第四幕 030話 特別足り得ぬ彼女_2



 母さんのいないこんな世界。

 そう言ったアヴィの顔に、届かない己を悔やむ。


 メメトハは聞いた。


 話を聞いていたのは以前からだったけれど、彼女の寝言を。

 手を伸ばして、黒い粘液状の魔物だったという母を探すアヴィの寝言を耳にした。


 謝罪と嘆きを繰り返すアヴィの手を取ったけれど、メメトハの手では止んでくれなかった。



 口惜しい。

 不甲斐ない己に歯噛みする。


 凛とした立ち姿のアヴィで、敵の痛打を受けても泣き言を言わないくせに。

 夜を共にした時の彼女は、別の誰かのように弱かった。


 おそらくあれが本来のアヴィの性分なのと思う。つらい記憶が彼女から当たり前の幸せを奪った。


 届かない。

 メメトハの手では届かない場所。

 すぐ近くにいても、肌をぴたりと合わせていても。



 同時に理解する。

 アヴィは、清廊族の為に戦っているのではない。

 己の為。失った母の悲しみを紛らわせる為に戦っている。


 そういう理由があるのも仕方がない。

 誰も彼もが、清廊族の未来の為に戦うという意志ばかりではないだろう。

 もっと身近な誰かの為だったり、純粋な怒りからということもある。


 クジャで長老たちはアヴィに言われたらしい。

 負けない為に戦っているのではない。清廊族の未来の為に戦うべきだ、と。

 あのカチナが、目を醒まさせられたと言っていた。


 真っ直ぐな、立派な言葉だ。

 清廊族の多くが見失っていた未来に向けての指針。



 今思えば、あれはきっとアヴィが一歩引いた場所で見ていたから言えた言葉なのだと思う。


 自分は自分の目的――復讐の為に。

 けれどルゥナ達は、清廊族が当たり前に暮らせる光景を願って戦っている。

 客観的にそれを見てきて、道を見失っている長老に向けてそう言った。それが言えた。


 誰もが、我が事であれば冷静に全体を見て理解することが難しい。

 清廊族という括りから一歩離れたアヴィだから、取り違えている点を真っ直ぐに言えたのか。


 アヴィは自身を清廊族とは思わず、別種のなにか・・・・・・。それこそ魔物の仲間のように自覚しているのかもしれない。



 遠い。

 アヴィの心は遠い。

 近付いてみて、改めてその遠さを思い知る。


 ルゥナが思い悩む気持ちがわかった。

 アヴィの助けになりたいけれど、何をどうすればいいのか。自分に何が出来るのかわからない。


 届かない。この手が届かない。



「……」


 だから、なんだと。


 届かぬと思っていたことなら、諦めていたことなら他にもある。あった。

 人間に打ち勝ち、この地を取り戻す。清廊族の幸福な日々を勝ち取る。

 届かぬと見ていたではないか。あの空の星のように。


 今は届くと信じている。

 まだまだ困難は続くけれど、信じて進む。



「全く、妾も愚かじゃな」


 人間が逃げ去った湿原で夜空を見上げ、一つ息を吐いた。


「一度枕を並べただけで、こうもほだされてしまうなど。決して妾が安いわけではないのだぞ」


 誰に対しての言い訳なのか。

 口にしてみて、苦笑した。


「可愛いではないか。妾も存外」


 もう一度笑って、悪い気分ではない。

 夜風が、周囲の葦を揺らした。


 少し高い位置から見れば見晴らしはいいが、夏場のこの湿原は全体的に葦の背丈が長い。

 西部出身のルゥナは当然それを知っていて、今回の作戦に組み入れた。


 特に見晴らしがいい場所は水が深い。葦が根付かない。

 水際には特に葦が多く、そこから少し高い位置は逆に少ない。その境目なら走りやすく敵の目にもつきにくい。


 よく考えるものだ。

 ルゥナは母親や村の者と日頃からそういう話をしていたらしい。もっとうまく戦えば人間に勝てるのではないかなどと。

 人間の脅威に晒されてきた日々が、ルゥナの村の者に戦術と呼ばれる考え方をもたらしたのだろう。



「負けぬぞ」


 ぐっと、拳を握った。

 アヴィの一番であろうと気を張るルゥナの顔を思い出して、夜空に向けて不遜な笑みを浮かべた。


「いずれ妾が、あやつの心を捕えてみせよう」


 ルゥナには負けない。

 アヴィの心を占める母への想いすら超えて、いつかきっとメメトハが。


 届かぬ星に手を伸ばし、ぎゅっと手の平に握り込んだ。



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