第四幕 024話 葦の葉切り_2
強敵とて空中では足場がない。
ウヤルカに払われて、少し離れた草むらに立つ。
ユキリンから離れたウヤルカも、やや柔らかい地面に立って薙刀を大地に突き立てた。
「ウチはクンライのウヤルカじゃ!」
槍使いの敵に対して名乗る。
「あの町じゃあよぅもやってくれたのぅ! 忘れとらんで!」
「やってくれたのは貴様の方だ、女!」
苦々しい顔で睨みながら、槍の穂先をウヤルカに向けた。
「飛竜騎士の真似事か知らんが鬱陶しい!」
真似事とは言ってくれる。ウヤルカから見れば飛竜とユキリンとではまるで違う。
人間の感性では同じなのかもしれないが、一緒にされるのは不愉快だ。
「イスフィロセ、スラーの守護騎士。ムルミッロ」
ウヤルカの名乗りに応えて、その男も名乗った。槍をやや高く掲げて。
やや特徴的な兜。耳の辺りが魚のヒレのような形になっているものを被った騎士。
「ここで貴様を討つ!」
「返り討ちにしたるわ!」
再び、槍と薙刀が交差した。
凄まじい速さの突きを、ウヤルカが薙ぎ払う。
二段目の突きも、戻す薙刀で払った。
続く三段目は、速い。
「ちっ」
舌打ちしながら下がりつつ、敵の足元を薙ぎ払う。
ウヤルカを追う槍の穂先が顔に届く直前に止まった。
鉤薙刀の方がリーチが長い。
薙ぎ払うには柄の尻近くを持ってもなるが、槍で突く際に柄尻近くを握ってでは使いにくい。
足元を薙ぎ払われ、ムルミッロの方が一歩引いた。
一足に踏み込まなかったのは地形の為。
湿地帯には丈の様々な草が生え、足元が見えにくい。先ほどまでの深みはなくとも、足を取られるようなぬかるみはあるかもしれない。
腕ならウヤルカより上だ。今の攻防だけでもそれはわかる。
ムルミッロもそれを感じて、だから不用意に踏み込むのを避けた。勝てる相手に無理をすることはない。
舐められたといえばそうだ。
口惜しいが、腹は立たない。現実に実力差があるのだから。腹を立てるのなら己の不甲斐なさに。
後方にセサーカを乗せたユキリンがいる。
出来れば逃げてほしいが、ユキリンがウヤルカを置いて逃げることはないだろう。
セサーカに戦えるだけの体力はなく、この場はウヤルカがどうにかしなければならない。
「鬱陶しい!」
ムルミッロが槍を薙ぎ払った。
ウヤルカに対してではない。その場で二度。
旋風が巻き起こり周囲の草を散らす。足場を確認する為だ。
一部、水飛沫が撥ねた場所もある。水溜まりなのか深みなのか。
「人間を舐めるな、影陋族!」
「舐めとるんはおどれらじゃろうが!」
仕切り直して襲ってくる槍を、吠えつつも冷静に見る。
速い。
そして、先ほどより力が込められている。
薙刀を受けても突き進むような力での突進突き。
一年前のウヤルカなら受けきれなかっただろう。だが、今は違う。
強くなったという理由もあるが、それ以上の要因は経験だ。
もっと強い力を持つ飛竜騎士と戦った。一撃の重さではあれに及ばない。
訓練として手合わせするエシュメノの連撃は、速度だけならムルミッロよりも速い。
必ずしも力で敵を上回らずとも、立ち回ることは出来る。
エシュメノよりは遅い突撃に対して掬い上げるように鉤薙刀を振った。
「はぁっ!」
「くっ」
大地が人間を繋ぐ力より、ウヤルカの腕力の方がかなり強い。
踏ん張ろうにも突き出した姿勢では踏ん張り切れず、体が浮く。
速さではエシュメノに敵わないウヤルカだが、筋力では上だ。筋力だけならこのムルミッロとも五分。
突撃の力が上に流れ、浮いた姿勢から槍を叩きつけられた。
強烈な打ち付けで、槍の柄でも場合によっては人間くらい両断するほど。
鉤薙刀で受けたウヤルカだが、敵の一撃で少しばかり足が大地に沈み込む。
「う、ぬぅっ!」
大地に踏ん張るウヤルカに、浮いた姿勢で踏ん張りが利かないムルミッロ。
ならば、薙ぎ払う力は当然ウヤルカの方が強い。
一度は沈んだ態勢から、力を込めて薙ぎ払った。
今度は浮くのではなく空にまで払われたムルミッロだったが、そうなることは予測していたのだろう。
くるりと槍を逆手に持ち替える動作はあまりに滑らかで、払った姿勢のウヤルカが薙刀を戻すよりずっと早い。
「っ!?」
「死ね!」
空中とは言っても近距離。
そこから、凄まじい速度で槍が投げられた。
「ぬぅあぁっ!」
恰好も何もなく転がるように身を躱した。
左肩に猛烈な衝撃を受けながら、湿った大地を転がる。
地面が爆散した。
槍が直撃した周囲が破裂するように大きく砕け散って、土煙と突風がウヤルカをさらに転がす。
「くのっ」
転がりながら膝で体を支えて敵の位置を探した。先ほど飛ばした先。
槍を投げた手に、腰に下げていた片刃の曲剣を抜いて。
地面に着地したムルミッロの片足が、大きくずれた。
「しまっ!?」
水溜まりか深みか、何にしろ足場が悪い。
好機だ。
肩の痛みを無視して、思い切り大地を蹴る。
右腕一本で鉤薙刀を掲げて、体勢が崩れたムルミッロに斬りかかった。
経験。
ウヤルカがこの一年で経験してきたことを高度な戦闘経験というのなら、ムルミッロはどうなのか。
勇者と肩を並べるだけの力を持つ彼が、どれだけの年月そのレベルの戦いを経験してきたのか。
いつも足場が良い場所で戦えるわけではない。
イスフィロセという国は海洋国家で、船上での戦いだって珍しくはない。
その彼が、空中に弾かれて着地するまでに足場を見落とすなど有り得るだろうか。
水溜まりはあっただろう。落ちていく中、着地する場所の足場までは選べない。
だがそれを見ていたのなら、把握していたのなら。
態勢を崩すことはなく、ただウヤルカに見せる為にそう演じることは出来る。
誘い。
ウヤルカがそれを理解した時には、振り上げた手はもう止まらない。
がら空きの腹にムルミッロの視線と、曲剣の刃の殺意が向けられる。
「っ!」
「極光の斑列より――」
「なにっ?」
声が響いた。
先ほどの槍で起こった土煙の向こうから、大地に伏したまま杖を向けるセサーカの姿が。
意識していなかったのだろう。
おそらく負傷者を運んでいたとかそういう認識で、セサーカのことを脅威と見ていなかった。
ウヤルカへの攻撃を止め、身を躱そうとするムルミッロ。
その身が、一瞬凍り付いた。
背中に走った悪寒。寒気。
違うのだが。
背中から、白い空飛ぶ魔物の尾が撥ねた水飛沫がかかっただけ。
ウヤルカに集中した所でセサーカに不意を突かれ、その逡巡に後ろから水をかけられた。
驚きが二度続けば動きが止まる。後ろの水飛沫は本来は何の脅威でもなかったはず。
左肩の痛みを完全に頭から消し去って、両腕で振り下ろした。
全力のウヤルカの一撃を、その状態からでも手にした曲剣で受けるムルミッロは、やはり超一流の戦士だったのだと思う。騎士と言ったか。
曲剣を砕き、肩から脇近くまで食い込む鉤薙刀の刃が決着をつけた。
「……」
深く息を吐き、左肩の痛みを思い出す。
「い、つ」
掠っただけだったが肩の後ろの皮が削り取られたよう。服も大きく破れ左胸が露わになっていた。
「ぐ……ぶぁ……」
俯せに大地に倒れるムルミッロ。
強かった。力も駆け引きもウヤルカより上手で、もう一度やって勝てる気がしない。
「……」
目をやれば、セサーカは杖を下げてうなだれている。
魔法は、たぶん使えなかった。放たなかったのではなく。
ウヤルカが危険と見て、詠唱の言葉を紡いだだけだ。
敵の気を逸らし、その隙にさらにユキリンが牽制してくれた。
「ばか、め……すぐに、他の兵が……」
「そうじゃな」
朦朧としている意識の中で、ムルミッロが恨み言を綴る。
ウヤルカ達に、他の兵士が迫っているのだと。
今の攻防の間にも、北に迂回した敵が近づいてきているはず。
ウヤルカにも見えている。
「おどれの部下なんぞなら、見られるんやったら見てみぃ」
はっ、と鼻で笑う。
痛みを堪えての強がりでもあるけれど。
水場の北に迂回した兵士たち。
ムルミッロは顔を向ける力もない。視線は、届いただろうか。
「あっちで、ウチの仲間の餌食になっとるけぇの」
「……」
返答はなく、目を向ければただ死体が転がっているだけだった。
北に迂回した敵は、その脇の草むらに伏せていた清廊族の戦士たちにより討滅されているところだった。
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