第四幕 027話 間違い_1
「ディレトーレ、無事か?」
「お前ら静まれ! 戦わんでいいからそいつらの逃げ道を塞げ!」
西から駆けてくる部隊と、それに先行した二つの声。
「ミロ将軍!」
「アリーチョさん! 承知しやした!」
ラッケルタが吐いた炎が、作戦開始時と同じようにこちらの位置を知らせた。
まだ薄く霧が残っているし、ところどころ葦の背丈が高い。
後から追って来た敵の部隊はこちらの正確な場所がわかっていなかったが、火の手が上がればわかる。
ディレトーレとの鍔迫り合いを諦めて、後ろに下がってラッケルタと背中合わせになる。
すぐに追撃はなかった。
浮かべていた笑みが、つまらなそうな表情に変わる。
「るっせぇんだよ。ミロのおっさん」
「生意気な口を叩くなら、女と魔物一匹くらいさっさと片付けてほしいものだな」
「いや、グィタードラゴンだろ。手はかかるさ。なあディレトーレ」
ちらと見る。
やけに目立つ金色の角突き兜を被った男と、額に鉢がねを巻いた男。
ミロとアリーチョとか。ミロと呼ばれた方はおそらく軍の高官だろう。司令官かもしれない。
即座に襲ってこなかったのは、ラッケルタが珍しかったことと、考えたからだろう。圧倒的に有利な状況で、出来ればネネランを捕らえて情報を聞き出そうかなどと。
清廊族の居場所、規模。どういう作戦で動いているのか。
他の仲間はどこにいてどんな力を有しているのか。
この敵の一群は先行していた部隊。
町に籠っていた敵を襲った際の情報は、先行した敵には渡っていない。
伝令は全て潰していたのだから。同士討ちをさせる為にも連絡手段を断った。
「まあいい、アリーチョ。その女を捕らえろ」
「魔物の方は?」
「私がやる」
「ずっりぃぜ! 俺がやってるっちゃ!」
じゃあ早い者勝ちだと言うように、三者が軽く頷いた次の瞬間。
「ぐ、へ……?」
「おばっ!?」
「うああぁっ!」
ネネランの退路を塞いでいた兵士どもが薙ぎ払われた。
「なんだ!?」
「ちっ、お仲間か!」
火の手で位置が知られるというのなら条件は同じ。
本来ならもう少し先の樹木のある辺りで合流予定だったけれど、緊急と見れば駆けつけてくれる。
「遅れた。ごめんなさい」
「大事ないか、ネネランよ」
頼もしい声。アヴィとメメトハが。
「ディレトーレ!」
「わかってるアリーチョさん!」
二人の男がラッケルタに斬りかかった。
ディレトーレがラッケルタの前足を。アリーチョは跳び上がりラッケルタの延髄を狙って。
「えぇいっ!」
足を狙ったディレトーレの剣をネネランが止める。
「邪魔すんな!」
「邪魔します!」
どうして人間は当たり前のことをやめろと言うのだろうか。
ラッケルタを守る。当然のことを。
「影陋族のメスが!」
ぐいと力を込めて、ネネランの槍を押し切ろうと。
地面に足をめり込ませながらそれを受けて、だが押し込まれる。
「生意気だっちゃよ!」
「くぅっ!」
一際強く払われて、槍が手から離れた。
がら空きになった胴に、ディレトーレの曲剣が振り上げられる。
「死ねって!」
「ネネラン!」
メメトハの声だったか、しかし遠い。
こちらの援軍を見た敵が、まず先にラッケルタを片付けようと動いたのだ。メメトハはまだ届かない。
咄嗟に頭を下げた。
姿勢を低くして、尻あたりにあった何か柔らかいものを右手で掴む。
柔らかい。
さっき最後の一個だと思ったが、もう一個残っていたのか。破夜蛙の空気袋。
これを弾いて逃げるか。
それを許してくれる敵だとは思えず、そしてネネランがこの場を引けばラッケルタが殺される。
ラッケルタはネネランの友だ。
見捨てられない。他に方法をと考えようとするけれど時間はなかった。
「GuRaaa!」
逆さまに言えば、ネネランはラッケルタの友で家族だ。
ラッケルタがネネランを見捨てるはずもない。
自分の頭上に別の敵が迫っていたとしても、体のあちこちが傷つき血を流していようとも、ネネランを守ろうと。
その前足が、剣を振り上げたディレトーレを打った。
「ぶゅぶっ!」
妙な声を上げながらも、咄嗟に剣を盾にしてラッケルタの一撃を受け止めるディレトーレ。
その反応速度も吹き飛ばされなかったのも、彼が一流の戦士だったからだろう。
「く、このくそ魔物、がぁ!」
ラッケルタの足に食い込んだ曲剣で押し返し、吠えた。
大きな口。
ラッケルタが大きな口を開ければ人間を一飲みにしてしまう。
そこまでではない。せいぜいが、拳一つが収まる程度。
「――っ!」
左手で弾き飛ばされた槍に手を伸ばしていたのだけれど。
右手は、ネネランを斬り殺そうとしていたディレトーレの足元から伸びた。ラッケルタに気を取られた彼の腹の下からぬるりと。
大きく吠えた口に、拳大の塊を詰め込んで。手にしていた破夜蛙の喉袋。
「んぐっ!?」
ぶびゅっ、と。
普通の人間なら、頭ごと吹き飛んだのだと思う。
ディレトーレは勇者やそれらのような強者で、肉体もそれに応じて強かったのではないか。だから頭は吹き飛ばなかった。
ただ、口の中で破裂した空気の塊が逃げ場を探して、その目と鼻と耳から噴き出しただけで。
脳漿というのか何のかわからないものを垂れ流して、どさりと倒れた。
「ラッケルタ! 後ろ!」
「平気よ」
他の敵が襲ってきていたはずだと見上げた先から、静かな声が返された。
「クソったれが、コロンバだとぉ?」
「この女がコロンバをやったと言うのか?」
ラッケルタの背中に立つアヴィ。
空から落ちて来た鉄棍の一本を右手で掴み、軽く首を傾げる。
「……どうだったかしら」
黒いマフラーの両端に結わえられた二本の鉄棍。
それは敵の女傑が使っていた武器だった。戦利品としてアヴィが使っているが、同じ国の人間なら知っていても不思議はない。
ラッケルタに飛びかかろうとしたアリーチョを、アヴィが投げた鉄棍が押し返した。
敵とすれば動揺があって当然。かつての仲間の武器で攻撃されたのだから。
後ろはアヴィが守ってくれたと理解して、ラッケルタの前足に食い込んだままだった黒鋼の曲剣を抜く。これも戦利品か。
「……私のラッケルタを、よくも」
「いえアヴィ様。ラッケルタは貴女のじゃ……」
背中の上で、珍しく敵に感情を表すアヴィに対してつい訂正をしたくなってしまった。
そのセリフはネネランが言うべきで、ついでに言えばラッケルタを傷つけた連中は既に片付けている。
なんだか気が抜けてしまったのは、やはりアヴィが来てくれて安心したからだ。
もう大丈夫。そう思うと力が抜けた。
「ネネラン、ラッケルタ。遅れてすまぬ」
「私は平気ですけど、ラッケルタが……」
駆けてきたメメトハに頷いて見せると、メメトハも頷き返してそっとラッケルタを撫でる。
「ようやってくれた。後は妾たちに任せよ」
傷だらけのラッケルタと泥塗れのネネランを見て、きっと唇を結んだ。
本来の予定では、もう少し先の樹木が生えている辺りまで敵を引っ張るはずだった。
東に向けて駆けた清廊族の戦士たち。
彼らは途中で方向を変えて、より足場の良い進路で先行して樹木付近に辿り着いて待ち構える。
湿地帯の中、ラッケルタが葦を大きく揺らすのを目指して追っていた兵士。
巨体で目立つのだから釣られてしまう。
わざとぬかるんだ場所を走ったのは、逃げ足を稼ぐことと別に、人間どもの体力を消費させるためだ。
ぬかるみを走れば疲れる。
当たり前のこと。
疲弊した敵を、先行して樹木付近で息を整えた戦士たちで襲う予定だったが。
完璧に遂行は出来なかった。
ルゥナが立てた策だけれど、敵がこちらの思惑通りに動いてくれるわけではない。
それでもかなり意図に近い形に敵を誘導できたのだから、やはりルゥナの作戦勝ちと言っていいだろう。
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