第四幕 089話 女神の食餌_1
熱い。
土が燃える。
ティアッテに叩かれた大地が隆起して壁を作った。
その土壁ごと燃える。蒸発する。
「ティアッテ!」
「まだです!」
ミアデは、違う。こんなことは望んでいない。
誰かの背中に庇われたままなんて、そんなことは。
アヴィに救われた。
ルゥナに救われた。
だから次はミアデが誰かを助けたいと。
自分の背中に誰かを背負える。そんな生き方をしたいと思った。憧れた。
けれど辛いこともある。苦しいことだってある。
そんな時はいつも、優しく撫でてくれる手があった。
セサーカとの付き合いは生まれた頃からだ。
人間に捕らえられる前に、ニアミカルムの近くの里で産まれた時から。
共に同じ人間の奴隷となり、同じ苦しみの日々を過ごした。
当時は何も自由がなくて、ただ涙しながらお互いに背中を合わせていただけ。
時折、人間の余興としてセサーカと色々させられることもあったけれど。
愛情ではなくて、憐憫だけの関係だった。
可哀想な自分と同じ誰か。
共に救われて、初めて自分の意志でセサーカと向き合った。
辛い日々を越えてようやくわかりあえたと。自分ではない自分と手を取り合うようで、嬉しかった。
ずっと一緒だと思っていたのに。
自分ではない。
セサーカはミアデではなくて、ミアデはセサーカではない。
わかっていたつもりで、わかっていなかった。
愛している。
愛されていると思っていたのに。
もう、わけがわからない。
わかりたくもない。
ミアデに何が残っているのだろうか。戦うことくらい。
戦って仲間を守る。それだけなら出来るはず。
だのに、ウヤルカを助けられなかった。
憎い敵を討つことも出来ない。
さっき敵の名前を聞いた時に言い知れぬ怒りを覚えたけれど、理由がわからなかった。
遅れて気付く。
ミルガーハというのは、清廊族を貶めた人間の代表だ。その一族だったのか。
ミアデの当たり前の幸せを踏み躙った人間どもの代表。
それがウヤルカを殺した。
仲間だった。とても気持ちの良い性格で、頼もしくて。
セサーカのことを相談するなら彼女がよかった。
きっと真剣に聞いてくれるだろうと。
その後、淫らな悪戯をされたかもしれないけれど。ちょっとくらいなら許したっていい。
「ティアッテ、逃げて!」
「私は平気です」
土壁でミアデを庇ったティアッテが、その場で戦斧を振り回す。
やや斜めに、目にも止まらぬ速度で回転させていた。
「ミアデ、逃げるのは貴女です」
「だけど!」
「……心配してくれるのですね」
ふと、背中越しだけれどティアッテの声が和らぐのを感じる。
既に土壁は消し飛び、さらに迫る炎熱をティアッテの戦斧が上に弾いているが、彼女自身はかなりの熱に晒されているはず。
なのに。
「貴女を守れるのが誇らしいのです。今の私には」
「そんな……」
「私の力は、今、この為に」
敵の魔法が、間断なく襲ってくる。
普通の敵ではない。ティアッテでなければ防げないような魔法を連続で。
あれを殺さなければ。
「……」
先にミアデが戦っていた男は、魔法の巻き添えにならぬよう離れた。
ティアッテが動けない今、ミアデがこの魔法使いを倒す。
「城壁でも溶けるでしょうに」
楽し気な女の声。
わずかに火勢が緩み、ミアデが横に駆け出す。
「では、遠慮なく」
「っ!」
緩んだのは、左右で続けて放っていた魔法をやめたから。
別々の旋律を編んでいた二本の魔術杖が、共に一つを紡ぐ。
「天地果つる
一瞬の間にティアッテの戦斧が叩き出した土壁が、枯れ葉でも燃やすように瞬時に焼き尽くされた。
生まれた小さな太陽のような光の塊が、そのまま戦斧ごとティアッテを飲み込む。
「ミアデだけは――」
「ティアッテ!」
眩しい光球を上に向けてティアッテの戦斧が切り裂き、破裂する輝きにティアッテが飲み込まれた。
「!」
駆ける。
必殺の魔法を放った敵に。ティアッテが作ってくれた土壁の一瞬の影を駆け抜ける。
ここで足を止めればティアッテに顔向けできない。
どれほど強い敵だろうが、連続して魔法を唱えた末にさらに必殺の魔法だ。
今、この瞬間なら討てる。
今しかない。
ティアッテが作ってくれた好機を無駄にしない。
とてつもない敵だとわかっているから、ミアデも無事ではないかもしれないけれど。
ティアッテと共に死ぬのなら、悪くないかもしれない。
ふと頭に過ぎった。
そうだ。ミアデを好いてくれて、命を捨てて守ってくれた。彼女と一緒の戦場なら。
敵の足は止まっていた。
異常な強さの少女だけれど、ティアッテに魔法を放った姿勢のまま。
嵐の中、自ら放った魔法で顔が照らされ、漏れてくる熱も決して微量ではない。
瞳の端にミアデが映ったがもう遅い。
たとえミアデの手足が砕かれようとその首を砕く。噛み千切ってでも。
「そうたやすく」
身動きの止まった少女の背中からだった。
「娘はやらせん!」
「邪魔だぁ!」
直前で防がれた。
少女の影から飛び出してきた男に。
ミアデが自由で動けたのと同様、ミアデと対峙していたスピロも空いていた。
必殺の魔法を放った娘を守ろうと。
「人間のくせに!」
「君らは違うのかね?」
親が子を守ることを、清廊族は違うのかと。
同じだと言うのか。人間などと。
「うるさい!」
ここでこの女を殺さなければ、なんの為にティアッテは。なんの為にミアデは戦っているのか。
ミアデの突進に対してスピロの刺剣が繰り出され、躱したところに蹴りがくる。
「お前なんかに!」
「お仲間も燃え尽きたようだが」
「!」
光が消えた。
大地から煙が上がり、おそらく昼間であれば炭のように焦げた地面が確認できただろう。
ウヤルカの時と違って大穴にならなかったのは、ティアッテが切り裂いたからなのかもしれない。
焼けた大地に。
黒い塊が残っている。
焦げた塊から伸びた柄が、ざくりと音を立てて崩れた。
戦斧の柄が。あれも金属製だったはずなのに。
「長く影陋族を守った戦斧の戦士も死んだ」
「てぃあ……っ!」
「そして君も、ここで」
ミアデの怒りを込めた一撃を、スピロは手甲で受けた。
力を受けるまま後ろに飛ばされたスピロと、代わりに向けられたのはティアッテの命を奪った魔術杖。
「終わりですわ」
「極光の斑列より、鳴れ星振の響叉!」
仲間内で速さの一番二番を争うのがエシュメノとミアデだけれど。
それでもニーレの矢より速く動けるわけではない。
そのニーレの矢よりも速い魔法は、星振の響叉だけ。雷の魔法は再現できなかったので比べられない。
異常な才を見せる魔法使いリュドミラでも、ティアッテを相手に集中せずにいられたわけがない。
連続攻撃からの必殺の魔法。
その後の隙をスピロにカバーしてもらって、そこから連携してミアデを仕留める。
全方位への警戒が出来るまでの余裕はなかった。
「魔法使いか!」
しかし、父スピロは違う。
ミアデを相手にしながらも周囲への警戒をしていた。詠唱が終わる前に反応した。
「既に聞いている」
ティアッテの位置から逆。今のミアデから見て右横から放たれた魔法に対して、その身を挟んだ。
手足に着けた防具で、放たれた魔法から娘を守る。
誰がミアデを助けに来てくれたのか。
嵐で、声音から判別できなかったけれど、仲間の魔法使いが。
混乱する一瞬。
見えぬ振動がスピロを打ったと同時に、ぱぱ、と雷光が周囲を照らし出す。
魔法を放った何者かにそれぞれが目を走らせたのは自然なこと。
ミアデも、スピロも、ミアデに止めを刺そうとしていたリュドミラも。
「――マルセナさん?」
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