第四幕 072話 奇縁、宿縁



「跡形もないとは」

「ずりぃってば師匠!」


 ボルドの副官サロモンテが嘆息を、ハルマニーが怒声を向ける。ビムベルクに。

 町で大騒ぎだ。当然警備兵やエトセン騎士団も駆け付ける。


 現場に踏み込んだのはビムベルクが一番だった。

 警備兵たちは逃げる人々を誘導していたのだろう。


 侵入者側が時間をかけるわけもなく、他の面々が到着する前に片付いてしまった。



「アタシだってやりたかったのにぃ!」

「民間人のお前がなんかするのは問題あんだろ」


 実力はともかく、ハルマニーは他国の商家の娘という立場なのだから。


「よもやビムベルクの口から説教を聞く日がくるとは……団長にも聞いてもらいたかったな」

「るっせぇ」


 らしくないと驚くサロモンテにぼやき返す。


「一応、跡形はあるじゃねえか」

「壁の血痕とその血溜まりだけで何を判断しろと言うのか……まあいい」


 やれやれ、と今度ははっきりと溜息を吐いた。



「お前でも余裕のない相手だったというわけか」

「ボルドを殺しに来てんだ。それなりにな」

「アタシも見たかったぁ!」


 余裕がなかった。奥の手まで使ったせいで疲労が激しい。

 限界を超えた力を使うビムベルクのとっておきだが、使用時間はわずかで、その後の反動で体がひどく痛む。鈍る。

 呪術師を殺したので呪術の影響は解けたが、それ以上に体が重い。



 父から受け継いだ技。

 とはいっても、父も実戦で使ったことはなかったという。

 引退する頃に手に入れた本の一節に書いてあったのだとか。


 人間の中に渦巻く力。日常ではどれだけ力を振り絞っても、己の肉体を痛めないまでに制限がかかる。

 その制限を無理やり解き放つ。

 自分の体を煌銀製の人形のように思い込ませて、全力を越えた力を使わせる。


 岩を素手で殴れと言われても、普通は自分の拳を痛めないよう加減をするだろう。

 英雄だって、自分の体を壊すような力は無意識に抑える。

 死に瀕して狂乱するような力を意識的に引き出すのだが、それが簡単に出来るのなら誰もやるはず。



 父の持っていた本には、他では聞かないようなことが書かれていた。

 人間の体は砂粒のようなものが集まり出来ていて、頭から電気が流れることで役割を果たすのだとか。


 その一粒一粒に力を滾らせるよう、体内の力を燃やす。

 理屈はわからなかったが、そう認識したら出来るようになった。父もそうだったと。


 英雄級の力を持つビムベルクが己の限界を超えて戦う。

 効果はわずかな時間でも、正面から戦える人間などいるはずがない。凄腕の暗殺者だっただろう敵も、濡牙槍の先端で打たれ血の花になった。




 襲撃騒ぎにビムベルクが対処して、騎士団の面々も駆け付けてきた為に多少は落ち着きが戻ってきている。

 近隣の住民や、逆に他から集まって来た野次馬に警備兵が対処しているところだ。



「この連中と爆炎の魔法は別口だ」

「なに? いや……そうか。連中が騒ぎを大きくする理由はない」

「らしい気配はねえが、まだどっかにいるかもしれねえ。気を付けるように皆に言っといてくれ」

「わかった」


 今さらここで仕掛けてくるとは思えない。

 そもそも何の目的での爆発騒ぎだったのか。ボルドを援護した形にも見えなくはない。


「なになに、まだ敵いんの?」

「さあな。勇者級以上の魔法使いだろうが、近くにいるんだか逃げたんだか」

「勇者級以上って英雄級? すっげぇ、お姉さま並かあ」


 近くにいるかもと聞いてそそられたのか、半壊したボルドの屋敷の壁をだだっと登り、屋根からきょろきょろと見回す少女。

 サロモンテとそれを見送り、やはり溜息が漏れた。


 何が面白いのか。ハルマニーにとっては余所の町だから、珍しい催し物のような感覚なのかもしれない。



「……英雄級って言ってもな」


 まさか本当にハルマニーの姉とやらが来ているのではないかと考えてしまう。

 英雄級の魔法使いなどそうそういるものではない。というか、今この大陸に二人といるのか。


 単独ではなく勇者級の魔法使いが数名だったのかもしれない。

 だとしても大陸中を探しても十数人程度がせいぜい。


 菫獅子騎士団にならそれだけの戦力があっても不思議はないが、それが自分たちの作戦を邪魔する理由が思い当たらない。



「……」


 サロモンテも疑問だったようだ。

 菫獅子騎士団と対立する勢力が、妨害工作の為に強力な魔法使いを送り込んだ可能性もある。



「……例の」

「魔女堕ちなら、街道にも町の出入り口にも手配をかけている。この中心部まで何も引っ掛からずには辿り着かん」


 最初に除外した可能性。

 トゴールトを支配していた危険な魔法使い。

 金髪の女。魔女堕ちのアン・ボウダを名乗ったという。


 町に紛れ込まれたら一大事だ。

 過去の歴史にも、危険な魔法使いが無差別な破壊をした記録がある。

 エトセンほどの大都市になれば、然るべき警戒態勢は敷かれる。


 全ての人間を把握することは出来ないが、町に出入りする人間に対して何重もの確認をしているはずだ。

 特定の、金髪の少女という特徴があるのなら特に集中して。



 危険な呪術師もいたとか。

 純度の高い呪術師は、自らの素性を隠すような偽装をしない。というか出来ない。

 普段の言動もおかしいし、存在するだけで異様で異質。見ればわかる。


 黒装束の若い女騎士もいたというが、それは魔法使いではない。

 危険がないわけではないが、英雄級の魔法使いと比べれば脅威度は低い。

 翔翼馬に乗っていたというから、空への警戒も怠っていない。そもそもエトセンは飛竜騎士への備えもされている。



 対策しているアン・ボウダ関連ではないと頭から決めつけていたが。


「……その魔女」


 考えてみれば、何のことはない。


「エトセンに恨みがあるとか、そんな話だったな」

「侵入された、か」


 ビムベルクは見ていないが、魔女はエトセンに対して強い憎悪を抱いているとか。

 トゴールトでまた魔物を集めてエトセンを襲うのではないか。


 その場合、戦力の低下したエトセン騎士団では対処しきれないかもしれない。もともと本国への援軍要請はその為だった。

 なんだかおかしな方向に進んでしまったけれど。



「頭がおかしいってんなら、こんなバカもやるだろ」

「しかしこれでは、ただエトセン騎士団への私怨に……私怨、なのか」


 戦いに勝利するのが目的なら、集めた魔物を何度もぶつけてくればいい。

 エトセン周辺には食料の生産地もある。それらを踏み躙り、疲弊させながらエトセンを潰す方が利口ではないか。

 もちろんそうなる前にトゴールトを討伐できるよう、援軍を要請したつもりだが。



 組織として対処しようと考えたエトセン側と違い、アン・ボウダとやらは作戦や効率を無視した行動を選んだのかも。

 警戒していたとはいえ、現実に大将が単身で敵地に乗り込む可能性を高いとは見ていなかった。


 エトセン騎士団を壊滅させる。団長を殺す。

 その為に他のことは構わないなど、私怨以外の何でもない。


 極めて私的な、気ままな行動。予想しようとしても無駄か。

 それにしてもどんな恨みがあると言うのか。



「いったい何者なんだ、そのアン・ボウダとか言うのは」

「……私も、謹慎前の団長に聞いたばかりだが。妙な縁というのはあるものだと思ったよ」


 まだ屋根の上でどこかに怪しい動きがないかと見回しているハルマニーを見て。

 サロモンテはゆっくりと首を振った。


「エトセン騎士団の団長を務め、裏切りの魔女として存在を抹消された。彼女は」


 意味ありげなサロモンテの視線に、ビムベルクの目もハルマニーを追う。

 小さな尻がひょこひょこと、あっちこっちに動き回っていた。



「ミルガーハの血族らしい」

「……そりゃあ、厄介そうだな」


 大陸で最大の権力を持つ奴隷商人の一族。

 権勢を維持する為、近隣の貴族とも縁を持ったという。

 エトセンにそれらが混じっていたとしても、なんら不思議はない。


 ハルマニーは英雄となるべく生まれついたような天才だ。

 そのハルマニーが怖れるという姉リュドミラ。

 他にも、異様な力を持った者は過去にもいただろう。



「妙な縁、ね」


 この上でまだ厄介な関りが自分に繋がるのは勘弁してほしい。


 しかし、世の歴史に謡われる勇者英雄を思い浮かべてみれば、それらはただ力が優れていただけではない。

 未知の危地や絶望的な苦境に見舞われ、それらを乗り越えて伝承となっている。


 彼らの冒険譚は、誇張や脚色もあるのだろう。

 今、ビムベルク達が直面している事態は、それらの伝承と比較してどちらがより困難なのか。


 進むべき道も見えず、まして輝かしい結末などまるで見えない。

 この苦難を乗り越えてこその英雄だとしたら、それこそ勘弁してほしいと思うところだった。



  ※   ※   ※ 



「この匂い・・……」


 実際の嗅覚の問題ではない。感覚的なもの。


 たとえば剣の達人同士であれば、切り口の癖から誰と見分けることが出来るとか。

 そうした感覚で、極めて優れた魔法使い同士だからわかることもある。


 糸の紡ぎ方と言った方がいいか。

 特定の癖で編まれた布であれば、どこで織られたものか見分けられるような。


 魔法にもそういう癖がある。



「間違いない」


 先ほどの爆発の余波から感じたものは忘れようもない。


「あの……下種女が……っ!」


 近くにいる。

 手の届く所に。


「チャナタの仇……殺してやる」


 出遅れた。

 主のいなくなったチャナタの部屋に籠り、気力を失っていて外の騒ぎにすぐ反応できずに。


「絶対にあたしが殺す」



 自分と違い、チャナタは優しかった。

 一緒にいると心が柔らかくなる。悩みも苦しみも薄まり、周囲の人を安心させてくれる。


 そんなチャナタを殺した相手を許す理由はない。

 生きていていいはずがない。


 必ず殺す。

 この手で殺す。

 その為に生きている。その為に生かされた。


「安心しなよ、チャナタ」


 いつも安らぎをもらう側だった自分が、自分なりに彼女へ報いることが出来るなら。


「必ず仇を討つから。あたしが、チャナタの為に」


 チューザの頭ではそれくらいしか考えられなくて。

 それしか考えられなかった。



  ※   ※   ※ 

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