第四幕 071話 人外



 英雄殺しの双騎士。

 そう呼ばれるものの、実際に英雄級を殺したことはない。

 ルラバダール本国は平和なのだから。


 表向きは平和で、裏で権力やら縄張り争いはあるにしても、英雄級の主要人物を暗殺するような機会はない。

 やれば、その先は全面抗争になってしまう。


 せいぜいが、対抗勢力の中で悪戯が過ぎるような者を、粛清と見せしめに殺す。

 逆に菫獅子騎士団の幹部が殺されたこともあった。

 暗殺とほぼ同時に殺された者の醜聞も広まれば、世間は暗殺を正義と見る。



 ヘロルトとフースはラドバーグ侯爵の懐刀としての役割を担ってきた。

 箔をつけるために、英雄殺しという異名を流して。


 英雄級を、殺せなかったわけではない。

 殺す機会がなかっただけだ。



 カナンラダ大陸では最大の武力を有するエトセン騎士団。

 彼らの精神的支柱となっているのは、団長のボルド・ガドランともう一人。英雄ビムベルクだ。


 どちらか。

 または両方を。

 始末するのがヘロルトたちの仕事だった。



 不穏な情勢下で、騎士団の大幹部が殺される。

 これでは軍権を任せておけない。上位者に当たる菫獅子騎士団が、一時的な治安維持の為に指揮を執ろう。


 一時的に。

 それがなし崩しに無期限になっても問題はない。

 海を渡った菫獅子騎士団の戦力は、エトセン騎士団総力の倍を超える。彼らが抵抗したところで無駄なこと。



 最優先目標だったボルドには逃げられた。

 ヘロルトとフースの一歩半ズレた連撃に対して乱れず防がれるとは、田舎とはいえさすが騎士団長。

 呼吸の合わない連続攻撃というのは難しいものなのだが。


 それでも二対一。

 奥の手を使うまでもないと思ったところで、若い男に乱入された。

 黒い首輪をつけた奴隷。



 さすが田舎。想像できる範疇を外れる事態がある。

 法を破り呪枷を人間に使うとは。

 なかなかの美青年の冒険者のようだった。ボルドはそちらの趣味だったか。


 状況の変化に対応しようとする中、爆発が起きた。

 侵入した家の周辺で二度、三度、四度と。聞きながら、鳴りやまないそれに驚かされた。


 一発一発が上位以上の魔法使いの劫炎。それが十を超える。

 一人の魔法使いでは有り得ない。部隊だ。


 罠に嵌まったのはヘロルトたちの方だったか、と。

 警戒した隙に逃げられてしまった。




「……一人、か?」

「他の魔法使いどもは出てこねえのかよ? こそこそしやがって」

「知るか。お前らの部下だろうが」

「あぁ?」


 この男はビムベルクに間違いない。

 それは間違いないが、会話が噛み合わない。


 演技が得意そうな男でもない。この男は知らないのだろう。

 別口の誰かが手配した邪魔者。爆発の後に気配を感じないのは役目を終えて逃げ去ったのか。

 どちらにせよ、田舎騎士どもが事を構えるつもりなのは事実。身の程を知らず。


 牙を折らねばならない。

 ここで、連中が一番頼りにしているだろうビムベルクを殺す。

 ちょうどいい。



「ふ」


 荒々しい口調のフース。

 それより先に、踏み込むタイミングも見せずにヘロルトが飛び込んだ。


 大抵の相手はフースが先手を取ると意識を割く。


「ちっ!」


 予備動作のない踏み込みはヘロルトの得意とするところだ。


 下から切り上げる刃を、巨大な武器の柄で正確に弾くのはさすが英雄。

 力も強い。たった一合だけでヘロルトの手が痺れるほど。



 殺すのに時間はかけられない。手段は選ばない。


「むう!?」


 切りつけるのと同時に握り込んでいた瓶を放った。

 中に詰まっているのは猛毒の粉。触れればあっという間に皮膚が焼けただれる。相手が英雄だろうと関係ない。


「っ!」


 即座に離れた。

 ヘロルトの剣撃と共に投げられたその瓶を、一瞬で見切って手の平で握り込むビムベルクを見て。


 猛毒なのだから、かかればヘロルトとて無事では済まない。

 瓶はしっかりと封をされていて、けれど強い勢いで叩きつけられれば割れるはず。

 だがそれを、剣撃を防ぐ一方でふわりと優しく包むとは。



「小細工を」


 これが英雄か。


 ビムベルクの足が下がるヘロルトを蹴り潰そうと力が入るのを感じて、目を逸らした。

 ビムベルクの横に目線を流す。


「そこかぁ!」


 もう一人のフースが回り込んだだろうそちらに、ビムベルクの剣が間髪入れずに叩き込まれた。



「ははっ!」


 フースの嘲笑は、その一撃から外れた場所から。


「すげぇよ英雄!」


 一拍半の呼吸のズレ。ヘロルトが作った隙を、フースは突かない。



 手応えのなさと目測を誤ったことにビムベルクの頬が引き攣った。

 一流の戦士だからこそ、このタイミングという間合いがある。連携してそれを狙っていると考えて、ヘロルトとフースの術中に嵌まる。


「しゃあ!」


 呼吸が掴めないというのは気持ちが悪い。一流の戦士であればあるほど。

 その逡巡にフースの持つ棘のようなスティレットが突き立てられた。


「な――っ!」

「遅えんだよ!」


 フースの踏み込みに驚くのも無理はない。靴底に仕込んだ老尾猫おいびびょうの肉球による力。



 気付かれず獲物を追うから老尾猫。

 音もなく近付き過ぎ去っていくそれが、時間の流れに似ているから老尾猫。

 その尾が人の老化の意味を負う。過ぎた時の尾は捕まえられない。


 魔物を殺すと、稀にその一部が不思議な力を残すことがある。

 フースの靴に使われているそれは、見た目以上の強烈な跳躍力を発揮する。大きな音を立てずに。


 なまじ目が良い強者だからこそ、踏み込みから相手の速さ、強さを予測しただろう。それが間違い。



「くそっ!」


 ビムベルクが片手で軽々操る巨大な武器。近過ぎれば振りにくい。

 急接近したフースに舌打ちしつつ、ヘロルトへの警戒も必要だ。



「よそ見してんなよ!」


 反撃よりも防御を選んだビムベルクだが、それこそがまさに術中。


 のけぞって躱したフースのスティレットの切っ先。

 咄嗟に危険を察知しただけでも大したもの。



「ぐぶぇっ」

「あ?」


 ビムベルクが息を詰まらせた悲鳴をあげた。

 同時にフースが怪訝な声を発する。


「退け!」

「うぉわっ!?」


 ヘロルトの指示が一瞬速かった。仰け反りながらのビムベルクの蹴りを無音の跳躍で躱すフース。



「てぇ……くそったれ、が」

「今のなら喉に穴開くだろうが、普通」


 フースのスティレットは特別製だ。その切っ先よりもさらに先に見えない刃を放つ。


 頑丈な岩の表面に、周囲に罅も入れずに丸い穴を穿つ。そういう武具だ。

 魔法に近く、使うとフースの体力も減るが。


 棘虎おどろとらと呼ばれる魔物。異常に巨大化したそれを討伐した棘から作られたと伝えられる。



 岩をも穿つその一撃を、ビムベルクは喉で受けた。実際の切っ先ではなく延長した魔法の刃部分だったからだとしても、さすがに驚かずにいられない。

 見れば喉から血は流れているが、致命的なものではない。


「暗殺者、ってわけか」


 さすが英雄。ヘロルトの想像を超える。



「手加減は抜きだ」


 蹴りの姿勢から戻りながら両手で剣を握る。

 気配が変わった。猛獣のように。


「跡形も残らねえぞ」


 ずん、とフースを蹴り損ねた足が高級住宅の石床を踏み割った。



「っ!?」

「暗殺者だからな」


 違和感に気付いたのだとしても襲い。


「女神は架す。駑馬どばくくる応分の重縄じゅうじょうを。俘縛ふばく贅瘤ぜいりゅう


「呪術か!」


 フースに気を取られた隙に振り撒いた。

 そして、先触れからの呪術の詠唱。


 重罪人の足首を燻し砕いた呪術の粉がビムベルクの足を絡めとる。

 通常の数倍の重みが彼を捕えた。



 近接戦闘中に呪術を使うような者は少ない。

 かなりの集中と下準備が必要になる。使い物にならないのが普通だ。


 ヘロルトとて多くの手札を用意してはいない。無理なく使えて有用な呪術を厳選している。


 暗殺者として、同じ敵と二度もやり合うことはない。

 なら一度だけでいい。その一度で事は足りるのだから。



「フース、とどめを――」

「気をつけろよ」


 突然にかかった重量にバランスを崩しているはずの男が笑った。

 膝は少し落ちている。


 この呪術は現実の重さを増しているのではなく、受けた者の精神に作用している。筋力や何かだけですぐ対応できるわけではない。


 だというのに笑った。

 皮肉気に。



「お前らの撒いた毒だからな」

「うぉっ!?」


 止めの一撃と踏み込みかけて、急遽横の壁に飛び退くフース。

 頭上から降って来た粉を必死で避け、足を壁に張り付けたまま顔を引き攣らせる。



 先ほどヘロルトが投げた瓶を、仰け反った姿勢から上に投げていた。

 肉を溶かす猛毒の粉。

 ビムベルクは中身を知らなくとも、触れて良い物だとは思わなかっただろう。


 あの粉は少し日に晒されれば無毒化するのだが。

 あのままフースの頭に降りかかれば死ぬのは間違いない。



「落ち着け!」


 ヘロルトも呪術を使った直後で動きが止まっていた。

 敵の動きを制限する呪術は、詠唱している時に自分の足も止まる。


「足を止めた。あとは仕留めるだけだ」

「んだなっ!」


 一手遅れたが、呪術の効果が消えたわけではない。



 動きが鈍れば英雄とて十分な戦いは出来ない。

 ヘロルトとフースを相手にして、その遅れは致命的なものになる。


「ぼ」


 ぶわ、と。


 頭が鳴った。

 意識が砕け散る。


 ヘロルトの認知する世界が揺れた。

 何も見えない霧のように。そして霧が払われて消え去るように。



 認識できなかった。

 一瞬で自分の体が血煙になり、散り散りになったことを。

 ヘロルトの意識だけが瞬間そこに残り、肉体から少し遅れて霧散した。



 音を砕く衝撃波と共にヘロルトを消し去ったビムベルクと、壁に張り付いたまま固まるフースだけが残ったホールで。


「手加減はしねえって言った」


 ビムベルクの足元が小刻みに振動している。


「つっても、こいつまで使わせるとはな」


 英雄の奥の手。滅多に使う者のいない身体強化の術を使って。

 苦々しい顔で、壁に止まる虫でも見るようにフースを見た。



「やなこと思い出させやがって」

「へ、ヘロルトが……」


 ヘロルトが自身の死を理解できなかったように、見ていたフースも理解できない。

 英雄とは言え、重縄の呪縛を受けた状態で、目にも止まらぬ速度で動いたビムベルク。信じられないと。



 実際には目には映っていた。

 先入観だ。ビムベルクの動きが鈍るという。


 動きが鈍るはずの状態で、それまでより素早く動いた。

 だから対応が遅れた。確かに音を置き去りにするほどの速度で、屋敷内の空気を震わせるほどの速さということでもあったにしろ。



「ロッザロンドじゃどうだか知らねえが」


 英雄の長大な剣が、フースに真っ直ぐに突き付けられた。


「ここらで英雄って呼ばれんのは、人間から外れた奴だけなんだよ」


 首を突かれた腹いせ、というわけではなかっただろうが。



 フースの靴と違い、ビムベルクの靴はただ頑丈なだけだ。

 だから踏み込みが見えなかったわけではない。


 ただ速すぎて、尖っていない濡牙槍の切っ先が自分の体を打つのを、打たれてからようやく認識した。



 ボルド・ガドラン邸宅の玄関ホール。

 綺麗に掃除されていた白い壁に、幾重かに飛び散った血の環が赤い花のように咲く。

 侵入者の痕跡で残ったものはそれだけだった。



  ※   ※   ※ 

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