたこうとして、さらにバランスを崩す。
片翼を失って。
飛竜の翼は砕け散った。氷と共に。
嵐が飛竜の体を濡らし風が吹き付け、冷えていた。ぶつかり絡みついたユキリンが、その片翼にさらに冷気を浴びせた。
ウヤルカに目を奪われていたモッドザクスが気付かぬうちに。
主から命じられた通り、急に方向を変えようとした。
野生であれば、自らの身の状況を把握して無理な軌道変更はしなかっただろう。
だが、飛竜は呪枷により縛られている。
主の命令には逆らえない。
翼が砕けた。
強引な挙動で、自分の重さ以上のものを無理やり動かそうとした為に。
凍った片方の翼が砕け、墜落する。
「しま――っ!」
白い鱗のユキリンとウヤルカを見上げ、手を伸ばすモッドザクス。
くるりと、ウヤルカの手の中で彼の戟が回った。
降り注ぐ雨とは別に流れ落ちるユキリンとウヤルカの血は、真っ赤な雪のようにモッドザクスの目に映っていたかもしれない。
自重により大地に潰れる飛竜モッサロシャと、墜落直前に離れたモッドザクス。
上空から猛烈な勢いで突き刺さろうとする戟槍は、それまで彼が得意としていた攻撃。
自らの得意な攻撃。
であれば、見覚えはある。
モッドザクスは歴戦の戦士だった。想定外の状況でも最善の手を探す。
大地に立ったモッドザクスは、予備武器の剣を既に構えていた。
「――」
地上で交差する男と女。
空での戦いと違い、刹那の交差で離れることはない。
互いを貫き。
「……ぶ、はっ……」
モッドザクスの体が崩れた。
腹を大きく穿たれて。
「……い、っつぁ……いたい、じゃ……のクソ呪術師、痛くないゆうたじゃろうが」
ウヤルカの足にも、モッドザクスの剣が突き刺さっていた。
リーチが違う。
戟の長さに届かぬと、モッドザクスはウヤルカの踏み込んだ足を狙い、突いた。
地面に落ちて一拍の半分もない時での判断力。そして正確な剣技。
間違いなく彼は強敵で、英雄と呼ぶにふさわしい戦士だった。
「……わたし、が……やぶれ……」
「おんしは、なぁ」
腿に刺さった剣を抜いて、苦痛に顔をしかめながら死にゆく男に伝える。
「ウチより強いんじゃ、けんど」
上から、最後にウヤルカを放ったユキリンが降りてきた。
その身も満身創痍。
「ゆうたじゃろうが。白鱗のウヤルカと――」
「PiA」
雨に濡れたユキリンの首に、撫でてやりたかったが腕が塞がっていたので額を寄せた。
「妹の、ユキリンじゃ。ゆうた」
「……いも、う……」
「おんしの飛竜も大したもんじゃったが、のう」
ユキリンは家族だ。
飛竜モッサロシャは、モッドザクスの道具に過ぎなかった。
差はそれだけで。
「だから、おんしはウチらを越えられんのじゃ」
「……」
冷たい雨が男の体を打つ。
流れる水滴が、男の目鼻から溢れた血を流し、腹の血と共に大地を染めていった。
「……なんじゃ、のう」
物言わぬ敵の屍と、少し遠くでまだ続いている戦いの声。
「つまらんなぁ……ほんに、つまらん」
どさりと尻を大地に落とした。
雨はまだ多い。
風は少し和らいできた。
「ルゥナ……」
ユキリンもまた、ウヤルカに寄り添って大地に身を任せた。
「ウチは、あったかいんが……ええ、じゃけど、なぁ……」
もう、立ち上がる力はなく。
ただ雨の音だけが耳の奥を叩いていた。
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