第四幕 086話 頂の向こう側_1
これまでだって強い敵はいた。
そのたびに感じた。
ソーシャはもっと強かったと。
ニアミカルムの山にはたくさんの魔物が生きている。
ソーシャは最強だった。
けれどソーシャでも、警戒しなければならないと言う魔物もいた。
強い毒を持つ生き物。
巣穴で待ち構えていて、引き摺り込み咀嚼する力はソーシャをも上回るような魔物。
見えない速度で刃のような舌を伸ばすものも。
破夜蛙もソーシャは苦手なのだと言っていた。
うっかり踏みつけ爆音を鳴らされると、頭がぐわんぐわんと揺れる。
それで死ぬわけではなくても、しばらくは耳鳴りがやまないのだとか。
空を飛ぶ魔物も厄介なものはいたが、ソーシャは空の魔物には滅法強かった。
それを知っている魔物も無闇にソーシャに近付こうとはしなかったものだ。
危険なものには近づかない。
久しぶりに全身の毛穴が開くような感覚に襲われた。
鎖を捨て、背中の武器に手をかけた瞬間。
周囲の風雨の音が消え、雨粒が止まったように感じた。
直感で逃げたのが正解だったのだろう。
「……ふ、うぅ」
唸る。
低く構えて、敵を睨む。
エシュメノと背丈はさほど変わらない。
背丈だけならそうだけれど、横幅が違う。厚みが違う。重さでは倍以上違うはず。
自分より倍も重い敵が、自分より速く動く。
信じられない。
エシュメノは仲間の誰よりも速いのに。
「良い距離を取る。魔物のようじゃのう」
間合いを間違えたら死ぬ。
エシュメノがいる場所はぎりぎり。反対のネネラン達はそれより遠い。
雨粒を斬った。
信じられない鋭さで走った刃が雨粒を裂くのが、なぜだか静止したように瞳に映った。
美しい軌跡。
憎い敵で、汚い言葉を吐くのに。
その剣閃は今まで見たどの敵よりもきれいに見えた。
極みというのだろう。
口惜しいけれど、この男の技は極限まで研ぎ澄まされていて見事だ。
「緊張するわい」
「……」
「父と共に総波魛を斬った時以来じゃな」
この男の父となれば、年齢から見てもう生きてはいないだろう。
「千年級の魔物と同等だというのか、儂が老いたのか」
エシュメノを見る目は鋭く、激しい雨風にも全く揺らがない。
強い。
今まで相対してきた敵の誰よりも。
じりとにじり寄る足に、その倍ほど後ずさる。
「はぁっ!」
仕掛けたのはエシュメノではない。エシュメノは動けなかった。
後ろからネネランが仕掛けた。
ルゥナの言う通りエシュメノを守ろうと。言われなくてもエシュメノを守る為に。
「だめ!」
背中だったから出来ると思ったのか。
正面から見ていないから敵の強さを見誤ったのか。
ネネランの不用意な攻撃。
そんなもので討てるはずがない。
雨の中、揺らぐように姿が消えた。
ネネランの槍が空を突く。
濡れた地面を、たた、と水を跳ねながら、引き戻すよりも先にネネランに肉薄した。
「お前が先に」
腕が飛んだ。
近付いたと同時に、ネネランの片腕が斬り飛ばされた。
「死ねい!」
「嫌です」
弾けた。
腕を斬られた時に空気袋を破裂させて。
「むぅっ!?」
「もう一つ!」
「しゃらくさい!」
槍は既に捨てていた。
もう一つ空気袋を投げながら下がろうとするネネランだが、老ミルガーハの動きが早すぎた。
破裂した風に一瞬だけ遅れたが、返した刃でネネランの体を両断しようと。
「GuRaaaA!」
上から潰そうとしたラッケルタの爪だが、また揺らぐように体がズレてギリギリで爪を躱す。
「邪魔じゃわい」
切り裂いた。
先ほどのネネランの腕と同じように。
ラッケルタの表皮から刃が食い込む。けれど。
「くぬぅ! 踏み込んできよるとは!」
食い込み、途中で止まった。
ネネランとラッケルタでは腕の太さがまるで違う。硬さも。
ラッケルタは引かなかった。
刃に対して押し込む形で振り抜かせず、切断させなかった。
直前にネネランの腕を斬り飛ばされたのを見たから、こんな判断をしたのだと思う。
「えぇい!」
「やぁ!」
刃を引き抜いたミルガーハに向けてネネランが再び空気袋を投げるが、容易く切り捨てられた。
「小賢しい!」
「ラッケルタ!」
ネネランに呼ばれるまでもなく、ラッケルタの口から既に炎が溢れている。
「この程度で儂を――」
腕を切り落とされながら、槍を捨てながら。
ネネランはラッケルタの背中に逃げ込む。
ミルガーハの背中を突こうとしていたエシュメノも、ネネランの動きを見ていたからわかっていた。僅かに鼻に届いた臭いも。
近付いてはいけない。
「なんじゃ――?」
「GiA!」
爆炎が、ラッケルタとミルガーハを吹き飛ばした。
二つ目の空気袋の中身は、ただの空気ではない。
湿地の底から漏れ出す燃える空気がある。近くは妙な臭いがして危険だとわかるから普通は近付かない。
窪みなどに溜まったそれに火を近づけると爆発する。
さすがの達人でも爆発を避けられるわけではない。
また、連撃の為に呼吸を押さえていて、臭いに気付くのが遅れた。
「むぐぅぅっ!」
「GaAuooo!」
苦悶の声。
至近距離の爆発。炎に強いラッケルタとて無事ではないが、身を挺してネネランを守ろうとしている。
人間のミルガーハの方は。
どれだけ強かろうが、生き物としては人間だ。
ラッケルタのように火炎を吐く生き物ではない。炎熱に強い鱗を持っているわけではない。
炎と爆風で吹き飛ばされ、普通の強い人間なら死んでいただろう。
けれど。
普通ではない。
五体満足で立っているのは、さすがとしか言いようがない。
禿げた頭に流れる雨がじゅっと蒸気に変わったのは、爆熱の名残かそれとも老人の怒りのあまりだったか。
※ ※ ※
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