第四幕 028話 間違い_2
「なん、ああ……ディレトーレさん……」
「ひでぇ……」
目鼻から血を噴き出して死んだ味方の姿を目にして、その無惨さに腰が退ける者もいる。
だがその後方から、さらにこちらに向かってくる物音があった。
火の手を見つけた兵士どもが続いて来ているのだと思う。
このアリーチョとミロが先んじて、その後から続く軍勢。
中央で混乱している敵兵などは多く見積もっても半数程度。
残り半数の中で、後詰めとして控えている兵がさらに半数。残りが東西に散ったこちらを追っていると考えてみる。
総勢が九万ということだったから、大体二万くらいか。均等ではないだろうが東西に分かれていると考えれば一万そこそこ。
「アリーチョ、その女をやるぞ!」
「ああ!」
金色の角突き兜のミロが声を掛け、鉢金を巻いたアリーチョが応じる。
「他は遠距離で構わん! そやつらを牽制しておけ!」
「させぬわ!」
ミロの命令に応じようとした敵より先にメメトハが叫んだ。
「真白き清廊より、来たれ絶禍の凍嵐」
猛烈な吹雪が敵兵を飲み込む。
ネネランは魔法が苦手だ。自分が苦手ということを差し引いてもメメトハの魔法の威力は凄まじい。
セサーカやルゥナより一段上の力だと見える。アヴィに近い。
「人それ全て拒み拒まれるゆえにそこ見えざる壁の守護あれ」
人間にも魔法は使える。
その中でも人間にしか使えない、拒絶の障壁。守護の魔法がメメトハの魔法を防いだ。
「
絶禍の凍嵐は範囲が広い。防壁だけでは防ぎきれないものを打ち払うように、複数の詠唱が紡がれた。
複数の爆発が、メメトハの魔法を押し返してネネランの頬にまで熱風を感じさせた。
「相手は手負いの魔物とあと三匹だ! 怯むな!」
誰かが叫び、気勢が増す。
舌打ちするメメトハ。
アヴィは、既に敵の幹部と戦っていた。
アリーチョの獲物はやはり曲剣。立派な兜のミロの武器は右の長槍と左の短剣。
どちらもネネランでは防ぎきれないだろう猛撃。
アヴィと対する二人は、メメトハの魔法を避けて少し高い場所に移っていた。
わずかな高低差だが、低い場所よりぬかるみが少なく足場がしっかりとしている。
アリーチョの剣撃を大きく弾き、唸りを上げて大きく薙がれたミロの槍を受け止めた。
長槍の一撃を、足を踏みしめて受ける。
「そのまま足を止めてくれ大将!」
「うむ!」
踏ん張った姿勢のアヴィに、再度襲い掛かるアリーチョ。
凄まじい一閃が、まるで同じ刹那に二度。
斜め下から切り上げ、反対から横薙ぎ。一本の剣とは思えない。
「ん」
アヴィの静かな息遣いが、離れているネネランにも届いた。
するりと。
槍を受け止めていた手はそのまま、アヴィの姿がゆらめく。
「なぁ!?」
まるで霞を斬ったかのように擦り抜けるアリーチョの剣。
踊るような足捌きで、凄まじい剣撃を躱した。
次の瞬間にはアリーチョの腹を下から蹴り上げ、空中に吹き飛ばす。
「ぶぐ!」
「蟻王の方が速い、かしら」
大して面白くもなさそうに言った後、ふとその口元が緩んだのを見た。
一瞬だけれど。
「貴様!」
ミロの方も只者ではない。
アヴィを押していた槍を引いたかと思えば、その引いた途中から瞬速でアヴィを貫く。
舞うように躱すアヴィを、続けて貫こうと連続突き。
捉えきれないと見たミロが突いた後に横薙ぎに切り替えた。
すぐ横から迫る穂先だが、それを見極めていたのかアヴィが懐に踏み込む。
「くっ!」
右手で持った槍一つで凄まじい突きを繰り返していたミロが、左手にあった短剣でアヴィの鉄棍の突きを受け止め押し飛ばされた。
空中に飛ばされたアリーチョが大地に戻り、ミロとの間にアヴィを挟む形になる。
「くっそ、マジでコロンバ並じゃねえか」
強者二人を相手にしながら危うさを感じさせない。
頭一つ抜けた実力。人間が英雄と呼ぶ存在と並ぶほどだと呻いた。
本来の力を取り戻すというのがどれほどなのか、ネネランも理解する。
なるほど、ルゥナが他のことを差し置いても優先したわけだと。
敵から見れば攻め手に欠く。
このアヴィを相手に並の者では戦力にならない。
疲弊させる為だけに、ただ兵士をぶつけることも考えられるが、全ての兵士が自己犠牲を容認するわけでもないだろう。
ある程度、腕に覚えのある誰かでなければ死ぬだけ。
死ぬのは嫌だと一匹が逃げ出せば、そこに続くのは組織の崩壊。
「アリーチョ! 無理に倒そうとするな!」
ミロの方針が変わった。
「すぐ増援も来る! 他の幹部も!」
「了解! かっこ悪いね」
自嘲気味な返答を返すが、その言葉に従おうと。
サジュでアヴィが英雄と戦った時もそうだった。
無理に攻めず、時間を稼ぐ。
守りに徹するのなら何とかしのぐくらいはできると判断して、方針を変更した。
ネネランは、メメトハと共に傷ついたラッケルタを守るように位置していた。
集まってきている数百を超える敵兵の中に、メメトハほどではないがかなりの使い手の魔法使いが複数いる。
ミロとアリーチョの足に続いてきたのだから、この兵士どもも決して弱卒ではないだろう。
さらに後ろからは一万以上の敵兵が近づいてきていて、このままでは状況は不利になるだけ。
格上相手と戦いかなり疲れているネネランだが、見ているわけにもいかない。先ほど落とした魔槍を拾うついでに、奪った剣の切っ先でディレトーレの胸を抉る。命石を拾っておこうと。
「野蛮人が!」
「人間じゃねえ。薄汚ねえ畜生だ」
確かに、ネネランは長くそんな扱いを受けて来た。
何とでも言えばいい。
「薄汚いのは貴様ら人間じゃ!」
メメトハはそうは思わなかったようだが。
かといって、無闇に魔法を放ちはしない。
こちらは少数。敵は多勢。
メメトハが強力な魔法使いだとは言っても限界がある。
力押しでこの数百を倒したところで、次の増援が来た時に疲労困憊では無意味だ。
気を逸らしたい。
動揺すれば剣が鈍るように、魔法もまた精度を欠く。出来れば敵の詠唱が間に合わないタイミングでメメトハの魔法が刺さるのが理想的。
「この場だけなら間違ってはいないと思うけれど」
アヴィが撃ちこんだ鉄棍を、ミロが受け止めて下がる。
その後ろからアリーチョが斬りかかり、反撃しようとしたアヴィの背中を今度はミロの槍が牽制した。
「貴様ら影陋族は」
ミロが、時間を稼ぐためか恨み言を綴る為か、言葉を吐く。
「数が足りん。手が足りず、頭も足りん愚か者が」
槍の踏み込みに先ほどまでの裂帛の気合はない。
ただ鋭く突くだけで、アヴィを倒すことを目的とせず動きを制限するように。
「そんな貴様らが我らに逆らうのが間違いだ!」
身勝手な見解を言い立てて。
挑発して、アヴィを怒らせようとしたのかもしれない。
先ほど清廊族を悪し様に言われてメメトハは苛立ちを見せた。
親しい者を悪く言われて嫌な気分を感じない方がおかしい。
ネネランは畜生扱いをされた過去と重なって、怒気より呆れが先に来てしまっただけで。
「影陋族は全て! 貴様の親も兄弟も、我らに従うのが正しいのだ! 下らん抵抗をしたことを悔いて死ね!」
「……」
アヴィの手が弱まったのか、ミロの語気が増す。
後方からいよいよ迫って来た喚声に勝利を感じているのかもしれない。
笑う。
「正しい?」
アヴィが笑った。
「母さんが、お前たちに従う?」
手が止まった。
足も止まる。
微笑と共に動きを止めたアヴィに、ミロとアリーチョの攻撃も止まった。
不気味だと。
「母さんは誰にも従わない」
美しい、と。
その場にいた誰もが目を奪われる。
だらりと両手を下げ、空を仰いで笑うアヴィの顔に、一瞬だが世界から音が消えた。
「間違っているのはお前たちで――」
親兄弟と言及されたから、それが呼び起こしたのだろう。
アヴィの中で、感情を揺らす部分に触れた。
清廊族がどうだとか、人間がどうだとか。
そんなことはどうでもいいとでも思っているのかもしれない。
「母さんのいないこんな世界」
嗤った、
ネネランの背筋がぞくりと粟立ち、メメトハが歯軋りする音を耳にする。
同時に、世界に音が戻った。
敵の後方、ネネランたちから見て西側から近付いていた喚声が、一瞬の戸惑いの後に悲鳴に変化した音が響く。
「どぶぁっ!?」
「だぉわ!」
「なんべっ!」
すぐ近くまで迫ってきていた敵兵が、衝撃音と悲鳴を上げて南の空に十数体投げ出された。
手がちぎれ、顔が潰れた様子で。
「あははっ! トワさま見てみてぇ!」
「まだたくさんいます。笑っていないでやりなさい」
空に投げだされた中で、まだ息がありそうだった兵士を氷の矢が貫く。
ネネラン達の場所を目掛けて迫っていた敵が、その横から突撃を受けて足を止めた。
「続け!」
ニーレの声が湿原を貫くように通り、それに続けた別の喚声が人間どもにぶつかっていく。
樹木付近に伏せていた清廊族の戦士たちは、真っ直ぐにネネランを助けにきたアヴィ達とは別に横に回っていた。
火の手が上がった場所を目指して進んでいた敵兵は、横からの襲撃に混乱する。
通常なら、いくら葦が生えていても掻き分ける様子や物音で気が付いたはずだった。これもまたラッケルタが注意を引き付けたおかげ。あるいはトワの幻術もあったか。
逆に人間どもは気勢を上げながら迫っていたのだから、その位置や進み具合はよくわかる。
数が少ないことで、清廊族の気配は小さかった。
そして、その千の戦士たちの力は万の人間をも上回る。
「大将、伏兵だ!」
「影陋族ごときが生意気な!」
ミロとアリーチョなら伏兵を察したかもしれないが、彼らはアヴィに集中せざるを得なかった。
周囲を見ているほどの余裕はなく、また近くの物音は味方だという思い込みもあっただろう。
過去の清廊族の戦いは、正面からの勝負というものが多かったのだと言う。
そもそもカナンラダでは戦という経験がなく、戦士は魔物と戦うか、村の誇りをかけて一対一の勝負をする試合形式のものしか知らない。
清廊族が作戦を考えた集団戦闘をしないというのは、まるで魔物の生態がそうであるように人間に常識として染みついていた。
戦う知恵のない蛮族。
ロッザロンド大陸で戦いの歴史を重ねていた人間から見れば、ただ力押ししか知らない清廊族についてそんな認識。
百年を越える戦いの中で多少は考えるようになったとしても、稚拙な浅知恵程度と思われていた。
その過去の積み重ねさえ、ルゥナにとっては勝利を掴む糸口になる。
サジュを取り戻し、イジンカを落としても。百年以上続いた認識を改められるほど人間は柔軟ではない。
柔軟な思考という点では清廊族もさほど変わらないけれど。
「正しいのは、ルゥナね」
アヴィが笑った。
今度は、先ほどのような寒気のする笑いではない。
敢えて敵を挑発するような嘲笑。
「間違っているのはお前たち」
「……」
「守って時間を稼ぐなんて見当違いよ。頭が足りないのはどっちかしら」
小馬鹿にする。
敵の指揮官を嘲り、先ほど言われた言葉をやり返した。
「数で押す。力で従わせる。お前たち人間のやることは全部間違い」
だから、と。
教えてあげるというように鉄棍を向けた。
「だから、滅びるの。母さんを殺したお前たちは、ぜんぶ」
空に高々と打ち上げられたミロの体を、ネネランの魔槍が貫いた。
紅喰が、腸を食い破る。
お行儀の悪いこの魔槍は、貫いた敵の体をバラバラに食べ散らかす。
見事な金色の角兜。
目立つそれは、本来は兵士たちの目を集めて士気を上げる為の意味もあったのだと考える。
空高く舞い上がった指揮官の姿を、万の兵士が目にした。
ミロ将軍と呟いた声も聞こえた。
木っ端微塵に砕け散り、兜と共に兵士どもに降り注いだ頭や血肉は、万の兵士に恐慌を届けてくれた。
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