第四幕 065話 目隠しの向こう_1



「どうして!」


 恨み言。


「あの方は!」


 鞭打つ音。


「私を見て下さらない!」


 嫉妬をぶつけて。



 痛みはもちろんある。

 我慢できないほどではないけれど。

 大怪我を負わせてはならないという遠慮もあるのだろう。


 少し、よくない。

 痛みに段々と慣れて来るにつれて、刺激の受け止め方が変わってきてしまう。


 ほしい。

 もっとほしい。


 責める言葉と共に鞭打つそれを、ぼうっとする頭が他のもののように置き換えてしまう。

 愛しい彼女がくれた鞭のように。

 まるで愛のように。


 拘束され視界も塞がれているせいで、肌に伝わる感触が誤解させた。



 ここのところずっと姿を見せてくれない。

 声を聞かせてくれない。

 鞭をくれない。


 イリアを拘束して、そんな遠くにいるはずがないのに。

 どれくらい繋がれたままだったのかわからない。覚えていない。


 食事や何かは、生きていた影陋族の女が口まで運んだ。

 湯の入った桶を持ってきて、イリアの体を丁寧に拭く。

 マルセナ以外の誰にも触れさせたくないのに。


 体が腐らないようにと、拭くついでに一時的に戒めを解かれるけれど、目隠しは外されない。そしてマルセナの命令だからとまた縛られる。

 イリア自身、マルセナから自由にしていいと許可をもらえなければ逆らえない。


 拘束されている間の生理現象の世話までされた。

 屈辱だ。影陋族なんかに。




 久しぶりに違う気配を感じて、マルセナと呼びかけた。

 癇に障ったクロエにぶたれることになってしまう。



「マルセナ様は!」

「ふぁっ」


 強く、胸を打たれた。

 びしりと走った痛みが、イリアの体を震わせる。


「……イリアさん、貴女」


 鞭打つ手が止まった。それから鞭の先を、今ほど打ち据えた胸の先に。

 びくっと再び痙攣したイリアを見て、吐く息の色が変わる。


「こんな……私にされて、こんな風に?」


 つ、と。

 椅子に繋がれ閉じられない足の腿を、指先が撫でる。


 溶けてしまいそうなイリアの熱を。



「ち、がう……」


 マルセナのことを思い出して、マルセナからもらった鞭の痛みを思い出して。

 クロエなんかを求めているんじゃない。

 そうじゃないのに。



「……ねえ、イリアさん」


 指の数が増える。

 触れる指の数が増えて、多足の虫が這うようにイリアの肌を蝕む。


「強情はやめましょうか」

「や、め……っ」

「あら、痛かったですか? ここでしょうか」


 反対の指も、イリアの脇のひりひりする痛みを撫でた。


「つっ……」

「痛いです?」


 一度指が離れて、ぺちゃりという音が耳に届いた。


「ひあっ!?」


 それから、冷たくぬめる塗り薬のような感触が、先ほど痛んだ傷痕をなぞった。

 癒すように。



「ふふっ」


 嗤う。

 情けないイリアの反応を見て、小娘が嗤う。


「はしたない」

「……」

「私の言うことを聞くのなら」


 触れる感触が優しい。

 柔らかく、優しく。慈しむように。

 そういう気持ちはないくせに、心地よく感じるようにイリアの身に触れる。


「マルセナ様を呼んで差し上げます」

「あ……」


 欲しい物を吊るされて。


「素直に私を受け入れるなら」

「っ」

 イリアの心の隙間に入り込もうと。付け入ろうと。


「い……や……」

「マルセナ様の蜜、ほしくないのですか?」

「は、ぅ……」


 ずるい。


 蜜がほしい。

 甘い甘い蜜がほしい。

 飢えている。どれくらいの時かわからないけれど与えてもらえなくて。


 頭がおかしくなりそうだ。

 ああ、イリアが奪われている間、クロエがそれを啜っているのか。

 ずるい。ずるい。


 あれはイリアのだ。

 イリアだけが得られる甘い露。

 だけど今は、このままでは、いつまで経ってもイリアには届かない。


 いつまでも。

 永遠に得られない。拘束されてから数十日は過ぎたはず。

 この時間だけでも永遠に等しい。

 いつまで続くのか。いつまでも続くというのか。



「ね、イリアさん」


 耳元で囁く声。


「私もマルセナ様の下僕なんですから」


 怖くないのよと宥めるように。



「私の手はマルセナ様の手と同じ」

「ちが……」

「受け入れて、仲良くしましょう」


 頬に触れる柔らかな頬の感触。


「いつまでもこのままでいいんですか?」

「……」

「ずっとこのままで、貴女はいいんですか?」


 ずっと。

 このまま、ずっと。

 マルセナに触れることも声を聞くことも出来ず、黒布に覆われたこんな世界のまま。


 いやだ。


「いや……」

「助けてあげます」


 僅かに開いたイリアの中を侵そうと。

 こじ開けて、捩じり込もうと。


「私がマルセナ様に言いなしてあげますから」


 暗がりから這い出る為に、その身を明け渡せと言う。


「一緒にマルセナ様に尽くす為に、イリアさん」


 マルセナの為に、なら。



「私に貴女の体を許してくれますよね?」


 閉じることは難しい拘束だけれど、開くことは出来る。


 自分の為じゃない。

 マルセナの為で、それが全部で。

 だけどイリアの身も心も全部マルセナのものなのだけれど、だけどこの手もマルセナの手だから。


 頭がおかしくなる。

 蜜が足りなくて、もうずっと頭がおかしい。

 こんなことをしている場合じゃない。イリアの強情なんてマルセナには何の役にも立たない。



 なら、仕方がないか。

 嫌だけれど。

 クロエの手に身を委ねるなんて嫌だけれど。


 許して、しまえば。

 マルセナに会える。マルセナのくれる蜜を啜り、マルセナの為に身を尽くせる。


 だから……



「……」

「……だめ」


 ぴくりと、イリアの体を蝕んでいた指が動きを止めた。


「嫌よ」

「……イリアさん」


「あっ……くぅ」


 ぎゅうっと力を増した指が、イリアの体を痛くする。

 だけど、屈しない。


「……私は、マルセナだけ」

「貴女は……バカなんですか」

「そうよ」


 上等じゃないか。

 イリアはバカだ。自分でもわかっている。

 マルセナのことしか頭にないバカだ。


「マルセナじゃない誰かなんていらない。許さない」

「こんなにされておいて!」

「くぁ、んっ……それ、でも……」


 自由を奪われて、誰かに好き勝手にされたとしても。


「私の心はマルセナだけ。絶対に、マルセナにしかあげないんだから」

「なら!」


 クロエの手が激しくイリアの体を這い回る。


「そんな口が叩けなくなるまで情けない姿を晒させてあげるわ! 奴隷ども、手伝いなさい!」

「っ!」


 クロエだけでなく他の手まで使って、イリアを貶めようと。


 悔しい。

 啖呵は切ったけれど、抗うことも出来ないでこんなこと。


 クロエの手は、イリアの気持ちを逆撫でするように優しく心地よく蠢く。

 どうすればイリアが傷つき、心折れるか。

 それを理解して、強情な壁を溶かしてしまおうと。


 イリアの抵抗など関係ない。心が蕩けてクロエに慈悲を請うまで続ければいいのだから。

 命じられた奴隷たちとクロエの指が、吐息が。イリアの肌に嫌になるほど優しく纏わりついた。



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