第四幕 085話 腹から溢れる覚悟
これがコロンバだったのなら。
戦ったことはないが、おそらくゾーイは守勢に回っていたはずだ。
英雄級の敵が得意武器を手にして、さらに一線級の魔法使いの支援もある。
防ぎながら隙を伺う。そういう戦いになるはずだった。
自分がこの二匹を相手に、夫をリュドミラの支援に回した直感は正しかった。
戦えると思ったのだ。
このくらいの相手なら自分だけでなんとかなる、と。
「なんとも」
叩きつけてきた鉄棍を横に叩いて流す。
「やっ!」
「興覚めだね」
続けて突き出された鉄棍を避けるついでに踏み込み、腹に掌底を叩き込む。
「ぶっ」
堅い。
鉄棍を繋ぐ黒布は妙に硬く、ゾーイの一撃から女を救った。
「極光の斑列より、鳴れ星振の響叉」
「ぬるいんだよ!」
吹き飛んだ女を助けようと魔法使いが放った見えぬ衝撃波を拳で打ち払う。
「警戒しちまったじゃないか。ムストーグを倒した敵だっていうから」
「……」
無言の女に拳を向け、首を振った。
「あんた、もうボロボロじゃないかい」
セサーカと呼ばれていた魔法使いがちらりと視線を送る。
「アヴィとか言ったね。事情はわからないし知る必要もないけど」
「……」
「英雄級の力を持っていても、あんたの体はそれに見合ってない。異常な力があるだけの子供みたいなもんさ」
器が足りない。
強い力を持つに至ったが、肉体がそれを充分に使えるほど強くない。
それでも勇者級相手なら十分だろう。しかし確かな英雄級の力を持ち経験も豊かなゾーイ相手では明確に差が出る。
時間を追うごとに、鈍くなっていく。
「柔い船体で滅茶苦茶に漕いだら船はバラバラさ。そういうことだよ」
「アヴィ様……」
「平気」
「はっ、平気なわけがあるかい」
強がっているだけ。全力で鉄棍を叩きつけた衝撃だけでも辛いはずだ。ゾーイの拳を受け止めれば骨が軋む。
激痛に耐えて戦っている。
自分の力で自分を傷つけながら。
「そういや
「……」
「バカみたいな力を一時的に引き出すけど体が耐えられなくて死んじまう。そういう薬さ」
ヘズの防衛戦で使われたと聞いている。
人を狂わせる呪術薬で禁止されているが、ヘズが滅んだ今となっては誰も処罰しようがない。
アヴィのやっていることはそれと変わらない。正気を保っていることが違うとしても。
「いんや、狂ってるか」
浮かんだ思考を鼻で笑い、改めて構え直した。
「そんなんで超えられるほど、こっちは甘かないんだよ」
敵の底が見えたのなら躊躇う必要はない。
一気に片付けて家族の下に向かう。
「死にな!」
飛びかかるところに鉄棍が飛んできた。
まともに打ち合えばダメージを受けるのは相手の方だ。少しはまともな判断だと思うが。
「見え見えなんだよ」
その鉄棍を掴もうと伸ばした手が、空かされる。
投げた鉄棍を急停止させた。繋いでいる黒布で。
「っ!?」
「やぁ!」
距離を取っての戦うのかと思いきや、投げた鉄棍に続けて踏み込んできていた。
タイミングをずらされた。
「く!」
もう一本の鉄棍を叩きつけられるのを腕で防ぐ。
折れはしないが、さすがに骨まで響く。
鉄棍を投げた方の手が空になっていて、掌打でゾーイの顎を狙った。
躱すが、爪が頬を掠める。
同時にゾーイの足がアヴィを蹴り飛ばした。
「ぶっ」
「生意気だね!」
体術で挑まれるとは思わなかったし、手傷を負うなど。
「天嶮より降れ、零銀なる垂氷」
「っと」
放たれた鋭い氷の連弾を避け、追撃は出来ない。
色々と噛み合わない。
この女は急激に力をつけたはずなのに、初めて戦うゾーイに対しての対応が柔軟だ。
長年戦い続けてきたような練度を感じる。
魔境に十年と潜り続けた冒険者のような、未知の敵への対応力。
これだけの力があれば、技を磨くより力で押すことが得意になりそうなのだが、そうでもない。
それなら力に見合った体になっていそうなものだが、肉体の方は優秀な戦士という程度のもの。
力も技も肉体もちぐはぐ。
気持ちが悪い。人間に近い姿をしているが影陋族なのだ。別の生き物と考えた方がいい。
「セオリー通りやらせてもらうよ!」
粘り強い前衛と、優秀な支援。
先に落とすなら支援の方だ。
「はっ!」
ゾーイの速さについてこられるものなど、そうそういるものではない。
まして魔法使いがついて来られるわけもない。
「極冠の叢雲より、降れ玄翁の冽塊」
だというのに魔法を放った。
目の前に迫る猛速の雹弾は、受ければただで済む威力ではない。
咄嗟に適当に唱えたのではなく、十分に力を込めて放たれた。
「なん、だってぇ!」
セオリーなのだから予測もされるか。
先ほどの支援はアヴィにぶつけないよう配慮があったが、今度の魔法は無差別の弾撃だ。
突っ込んでいる以上、避け切れない。
「らあぁぁっっ!」
だが、関係ない。
敵が魔法を放つなら、打ち砕いて進むまで。
それが英雄級の武闘家ゾーイの戦い方。
降り注ぐ猛烈な雹弾を両方の拳で全て砕く。
全ては無理だった。いくつか体を掠めるものは無視して打ち払った。
この魔法使いの力も大したものだ。勇者級と呼べるだけのものがある。
だが、甘い。
この魔法ではアヴィも近づけない。
そして魔法使いが接近戦でゾーイに勝てるはずもない。リュドミラを除いて。
「だぁっ!」
最後の危険な雹弾を打ち砕き、後ろに跳んでいる魔法使いの姿を捉えた。
跳ぶ。
踏み込んだ勢いで周囲の空気が弾け飛び、ゾーイ自身にも衝撃が加わる。
肌が音を弾いた。
「終わりさ!」
鋭く伸ばした指先が、魔法使いの体を貫いた。
「!」
「谿峡の境間より、咬薙げ亡空の哭風」
横から唱えられた詠唱。
貫いた姿が揺れて消えて。
とてつもない圧を凝縮した塊がゾーイに迫った。
「っ……」
幻の魔法。
さらに必殺の魔法を続けて放つとは。
大した魔法使いだ。セサーカと呼ばれていたのだった。
「本当に」
大した魔法使いだ。
嵐の夜でなければ幻などに引っ掛からなかっただろうが、それにしても。
「ムストーグがやられるわけだね」
攻めてきてくれてよかったと思う。
軍を組織して攻めてきた。だから警戒した。
仮にこれが軍などではなく、単独や非常に少数で闇討ちなどを仕掛けてきたのなら。
無警戒ならやられていたかもしれない。
影陋族が恨みを抱くだろうミルガーハ家の者を、次々と暗殺することも可能だったか。
岩を摺り下ろすような空気の塊。
食らえばさすがにゾーイも無事では済まない。
「覚えといてやるよ」
これだけの戦力で反攻してきたことを、ミルガーハ家の戒めとして残しておこう。
「うちの子らの糧になるだろうさ!」
教訓になる。影陋族を今後も押さえつけておくための材料にも。
永遠に踏みつけておく為に。
ゾーイを飲み込もうと迫ったそれに、手刀を一閃。
空気の塊がこれほど重いとは知らなかった。
岩塊のような重みを切り裂くと、嵐の中にさらに嵐が巻き起こった。
竜巻の中心にいるような暴風の中、飛びずさり着地しようとするセサーカを今度こそ捉える。
今度こそ、殺す。仕留める。
頭上から叩きつけられる鉄棍を、見もせずに掴んだ。
「……」
掴まれた一方の鉄棍を手放し、セサーカとゾーイの間に立つアヴィ。
ぴんと張った黒布は簡単に千切れそうにない。
お互いに引き合い、少し離れた所で破裂した爆炎で頬が橙に照らされる。
距離はあるけれど熱を感じた。
先ほど砕いた雹弾の欠片が、ゾーイの額の上で溶けるほど。
「セサーカ」
「はい」
「ミアデを助けなさい」
黒布を引きながらのアヴィの指示は、この場を離れろと言う。
ゾーイとの力の差はわかっているだろうに。
「ですがアヴィ様」
「命令よ」
「……」
状況がわかっていないのか、諦めて自分は時間稼ぎで命を捨てようと言うのか。
思わず成り行きを見守ってしまう。
「……」
「命令よ、セサーカ」
先ほどよりは、少し柔らかい声で。
彼女らは恋人同士なのだろうか。女だけれども、そんな色にも聞こえる。
「私を信じなさい」
助けに行けと。自分を信じるように命じて。
「……はい、アヴィ様」
頷き、駆けていくセサーカを、何となく追えなかった。
「あんた、リュドミラ! 魔法使いがそっちに行った‼」
追えなかったが、向かった先にいるのはゾーイの家族だ。放っておくわけにもいかない。
「強い魔法と幻術を使う! 厄介な相手だよ!」
警戒するよう吠えると、風の中から微かに夫の返事が聞こえた。とりあえずはそれでいい。
続けて放たれた強烈な炎の魔法が、再びアヴィとゾーイの顔を照らす。
雨に打たれ、凛としたその顔はなかなかに美しい。
「結構な覚悟だけど、さっさと終わらせるよ」
一対一でゾーイに勝てるわけもない。
警戒すべき魔法使いも去り、集中すればすぐに片付くだろう。
何も変わらない。むしろ敵にとっては悪手だ。
ただでさえ少ない勝算が消えてなくなっただけ。
「覚悟は」
アヴィが、腰から何かを取った。
投擲武器かと警戒したが、手にしたそれを口にする。
飲み下して。
「……足りなかったのだわ」
自分を支援していたセサーカを遠ざけた上で、まさかただ食事を補給したわけではあるまい。
「……なんだい?」
「人間を食らいつくす。それが私の役目なのに……だのに」
何かまずい。
ぐいと、握る鉄棍を引く。すぐに片付けなければ。
「――?」
引けない。びくともしない。
「託してくれたウヤルカの為に」
雰囲気が変わった。
怜悧な雰囲気だった女が、異様な重厚さに。
黒くて重い。
「それは……焚き鼓、って……?」
ヘズの町で使われたと聞いている。
死を覚悟した騎士が、己の力を超える為に口にしたのだとか。
「私はまだ、私を守ろうとしていたの」
「……狂ってるね、あんた」
「何も守らない。なんにもいらない」
ぐいと、握る鉄棍が引っ張られた。
「人間はみんな殺す。全部、ぜぇんぶころすの」
耐えきれず、手を放した。
猛烈な速度で返っていく鉄棍をぴたりと掴み、ゾーイの反応を上回る速さでアヴィが迫った。
「そうしなきゃ母さんのところに行けないんだもの!」
「くっそ!」
「だから死んで。死んで、死んで! すぐにぜんぶ死ぬから!」
正気を失ったわけではない。
最初からなかった。この女はとうの昔に正気など失っていたのだろう。
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