第四幕 022話 背負う責務_2



「あの兵士どもだけではなく、人間全てを滅ぼす。それだけです」


 敵の数の多さに息を飲む戦士たちに、ルゥナは淡々とそう告げた。

 先行して町を出た敵軍、これで半数。

 町に残った半数は、アヴィやメメトハ達に任せた。


「人間は皆殺しです。他に道はありません」


 奴らに帰り道はない。

 進む道も満足に見えていないだろうが。



 最初に湿地帯を進む敵の波を見た時には、ルゥナとて息を飲んだ。凄まじい数だと。

 だが見ている内に気持ちが変化した。

 目が届く範囲に収まるものなのだなと思い直して、やれると感じる。


 十万とか五万とか言う数は、地平線の彼方まで続くものなのかと想像していたのだ。

 そんなことはない。確かに並んで進む姿に脅威を覚えるが、視界が届く中に全体が見えれば手に負えないとは思えない。


 これが百万などになれば、それこそ大地を埋め尽くし地平の彼方まで続き、ルゥナ達の戦意を挫いたのだろう。

 現実にはそれほどの数になれば食料が追い付かない。現地調達しようとしても、百万もの数を食わせられるだけの食料が自生しているはずもなく。



 視界に収まる。手の届く範囲内の敵。

 出来るのだと自分に言い聞かせ、他の者にもそう言い含めた。




「大丈夫か、ルゥナ?」

「ありがとう、エシュメノ。問題ありません」


 労わる言葉に、何でもないと首を振った。


「エシュメノこそ、疲れていませんか? 何度も襲撃をさせてしまって」

「平気だぞ。あんまり強くない奴ばっかりだったから」


 えへへと笑うエシュメノの頭を撫でて、息を吐く。

 自分の呼吸の深さで、思った以上に疲労が大きいことを知る。



「でもまだ千もやっつけてない。あいつら全然減らない」

「いいんですよ。そろそろ減っていることに敵も気付くでしょう」


 霧の中、湿地帯を進む大軍。

 その足が遅くなるのは必然で、深い霧の中で本体からはぐれる部隊も出てくる。


 小回りの利くエシュメノなどを中心とした遊撃隊を結成し、本体から離れた部隊を各個殲滅していた。


 エシュメノの言う通り、三日間繰り返しても千も倒していない。

 まるで減ったような気配がなく、敵の方もはぐれただけなのか違うのか判断に迷ったはず。いい加減、こちらの襲撃だと察しただろうが。




 都合よく、濃い霧が。


 そんなわけはない。

 冬ならばいざ知らず、真夏のこの辺りに深い霧が立ち込めることなど普通はない。


 ルゥナの魔法だ。

 と言っても珍しい魔法を使っているのではなく、上空に向けて冷たい寒気を何度も何度も送っているだけ。


 敵の全体像は把握できて、進路もわかっている。湿地帯全てに霧を発生させる必要はない。そこまでの力となれば英雄でも不可能だ。

 人間の進行先を中心に、気温を下げるよう魔法を放った。



 冷えた空気が周辺一帯に広がり、湿地の水温より気温が低くなる。そうすれば霧が発生するだろうとアヴィが言って、実際にその通り。


 元々湿地帯なのだから湿度は高い。そこに温度差で霧を発生させていた。

 幸い季節は夏で、周辺の風は弱く発生した霧を掻き消してしまうこともない。


 夜はどうせ人間の視界が悪くなるので、明け方から日暮れまで。

 ルゥナだけではなく魔法が使える他の者も総動員してやっていた。


 強い氷雪ではなく、冷たい風を作り出す。

 範囲があまりに広大で交代で休みながらやっているのだが、さすがにルゥナの負担が大きい。


 セサーカが手伝えればと思うのだが、セサーカにはもっと別の役割があった。

 幽朧の馨香。

 幻の魔法で敵の目からこちらを隠している。彼女以外にはトワくらいしか十分な効果で使える者がいない。



「勝手に深みに嵌まって騒いでる奴もいたぞ」

「人間どもが皆そうしてくれれば手間も減るのですけど」


 苦笑して、休むと告げた。


 無理をしても仕方がない。既に日は落ちるところで、今日はこれ以上の動きはないだろう。

 ルゥナは休息を取り、明日に備えねばならない。

 エシュメノも、休憩したらまた警戒に出ると言って離れた。




 深夜。

 高く透き通るような鳴き声を耳にして、空を見上げる。


 上空から人間の足取りを追うこと自体は難しくなかっただろう。人間どもの後方の霧は晴れている。

 イジンカへの襲撃部隊にいたはずのウヤルカが、敵軍の足跡を辿り、近くに伏せていたルゥナ達に合流した。



「どんな具合じゃ?」

「作戦通りですが、敵の被害はさほど多くはありません」


 誤魔化しても意味がないので、降りてきたウヤルカに素直に首を振る。


「そちらは?」

「まあまあ、ってとこじゃ」


 他にも耳がある。ウヤルカは士気を下げないよう楽観的な見立てを言ったのかもしれない。


 こちらは敵の足を鈍化させることを主目的にしている。

 アヴィ達はあの町に残った敵の戦力低下と誘い出し。

 強引に進めれば敵の数に飲まれてしまうのだから、無理をしない所で退く必要があった。


 限られた清廊族の戦士たちで、この先も戦いを続けなければならない。

 綱渡りの作戦。

 一歩間違えてこちらの居場所を敵に把握されたら逃げるしかない。簡単に逃げさせてはくれないだろうが。



「ルゥナ、おんしな」


 ウヤルカが覗き込む。


「考えすぎと違うか?」


 体調が悪くないかと額に手を当てられた。

 少し大きなウヤルカの手。少し硬い感触だけど優しい。


「ここにおる誰も、自分が死なんと思っとる奴はおらん。みんな未来の為っちゅうてわかっとるんよ」


 死者に対して心囚われすぎていないか。

 責任を感じて背負いすぎなのではないかと、気遣われた。



「いえ……私は」


 首を振る。


「大丈夫です」


 大きな手で額を覆われるなど子供の頃のようで。思い出してしまう。親を。


「必要なら肉親でも見捨てられる覚悟が出来ましたから」


 拒絶と思われたのだろうか。

 ウヤルカの手が離れ、わずかな逡巡の後に下ろされた。



「……まあええ、後で」


 これ以上、話すことがあるのだろうか。

 他の目もある場所では避けようと考えたのだと思う。何か言いたいけれど、言い合いになるのはよくないと。




「町におった敵もこっちに向かってきとる。何もなければここまで二日ってところじゃけぇ」

「こちらの敵も動きますから、合流は三日後という所でしょう。アヴィ達に連絡をお願いします。貴女とユキリンには負担をかけますが」


 ウヤルカの移動は夜か雨天の時だけにしている。どこに人間の目があるかわからないので用心の為に。



「ウチが適任なんじゃけぇウチがやる。そんだけじゃ」


 しっかりと頷きながら、やはり言いたいことはあったのだろう。


「ルゥナ、おんしが作戦を考えるんはおんしがいっとう得意じゃけぇ任せるんよ」


 今度は、握った拳をルゥナの胸に当てた。


「じゃけんども、誰も彼もの死に様を気負いすぎるんはおんしの役目と違う。みんな、己の命にゃ己で納得してやっとるんじゃ」


 色々と言いたいことはあったのだろう。

 とりあえずそれだけ言って、それからルゥナの伝言を聞いた。



 作戦を立てる中で、考えてはいけないがどうしても頭を過ぎることもある。

 ユウラがいれば。

 彼女の声の魔法があれば、敵の誘導ももっと楽だったろうとか。


 そんな思いに、何だか嫌になるのだ。

 結局自分はユウラのことも、使える手段の一つとしてしか見ていなかったのではないかとか。

 あの時流した涙は嘘ではなかったと思うのに、自分がひどく冷血な性分に思える。



 セサーカは、アヴィの為なら何を犠牲にしてもいい心を固めていた。

 それを正しいと思う気持ちと逆に、本当にそれだけでいいのかと湧いてくる気持ちは、ルゥナの弱さなのだろうか。


 答えてくれる誰かはいなくて、ただ淡々と今出来ることとすべきことだけを並べた。

 訊ねたら、ウヤルカは答えてくれたのかもしれない。



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