第四幕 029話 特別足り得ぬ彼女_1



「やはり、この程度では怪我もしませんね」


 ラッケルタの治癒をしながら、逃げ去る敵を追う背中を見送る。


 異常な強度の布に結わえ付けた鉄棍を振り廻して敵を追い、追われた敵兵がさらに恐怖と混乱を伝えていく。

 恐慌は連鎖する。群れが四散する。

 この戦いは既に決しただろう。


「アヴィ様ですから心配いりません」


 ネネランは笑うけれど、そういうつもりで言ったわけではない。



 心配を、と言うのならルゥナのこと。

 西側に伏せて敵を迎え撃っていたはずのルゥナは無事だろうか。

 エシュメノ達がいるにしても、どうもルゥナの方に主戦力が少ない気がする。


 本来ならトワが傍にいたかったけれど、ルゥナが許してくれなかった。

 こちらの作戦にオルガーラが必要で、オルガーラはトワが見ていないと不安だと。


 ――ルゥナ様が死んだら私も死にます。


 そう訴えたトワに、ルゥナは苦笑して首を振っていた。

 死ぬつもりはない。勝つ算段だと。


 勝利の為に、トワがこちらに来る必要があった。

 トワの力ではなくオルガーラの問題で、そう考えればオルガーラが懐き過ぎたのが悪い。


 鬱陶しいけれど、あれは貴重な手駒でもある。

 いずれ、本当に役に立つ時も来るだろう。


 どちらにせよ人間どもは駆逐しなければならないのだ。

 人間を駆除して、トワが幸せに暮らす日の為に今は我慢。



「ラッケルタ、ごめんね」

「Gee」


 気にするなというように喉を鳴らすラッケルタを、ネネランが左手でそっと撫でた。


 ラッケルタのことは嫌いではない。

 こうした言葉を話さない生き物が寄せる気持ちについて、トワは悪く感じない。

 なまじ言葉が通じるくせに心の通うことのない人間との差、なのかもしれない。



「ネネラン、手を」


 ラッケルタを撫でていた手を取る。


「あ、え?」

「怪我をしているでしょう」


 左手を庇うような様子が見えた。

 腕に巻いていた革製の装具を外すと、その手首辺りが青く腫れている。


「い、っつ……すみません」

「いいんですよ。これが私の役目ですから」



 アヴィやオルガーラは他の戦士たちと共に逃げる敵を追って行った。

 傷ついたラッケルタとネネランを癒す為にトワは残っている。


 混戦は得意ではない。他の戦士たちよりは役に立つ自信はあるけれど、ネネランたちほどの活躍は出来ない。



「ほら、こんなになっていますよ」


 腫れた腕に舌を這わせる。


「ひゃっ……な、あの……魔法じゃない、ですか?」

「魔法は疲れるんです。こっちの方が楽なので」


 嘘ではない。

 ラッケルタは治癒の魔法で傷を塞いだが、あちこちの傷を治すのに何度も使った。

 塞がった傷を覆う鱗はまだ柔らかい。数日経てば他の鱗と変わらぬ硬さになるのだとか。


「その……汚いですから」

「そうですね」


 ぺっと唾を吐く。


「う」

「泥がついてます。こんな場所で戦っていたんですから仕方がないですが」


 口に入った泥を吐きだし、再びネネランの痣に舌を這わせた。




「貴女は、どうなんです?」

「?」


 訊ねてみたかった。ついでに。


「エシュメノをアヴィ、様に……奪われて」


 どう感じたのだろうか、と。


 嫉妬しなかったのだろうか。

 怒り狂う気持ちはないのだろうか。



 以前にトワは言った。ルゥナに、トワが知らないところでアヴィに純潔を捧げたと聞いて。

 気にしなくていい。ルゥナが幸せならそれでいい、というようなことを。


 ルゥナに対しては、それは嘘偽りの気持ちではなかった。

 彼女が人間どもの下賤な欲望に晒されたのではないと知り、良かったと思った。

 また、ルゥナが自分の意思で選んだことであれば、愉快ではなくとも受け入れようと。



 だがそれはルゥナに対しての気持ち。

 アヴィに対しては違う。


 よくもトワを差し置いてルゥナの可愛い姿を奪ってくれたと、暗い想いを抱いている。


 初めての怖さと痛みに震えるルゥナの姿。見たかった。

 本来ならトワが得るはずだったもの。

 それを奪い取り、涼しい顔をして。


 実際には既に誰かに奪われたものと思い込んでいて、それを聞いた時は唐突過ぎて実感がなかったのだけれど。

 サジュで、呪いを解く為の手段として処女の純血が必要という話からエシュメノとメメトハが身を捧げたと聞き、思い返した。


 改めて考えてみて、腸が煮えたのだけれど。

 涼しい顔をして誰かの愛しい者を奪う。

 そんなアヴィをどう思うのか。



「あ、あの……そのですね」


 傷を舐められているせいでもなく、ネネランが頬を紅潮させる。



「すごく……よかったです」


 聞く相手が悪かったかもしれない。



「エシュメノ様がもう本当に可愛くて、一生懸命で。アヴィ様も綺麗で落ち着いている風でいて、割と困っていらっしゃってですね。僭越ながら私がいろいろとさせていただいて」


 早口で捲し立てながら頬に手を当てる。

 足をもじもじさせているのは、傷が痛むから……でもないのだろう。


「もうほんと、小さなエシュメノ様の桃色の……」

「わかりました、ネネラン。詳細はいいですから、貴女の胸にしまっておいてください」

「えっ、あ、そうですね。そうですね」


 うふふ、とだらしなく笑う。

 つい先ほどまで命を賭した戦いをしていたとは思えない緩さ。


「ルゥナ様のお気遣いに感謝しています。私、ルゥナ様の言うことをもっとちゃんと聞こうと思いました」


 よほどいい思い出だったのだろう。ルゥナに従順なのは構わないが、あまり傾倒されては邪魔かも……まあネネランの場合はトワが心配することはないか。


「朝になって、エシュメノ様が命石……あの、コロンバでしたか? あれの命石をアヴィ様に手渡したら、さらぁってなくなってしまって」

「あれが呪いを解く鍵だったんですね」



 トワは直接目にしていないが、飛竜騎士の命石をルゥナがアヴィに渡した時にも同じようなことがあったのだと。

 アヴィが砕いてしまったという話だったけれど、違ったのだろう。


 ルゥナとの交わりでアヴィの呪いが解けかけていて、その命石で解呪に進んだ。


 案外ルゥナと交わった段階で、多少は何か変化があったのかもしれない。

 クジャでの修行の中、力加減が出来ず剣や斧をいくつも駄目にしたと聞いた。その辺りか。


 元々、一団の中では頭を抜いて強かった。

 今の様子はそれをさらに上回る。確かに強い。



「……」


 けれど、少し引っ掛かる部分もあった。

 さらに一際強くなったとは思う。だけど。



 ――あんなもの、でしょうか。



 思ったより理解が及ぶ程度の強さだと。

 オルガーラやティアッテを間近に見たせいか、アヴィの力に驚愕までは感じない。もっと異様で異常な領域なのかと想像していたのだけれど。


 さすがにその疑問は口には出せず、ただトワの心の隅に妙に引っ掛かっていた。



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