第四幕 087話 頂の向こう側_2



「……ぶ、ぺっ……」


 唾を吐く。

 顔を庇った両腕は焼け焦げ、髪のない頭も黒く焦げている。

 毛があった眉も焼け、左目の瞼は赤く腫れあがっていたけれど。


「……ぬかったわい」


 同じく爆風に晒されたラッケルタ達を一瞥して、エシュメノに目を向けた。

 その足は、しっかりと。


「よもや儂が、太刀を持ってしてやられるとはの」


 ふん、と。

 構え直す姿は、戦闘力を失ったようには見えなかった。



「それも、いずれ千年級に届く魔物じゃったか」


 斬り損ねたラッケルタについて、ただの魔物ではないと評価する。

 今はまだ、ソーシャやレジッサのような強大な魔物ではないけれど、いずれはそれらに並ぶだけの素質だと。


 ラッケルタは若い。

 灼爬爪虫と呼ばれる種族の平均寿命は三百年だとか。

 百年も生きていないラッケルタは、成体になるかならないかという程度。

 魔石や命石を多く口にして力をつけているが、種族本来の生態から考えればまだまだ成長期だ。


 いくらラッケルタでも至近距離で爆発を食らえば無事ではない。

 爆圧で押されながらネネランを庇ったが、その前に腕に深い傷も受けている。

 傷口が焼けているのではないか。



「……さすがにもう種切れじゃな」


 腕を斬られたネネランも戦えるわけがない。


「ならば、終いじゃ」

「おしまいなのはそっち」


 エシュメノも構え直した。

 体を低くしていたのをやめて、半身で左手左足を前に。



「あの程度の攻撃で儂を」

「わかってる。そんなに効いてないのも足を見ればわかる」


 ネネランとラッケルタが身を挺しての攻撃だったけれど、ダメージとしては大きくない。


 元の強靭度が違う。

 顔をまともに焼いたのなら殺せたかもしれないが、それは防がれた。

 少ない体毛を焼いたのは、どの程度のダメージなのか知らない。


「でもいい。あとはエシュメノがやっつける」

「……舐められたもんじゃな」


 今度はミルガーハの方が低く構えた。

 腰を落として、刃を下段に。



「よかろう。おぬしの腕と足も切り落としてやるわい。死なぬよう傷口を焼いてやるから安心せい」


 先ほどネネランが腕を斬られても動けたのは、鋭すぎたのだと思う。

 速く鋭すぎて、痛みが少なかった。


 凄まじい剣閃。

 だけれど。



 奔った。

 エシュメノの踏み込みに合わせてミルガーハの剣が、瞬くように。


「むっ!」


 しかしそこにエシュメノはいない。

 ステップを変え、左右に。


 どっしりと構えたミルガーハに対して、四方八方の空間を使う。



「だがのぅ!」


 踏み込むと見せたエシュメノに対して再び剣が瞬き、次の瞬間にはもとに戻っている。

 隙がない。


「その動きがいつまで出来るのじゃ」

「はっ!」


 再び踏み込もうとして、剣の届かぬ位置を駆け抜けた。


 止まれば死ぬ。

 踏み込んでも死ぬ。


 ミルガーハはエシュメノの動きを見定め、必要最小限の動きでいい。

 エシュメノの息が切れたところに止めを刺す。

 体力的に圧倒的に不利なのはエシュメノだ。



「けど!」


 エシュメノは知っている。

 ソーシャの目にも止まらない一撃を見たことがある。

 目にも止まらない舌打を、ソーシャが打ち返すところも。


「見たから!」


 そして今、ネネランとラッケルタがその身を犠牲に見せてくれた。

 ミルガーハの剣閃をエシュメノに見せてくれた。


 目にも止まらない。

 けれどわかる。感じ取れる。

 初めてのことならわからなくても、実際に目にしたのなら。


「むう!」


 踏み込んだ。

 飛び込んだ。


 ミルガーハの間合いに。懐に。

 それはエシュメノの間合いでもあるのだから。


「甘いわぁ!」

「エシュメノは!」


 光が走るような剣閃を弾いた。


「そこじゃ!」

「ぜったい!」


 再び跳ね返ってきた剣を再び払う。


 稲光が周囲を照らした。

 エシュメノの短槍とミルガーハの刃が火花を散らす。


 連続の猛撃を右と左の短槍で打ち返し続けた。



「むうぅ!」

「やあぁぁっ!」



 僅かに遅いのだ。

 ミルガーハの左瞼が焼けている為に視界が少し狭い。だから踏み込めた。

 エシュメノの右に対する警戒の意識がやや高く、ほんの少しだけ遅い。


 だから打ち合える。

 一拍の間に十を超える猛打を。


「ここじゃ!」


 それでも力はミルガーハが上で、少しだけエシュメノの軸足がブレた。

 その瞬間を見逃さず、槍もろとも叩き切ろうとしたミルガーハ。

 右だった。


 エシュメノの右の短槍は、螺旋を描く深紫色。

 ミルガーハの左瞼は腫れて、雨粒のせいもありわずかばかり視界が悪かった。


 紫の槍ごと叩き切ろうとしたミルガーハの剣は、エシュメノの踏ん張りだけで耐えられる力ではなかった。

 槍は斬れなくとも、薙ぎ倒されるだけの力は十分にあって。



「っ!?」


 槍の柄が、螺旋を描いて大地に突き刺さっていたことは見えていなかった。

 エシュメノの意思に応じて形を変える短槍。柄が大地に刺さりつっかえ棒のように。


 ミルガーハの剣を、大地に杭を打った形で右の短槍が受け止める。


 力を込めた一撃だった。

 だから戻すのが遅れる。

 左の漆黒の短槍がミルガーハの胸から喉を貫いた時、再び雷光が大地を覆った。



「……」

「……はぁ、はあ……」


 息を吐く。吸う。


 打ち合っていた時間はわずかだったはずだけれど、全ての力を出し切った。

 出し切れなければ死んでいた。



「こいつ……すごい、強かった……」


 まだ大地に突き刺さったままの槍に体重を預けて、肩で息をする。


 勝てたのはネネランとラッケルタのお陰だ。

 多少なりダメージを負ったことで、敵の意識が短期決戦になった。

 持久戦で、じっくり攻められたのなら、エシュメノに勝ち目はなかったとわかっている。


 短い時間に一気に自分の全力を叩き込む。

 集団戦闘の場合にはそういうことはしないけれど、エシュメノは体力の配分などは苦手だ。

 得意な形で、敵の視野が狭まった形だったから。

 それを成し遂げるだけの力が、今のエシュメノにあったことも事実だけれど。



「ねね……ラッケルタ」


 息が収まってきて、傷ついた仲間のことが頭に浮かんだ。


「ラッケルタ、大丈夫か?」


 爆発の際に少し遠のいてしまったラッケルタに駆け寄る。



「Gi,i……」

「ごめん、ごめんラッケルタ。痛い? 痛いね。痛い」

「……御無事です、か……よかった」


 ラッケルタに背中を預けて、笑う。


「エシュメノ様」

「あ、あ……」

「お願いできたら、私の手……どこにあるのか」

「ま、待ってて!」


 血を流しながら、真っ白な顔で。

 だのに、ネネランは笑った。

 エシュメノが無事だと。


「ええと……ルゥナ! 誰か、治癒薬! トワ! 誰でも‼」


 強敵は打ち倒した。

 けれど、戦いは終わっていない。



「誰か、ネネランを助けて‼ 誰か!」


 なんでか、涙が溢れる。

 嵐の闇の中、エシュメノはどうすればいいのかわからない。


 なんだろう。

 何の為にみんな、こんな血を流しているのだろうか。


 吹き荒れる風の向きは何も定まらなくて。

 エシュメノに、どうすればいいのか教えてくれる声はどこにもなかった。



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