第四幕 020話 無辺の鳥籠_2
「ふ」
命のやりとりをするには、気の抜けた息。
と同時に、甲高い金属音が響いた。メメトハの肌に触れる直前で。
「むぅっ!」
訝し気な音を漏らしながら、続けての激しい連撃も金属音に弾かれる。
「貴様!」
「……」
返事はない。
ただ無言で、両手に持った包丁で敵の剣を弾くトワ。
「俺の剣を防ぐとは!」
メメトハを討ち取ろうとした敵だ。相当な強者であったことは間違いない。
その剣撃を弾く銀色の娘に、敵だけでなくメメトハも僅かに目を奪われた。
守りに特化したトワの技術。
前にも見たことはあったが、二本の包丁で攻撃を捌くトワの守備力は極めて高い。なかなか攻撃には移れないが。
「まだこれほどの奴がいるのか!」
「天嶮より下れ、零銀なる垂氷」
呆けている場合ではない。トワが稼いでくれた時間だ。
いつのまに近くにいたのか知らない。イバ達の集団に紛れていたのかもしれないが気づかなかった。
トワを崩せないと見た敵が後ろに跳ぶところに、氷柱の魔法を打ち込む。
敵は油断していない。トワが追ってこないことを見ながら氷柱の数本を切り払い、残りを躱した。
「冷厳たる大地より、奔れ――」
無駄かと思いつつも、出来ればこの強敵は倒しておきたいとさらに詠唱を紡ぐ。
「無辺の
トワが紡いだ。
両手にあった包丁を空に投げ、腰にあった小さな杖を手にして。
包丁を手にしていたトワが追撃の姿勢を見せなかったことと、メメトハの魔法が敵の注意を引いた。
その隙間にトワが紡いだのはメメトハに心当たりのない詠唱。
だがその効果は明白。跳ぼうとした敵の足がずれ込み、体勢が大きく崩れる。
「――奔れ永刹の氷獄!」
唱えたメメトハの言葉に応えて発現する。
地面から立ち上がった氷の塊が、敵の半身を捕らえた。片手片足が氷の塊の中に。
「くそ、がぁっ!」
「糞はおぬしじゃ!」
ぬかるんだ足場に囚われながら半身でも逃れたのは、やはりこの男が強者だったからだろう。
魔法を唱え終わったメメトハが、先ほどの仕返しに飛びかかる。
「大地の肥やしとなるがよいわ!」
「ぐひゅ……」
氷から出ていた顔を、顎から上に思い切り蹴り上げた。
魔法使いとは言ってもメメトハの筋力も決して並どころではない。
男の首はあらぬ角度に曲がり、最後の息を漏らしてからだらりと垂れさがった。
「……ふぅ」
その間に、生き残った敵兵は少し北に離れ、さらに城壁から降りてくる兵士を助けている。
殲滅できなかったが、仕方がない。
「すまぬ、トワ」
命を救われた。
「感謝するぞ」
「いえ、別に」
空から落ちて来た包丁を器用に掴みながら、角度が少しずれたのかその場でくるりと回転しながら。
銀色の髪が、ふわりと。
絵になる女だと思う。本当に。
清廊族にしては非常に珍しい風貌。金髪のメメトハもそうだが、トワは際立っている。
南部の、珍しい血筋の清廊族なのだと思うが。
「貴女に死なれては困りますから」
何でもないように言って、包丁を腰にしまった。
正面切っての戦闘ならメメトハよりいくらか下だけれど、トワの戦い方は独特なもの。ただの力比べで勝てるものではない。
そういえば、メメトハはトワに先日きつい言葉を発してしまった。ヌカサジュでティアッテを見て。
あれからきちんと話せていない。決してメメトハが間違っているとは思わないが、少し決まりが悪い。
「その……先ほどの魔法は、どういうものじゃ?」
体裁の悪さを誤魔化そうと、話題を逸らす。
「泥の魔法のようじゃったが」
魔法に興味を示すことは不自然ではないだろう。
「あれは……そうですね」
トワが考えを巡らせ、ふと口元に笑みが浮かぶ。
「童話ですよ。人間の」
トワは人間の施設で生まれ育った。
人間の童話や神話を耳にしたこともあるだろう。
「女神の檻、だとか」
皮肉気な笑みは、何を蔑んでいるのか。
「この世界は全て女神の鳥籠。女神の吐いた唾が泥となり、哀れな畜生の足も心をも捕らえるのだと」
カナンラダの童話ではないけれど。
女神となれば世界全てに影響を及ぼすか。アヴィの呪いも女神の目が届く限りに効果があったと言うし。
「大地も水を吸って柔らかかったですからね」
「そうじゃな」
清廊族でも詠唱を紡げば女神の力を使うことも出来るのかと。
可能だからといって積極的な気持ちにはなれないが、利用できるのならそれでいい。
トワの力がなければ倒せなかった。
メメトハとトワと、力を合わせて倒せた強敵。名も知らぬが、人間の中で中心的な存在だったはず。
北に離れた敵が、数を増してこちらに再び向かおうとしている。
あれだけの強者がいなければ何とかなりそうだが、まだ壁を越えてくる兵士の姿もある。抑えきれないか。
「南も、動きがあるようです」
「ああ」
メメトハ達は正門より北で戦っている。
南側の城壁はニーレ達が見ているが、それだけでは足りない。敵の数は多く、こちらの印象では無尽蔵に湧いてくるのだから。
「船、か」
港には、使える船があっただろう。
城門の出入りに困窮する人間が、船を使ってこちらの後ろを突こうとするのは当然。数だけなら向こうが多いのだから。
大きな船は既に逃げ出したりしてほとんどなかったが、残っていたものは破壊した。
利用するにもメメトハたちには大型船を扱う知識がない。使えないのだから残す意味はない。
小型の船まで、全て壊して回るのは労力的に無理だった。
「ルゥナ様の言う通りですね」
「全くじゃな」
戦禍に近い村で育ったルゥナは、幼い頃から考えていたのだろう。
どうやったら人間に勝てるか。敵はどう動き、こちらはどうしたらより良い結果を得られるか。
考え続けて、それを実行する力を得て。
生きてきた時間を無駄にしない。過去の経験を未来に繋げている。
「なら今しばらく、あの兵士どもを食い止めるぞ」
「お手伝いします。イバ、貴女達も」
「はい、トワ姉様!」
最初のメメトハの魔法で倒れていた兵士に止めを刺すなどしていた少女隊が、トワの言葉に嬉しそうに返事を返した。
返り血で頬が汚れていて、美しい狂気を感じさせる。
「……」
頼もしいのだけれど。
どこか、トワと関わる何某かに不安を覚えてしまう。
ティアッテのことがあって、メメトハが気にしすぎているだけなのか。
イバを筆頭にした少女たちの戦意は高く、案外と統率も取れているように見える。
トワやオルガーラ以外の命令でも、嬉しそうではなくとも素直に従うのだから。心配はない。
「トワ、妾が合図をしたら先のぬかるみの魔法を頼んでよいか?」
確認してしまったのは、やはり胸中に不安があったからだろう。
「ええ、いつでも言って下さいね」
トワの答えは澱みなく、素直で。
だから妙に不安を覚えるのだ。
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