第四幕 066話 目隠しの向こう_2



「それはそれで楽しそうですけれど」


 本当に楽しそうに。


「ですけれど、つまらないですわ」


 そう言いながらも楽しそうに。



「わたくしにも見せて下さらないと」


「ま、マルセナ様……っ!?」

「マルセナ!」


 久しぶりのマルセナの声。

 信じられない。

 諦めかけていたところに光が差す。



「助けてマルセナ!」

「これは、その……」

「続けないのです? 良いところだったのではありませんの?」


 くすくすと笑う声が近づいてきて、逆にクロエの気配が離れていった。


「あらあら、本当にイリアったら」


 目隠しをされているイリアでも、目の前に立つ気配ははっきりとわかる。大好きなマルセナだと。



「こんなになってしまうなんて、どうしてかしら?」

「マルセナに!」


 訴える。


「マルセナに鞭でぶたれたのを! 思い出して、またしてほしいって思ったら……」

「もう、イリアってば本当に。恥ずかしいと思うべきではないかしら」


 言われて、かぁっと顔が熱くなる。


「ぶってほしいとか、排泄の世話をしてほしいとか」

「い、言ってない!」

「ほしいほしいと、淫らなことばかりわたくしに求めているのではなくて?」


 拘束を解かれた。


「くぁんぅっ!」


 ふわりと包み込むマルセナの香りに、それだけで頭が真っ白になるほど震えてしまう。


 良い匂い。

 大好きなその香りだけで、イリアの口が半開きになって涎を垂らしてしまうほど。


「縄を外しただけですのに」

「は、うぅ……」


 震えるイリアに、マルセナの声は呆れ半分ともう半分は嬉しそうに響いた。



「目隠しは自分で外しても構いませんけれど」

「……」

「つけたままの方が、わたくしは好きかしら」


 それなら選択肢はない。マルセナの顔をしっかりと見たいけれど、マルセナが好きな方が何より優先だから。


 どさりと、目隠しをされたまま絨毯の上に転がされた。

 乱雑に。

 だけどマルセナの手でされることなら何でも嬉しい。何でも受け入れられる。



「赦しがほしいのですか?」


 鼻先にちらつく足に少しでも触れたくて、口を開けて舌を伸ばす。匂いでわかるけれど素足だ。

 けれど届かない。


 床に転がり、気配だけでマルセナの足を這って追う。


「ほしい」


 乞う。


「ほしいです」


 素直に乞う。



「準備も整いましたし、そろそろここを発とうかと思っているところでしたが」


 何の話だろうか。

 拘束されていたイリアは知らない。


 その準備の為にマルセナもクロエもしばらくいなかったのかもしれない。

 そういえば呪術師ガヌーザはどうしているのか。



 けれど今は、他のことはどうでもよくて、ただマルセナの足に触れたい。縋りつきたい。

 飛びかかれば掴まえられるかもしれないけれど、そうではなくて。


 マルセナの口から、赦しがほしい。

 視界を塞がれ哀れに這うイリアに、女神に触れる許可を。



「お願いよ、マルセナ」


 願う。


「私を……ほんの少しでもいいから、愛おしいと思ってほしいの……」


 偽りない願いを。


「愛おしい、と?」

「貴女を心から愛している」


 イリアがそう思っているから、だからと言ってマルセナもそれを返さなければならないわけではないけれど。



「愛しているの、マルセナ」

「……クロエ」


 マルセナが呼んだのは、イリアではなかった。


「はい……あの、マルセナ様」

「イリアは貴女に心を委ねようとしませんでしたか?」

「してない!」

「黙りなさい」

「っ……」


 命令には逆らえない。

 口を噤まされて、ふるふると頭を振るだけ。


 訊ねられたのはクロエ。

 自由のないイリアを辱め、マルセナを裏切らせようとした女だ。



「イリアは、貴女に体を許そうとしませんでしたか?」

「それは……」

「淫らな欲望と目先の餌に釣られて、貴女の指に快楽を求めたりしたのでは?」


 してない。

 少しだけ、心地よいと感じてしまったことは認める。だけど心を許したりはしていない。


 イリアはそう訴えたい。だけど沈黙を命じられ言葉は出せない。

 クロエは、なんと答えるのか。

 マルセナの寵愛を独占したいと妬みイリアを貶めようとしたクロエは……



「その……とてもはしたないことを、悦んで……」


 卑怯者。

 何が同じマルセナの下僕だ。

 お前こそ、自分の欲望の為にマルセナを謀ろうとしているはしたない雌じゃないか。



「……いるのかと、思いましたが」


 クロエの言葉が途切れた。


「ですが」


 はっきりと区切って。


「私の手だからではなく、マルセナ様にしていただいたことを思い出して快楽を感じてしまったのだと」

「……」

「仕方がありません。私だって、マルセナ様の御御足を思い出して自分を……慰めたり、しますから」



 違った。

 クロエは、イリアに対してはともかく、マルセナに対しては本当に誠実だった。


「長く放置されて、ただでさえ性欲の強いイリアさんの体は我慢できなかったんでしょう」


 うるさい。

 余計なことを言わないでいられないのか。その口は。


「マルセナ様からぶたれた痛みなら、私だって思い出したらその……溢れて、しまいます」

「涎を垂らして?」

「……はい」

「そう」


 クロエの言葉を聞いて、マルセナは短く答えた。

 つい、と。

 顎先にマルセナの爪先が触れて、顔を上げさせられる。



「……本当に、イリアったら」


 許される。触れることを。

 触れた足に頬ずりをして、涙を擦り付けて伝えた。


 言葉を禁じられても、イリアがどれだけマルセナを慕っているか。

 どんな酷い仕打ちをされたとしても、マルセナの傍にいられるのならそれでいい。


「本当に、イリアは……」


 もう一度、言葉を繰り返してから。



「赦しますわ」


 縋りつく足が、イリアの首の黒い首輪も撫でる。


「言葉を話すことも、自由にすることも」

「あ……うぁ……」



 赦された。けれど言葉が出て来ない。

 そんなイリアを見て、マルセナは小さく息を吐いた。


「クロエ、イリアを連れておいでなさい」


 離れてしまう足が名残惜しいけれど。


「どうせ数日は雨のようですから」


 脇を抱えられ、立たされた。


「イリアを癒す必要もありますし。せっかくですから少し睦みましょう」

「マルセナ……!」


 嬉しい。

 嬉しくて声が震える。



「もう少しだけ、わたくしも……」


 目隠しを外していれば、マルセナがどんな顔をしていたのか見えたはずなのに。

 どんな背中だったのか、見えただろうに。


 イリアは自分の意思で、目隠しを外さなくて。だから。

 彼女の声に含まれる憂いを、喜びにあふれるイリアは聞き取ることが出来なかった。



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