第四幕 088話 風の分かれ目



「ルゥナ様!」


 トワが、嵐の空を舞う。

 銀色の少女が、暴風に逆らえぬ木の葉のように。

 圧倒的な暴力に晒されて、吹き飛ばされた。


「トワ!」

「ちぃぃっ!」


 吹き飛ばした巨大な質量が舌打ちをしながら過ぎ去った。



「影陋族が守護魔法だと!?」


 あっという間に届かぬ先へ。


「トワを!」

「っ!」


 空からの強襲を受け吹き飛ばされたトワにも、ルゥナの手は届かない。


 いつかのように。

 アウロワルリスの断崖でそうだったように。


 意識を失ったままあの勢いで地面に叩きつけられたら死んでしまう。



「春霞の峡淵より、浮かべ呼歩の雪花!」


 剣を投げ出して叫んだ。

 腰にあった小さな魔術杖を手に。


「ああ!」


 咄嗟に唱えた魔法は、暴風が掻き消す。

 強い魔法ではない。ふわりと受け止めるだけの。

 嵐でなければトワの体を優しく受け止めてくれただろうが、暴風は容赦なくその優しさを吹き消した。



「トワぁ!」


 戦いの中に落ちようとするトワを、疾風が抱き留めた。


「!」

「はぁっ!」


 抱き留めて、落ちる先にいた敵兵の喉を打ち抜く。

 氷の矢で。



「ニーレ、あぁ!」

「よそ見するんじゃない! あんたが!」


 叱責と共に放たれた矢が、ルゥナを狙おうとしていた敵の弓兵を貫いた。


「敵は全部殺す! 集中するんだ!」

「す、すみません。ありがとう」

「いい!」



 全く見えていなかった上空からの強襲。

 トワがどうやって防いだのかルゥナにはわからなかった。一瞬で位置が入れ替わったような感覚。


 近くにいたわけではなかったのに、突如として身代わりのように。

 突然の飛竜の強襲に混乱して、自分の盾になってトワが吹き飛ばされたことにさらに混乱した。


 ニーレの叱責は至極もっともだ。

 ルゥナがトワに気を取られて全体の指揮を間違えるわけにはいかない。


 だけど、言い訳もしたい。

 こうしてトワに守られるのは二度目なのだ。断崖での時と似たように、ルゥナを守ったトワに手が届かない。


 記憶が重なり、感情が制御できなかった。

 そんな言い訳を今している場合でないことくらいはわかるけれど。



「全員、飛竜騎士に警戒!」


 今の飛竜騎士の一撃はとてつもないものだった。

 なぜルゥナは生きているのか。トワの助けがあったからだけれど、それでも不思議なほど。


「押し戻して! エシュメノ達が孤立します!」


 飛竜騎士のせいでこちらが崩れた。

 このままでは敵の英雄と戦っているエシュメノ達と離れてしまう。



「避けなさい! 谿峡の境間より、咬薙げ亡空の哭風!」


 都合よくというか魔術杖を手にしている。

 剣は投げ出してしまった。必要なら何か拾えばいいが、今は強力な魔法で押し返す。


「真白き清廊より、来たれ絶禍の凍嵐!」


 哭風で開いた穴から前に出て、敵全体に激しい氷雪を吹き付けた。

 動きを鈍らせ、嵐と相まって目鼻を凍らせる。

 目を開けていられない吹雪となれば、敵兵も竦む。


「邪魔です!」


 突出したルゥナの横腹を突こうとした敵を、身を翻して廻し蹴りで殺した。

 臓腑が破裂し、脊椎が砕ける感触。

 そのまま死体を他の敵兵に叩きつける。


「天嶮より降れ、零銀なる垂氷!」


 無数の氷柱が敵を撃つ。

 ニーレの矢ほどの射程距離はないが、近場の敵を一掃するには使い勝手の良い魔法だ。



「我々が支えます!」

「お願いします。誰か飛竜の居場所を!」


 戦士たちが前線を押し返すのを任せて、目下の最大の脅威を探す。


「左手です! 向かってきます!」


 先ほどは目視できない位置取りだったが、今度は違う。

 旋回してルゥナを目指して襲い掛かってきた。



「よくも」


 トワを、と。

 口に出しそうになった言葉は飲み込む。


 ニーレに叱られた。私情に囚われている場合ではない。

 わかっているが、それでも憎い。


 殺す。

 あの飛竜騎士は絶対にこの手で殺す。

 手が届かないと思っているのなら大間違いだ。

 ルゥナには魔法がある。並ではない、たとえ異常な敵でも殺せるだけの力が。



「極光の斑列より――」


 ルゥナを狙ってくるのならちょうどいい。

 その姿を見据えて、かつてもトワに不埒な言動をした人間を思い出した。



「鳴り渡れ双対なる星振の響叉」


 乱気流の中を一直線に飛んでくる敵に向けて放つ。

 体を形作る全てを、ごちゃまぜにかき混ぜる抗い様のない衝撃と振動の塊を。


 過去に一度だけ使えた必殺の魔法。

 今再び、ルゥナの魂がかちりと噛み合うように感じた。



「っ!?」


 避けられるものではない。

 目に留まらぬ速度で、見えない衝撃が襲うのだから。

 まして敵も一直線にルゥナに向かっているところ。避けられるわけがない。


 冷静ではなかった。

 撃つのなら、もっと引き付けてから放てば確実だったはず。

 避けられぬからと、見えぬ魔法だけれど少しでも恐怖を与えられないかと。

 そういう嗜虐心があったのかもしれない。


 だから。



「破れ、バスターレ!」


 敵の目の良さを見落として、敵の強さを見誤った。



 凄まじい振動の魔法で雨粒が震えるのを見切られるなど、考えてもいなかった。

 強襲に特化した敵が、魔法を打ち破るような特殊な槍を装備しているとは思わなかった。


 どちらも冷静だったのなら想像したはずのことを。

 全霊をかけた魔法が、飛竜騎士の槍が放った光で打ち破られる。

 ぶつかった瞬間に、周囲の雨粒ごと弾け飛んだ。



「なっ!」

「終わりだ!」


 躱そうとするルゥナに向けて、飛竜騎士がほんの僅かに軌道を変える。

 それだけでルゥナは躱せない。

 猛烈な速度で迫る槍から逃れようがない。


「散れ!」

「よくもトワさまをぉ!」


 先ほどルゥナが飲み込んだセリフだったけれども、素直に口に出来る者もいる。

 ルゥナが前線に来たことですぐ近くに。


「お前はぁ!」


 吠えて、飛んだ。


 飛竜の横面に向けて、白い大楯が激突する。

 跳ぶ直前に、それまで対していた敵の槍が背を突いていたが構わずに。

 浅くはないが致命傷でもない傷を負いながら、ルゥナを襲った飛竜騎士にぶちかました。



「オルガーラ!」

「くっ、ええいっ!」


 オルガーラのぶちかましだ。力は絶大で大きく弾き飛ばされる。

 忌々しそうに声を漏らし、再び空へと旋回する。


 強い。

 そして厄介だ。空を飛ぶ魔物と魔法を破る武具。

 溜腑峠で戦った飛竜騎士も厄介だったが、開けた平地で戦うのはかなり厳しい。


「降りてこい人間! トワさまの前で八つ裂きにしてやるから!」

「モッドザクス卿、こいつは我々が!」

「じゃまぁ!」


 オルガーラの相手をしていた敵が再び群がり、オルガーラの動きを封じる。




「誰も彼も、トワに気を取られすぎなんだ」


 忌々し気な声は地上にも。

 憎々しい、と言った方が正しいか。


「あんたまで見境ないとは」

「……」

「何やっているんだか、本当に」


 抱いていたトワを押し付けられた。

 意識はない。

 けれど温かい。

 冷たい雨に晒されて、だけど確かにトワの温もりを感じる。



「魔法はもう無理だろう」

「……すみません」

「連れて下がっていて。私がどうにかする」


 弓を構え、空を睨む。

 ニーレの背中に、かける言葉もない。


 気持ちが逸り、判断を誤った。

 自分がなんとかしようと突出したのは仕方がないとして、飛竜騎士に対しては全く冷静な対応ではなかった。



「……ルゥナ様は、さ」

「……」

「その子を、幸せにしてやれるはずなんだ」


 背中を向けて、旋回する飛竜騎士から目を逸らさないまま。


「ちゃんと、頼むよ」


 矢をつがえる。


「妹なんだ」


 意識のないトワに向けての、別れの言葉のように。




 空から襲う飛竜騎士に無数の矢を放つニーレと、ルゥナを狙うのをやめて戦場を大きく薙ぎ払う飛竜騎士。

 ここまで伏せていた飛竜騎士の猛攻とルゥナの判断ミスから、一進一退だった戦況は大きく混乱することになった。



  ※   ※   ※ 



 降り注ぐ雨は、大地に染み込むより多い。

 溢れ、低い所に流れ溜まっていく。


 大きく穿たれ、焼け焦げた煤と共に。

 どろりと。


 底に溜まった墨の汁から、ごぼりと溢れる。

 夜の闇よりまだ黒ずんだものが、冥府の底から這い出るように。



  ※   ※   ※ 

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