第四幕 017話 誰が為に_1
人間とて馬鹿ばかりではない。そうであってくれた方が助かるが、残念ながら。
脅威と知れば対策をする。
初期の頃、ルゥナは言った。敵に情報を渡さないようにと。
こちらの数や力、動きを知られれば不利になる。逆に敵の情報を知れば有利に運べる。
さすがにこの規模の戦いをして情報を漏らさぬことは不可能だ。見た人間全てを始末出来ればいいのだが。
サジュに侵攻した軍が敗れ、拠点となる町が一つ陥落した。
それを聞いた人間が、明確な脅威として認めるのは当然のこと。その対応は素早いとは言えないが、こちらの足よりは先行する。
十万規模の討伐軍。
さすがに多い。数の多さは知っていたが、これだけの軍勢を見たことがある者はいない。
遥か昔、まだ南部に多くの清廊族がいた頃に、これを上回る数の決戦もあったと言うけれど。
「ルゥナ様、敵の一部が町に入ったそうです」
「わかりました、セサーカ」
先日落とした町、イジンカと呼ばれていた。
人間の軍勢が迫るのを聞いた時点で、既にそこにはいない。
町から北に離れた丘陵に伏せた。
数が違いすぎる。この数で攻め続けられたら、こちらの体力が持たない。
元よりあの町を守るつもりなどなく、運び出せなかった食料は海に流した。
十万の人間ということは、それだけ食べ物が必要になる。調達などさせない。
大きな選択肢は二つ。
長期戦か、短期戦か。
悩んだ。メメトハやサジュの熟練戦士などとも相談をして。
数の少ない清廊族の戦い方とすれば、正面決戦は愚策になる。
前回のように勝算があるのならともかく、数の多い人間を相手に消耗戦はあまりに不利。
敵の正面をやり過ごして、少しずつでも敵を削っていく道がいいのではないか。
時間をかけて、小さな勝利を積み上げて。
長期的な反攻作戦をという考え方もあったが、選ばなかった。
今回だけのことではなく、この先も含めて短期で決着をつける。
そう決めた。
人間の力は何と言っても数だ。時間をかけてさらに数が集まれば手を出せなくなってしまう。
長期化する中でこちらの手札を知れば、有効な対抗策も練られるだろう。手札なら敵の方が多い。
さらに言えば、人間の戦力はこのカナンラダだけではない。ロッザロンド大陸にはもっと強大な戦力があると言う。
別の理由として、これは勝算だ。
アヴィの恩寵により、戦士たちは明らかに力を増している。人間を殺すことで。
ただ数だけで比べられる戦力ではない。人間と戦うことで加速して強くなっていくことも可能。
人間同士の殺し合いでは、無色のエネルギーを得ることは出来ない。これが常識だ。
清廊族と人間との殺し合いでも、本来はそうだった。
人間は知らない。こちらが人間の死を糧に力を増すことを。知らないことが人間にとっての最大の不幸。
不安もあった。
ダァバの存在。
いないことは知られていた。海の彼方に飛び去ったという情報がある。
どこに向かったのかまでは捕らえた人間も知らなかったが、ロッザロンド大陸以外にはない。
飛行船を失い、希少な武具を失って自身もダメージを負っていた。
逃げた。海の向こうに。
それが戻ってこないなどと考える者は誰もいない。
ダァバが再び現れる前に、他のものを片付けてしまいたい。
その中で戦士たちの力も増すのだから、戦いを短期間に定めることは間違いではないはず。
何よりも。
多くの戦士たちの気持ちは同じだった。
人間に囚われ苦しむ清廊族を、少しでも早く解放したい。
長期戦を選ばない理由はたくさんあって、けれど結局結論はそんな思いから。
「全軍が入ってくれてもいいのですが」
「半数ほどは北上の準備をしていると。追ってくるつもりのようです。予定通りですね」
敵も軍を分けた。
あの町はおよそ十万の人間が暮らしていたはず。
全軍が入ることも出来ただろうが、人間の目的は清廊族との戦いだ。
拠点として
半分でも五万か。
正面からではまだ勝算がない。飲み込まれ、多くの犠牲を出すことになる。
勝てないとは言い切れないが、勝てるかもしれないという見込みで決戦などできない。少ない戦力が削られるのも避けたい。
戦力、数と。嫌になる。
二千を越える清廊族の戦士たち。
彼らにも家族がいて、生きる理由がある。死ねば涙する者もその数の倍では済まない。
戦いをやっているのだ。
敵もこちらを殺そうと必死で、犠牲を皆無にすることなど絵空事。
本来ならルゥナより経験のあるサジュの戦士たちも、ルゥナが成し遂げてきた成果を認めて指示に従ってくれる。
南部に囚われていた清廊族を救い、北部へと辿り着いた。
クジャを襲った魔物や混じりものを打破し、ティアッテを助け出してサジュを人間から取り戻して。
短い間に驚くほど積み上げた実績がルゥナへの信頼となっている。
重い。
ユウラの死だけではない。他の戦士たちの命も背負うというのは。
「……」
「どうかされましたか?」
セサーカに覗き込まれ、唇を噛んでいたことに気が付いた。
「いえ」
誰かの命に責任を負うことを、他の誰かに託すことは出来ない。
「予定通りです。このまま待ちましょう」
「……はい」
短い返事の後、セサーカは何も言わなかった。
彼女の瞳には揺るがぬ意志を感じる。その目を裏切ることはしたくない。
裏切り。
罪悪感を覚える。
生まれ故郷イザット村の戦士、ベィタと再会した。
ルゥナの親より少し若い女性で、両親が不在の時に世話になったこともある。
他にも、あの町で解放した清廊族の中には見知った顔もあった。故郷に近い場所だったので不思議なことでもない。
母のことを聞いた。
ベィタから母の最期を聞き、悲しく思った。
それとは別に、なんだか言い様のない納得をしてしまって。
生きていないのではないかと、そういう想定はしていた。予想通りといえばそうだ。
父は戦いの中で先に死んだし、母も村の戦士として皆の支えだった。おそらく命を賭して戦っただろうと。
悲しかった。なのに。
心の隙間に浮かんだ気持ちが、無性に腹立たしい。
アヴィと一緒だ、と。
母を失った。アヴィと同じで自分も。
エシュメノだけじゃない。ルゥナも母を失って失意にあるのだから、アヴィに愛される資格があるなんて。
なんて浅ましい。
逆に、もし母が生きていたのなら。
アヴィは母を失ったのに、自分だけ家族が無事だったら。どんな顔をしてアヴィと向き合えばいいのか、などと。
卑しい。さもしい。
自分のそういう気持ちがとても嫌で、罪悪感がルゥナを蝕む。
誰かに叱ってほしい。誰にも言えないけれど。
「ルゥナ様」
ぱん、と。
両頬をはたかれた。
「誰の命も、無駄ではありません」
迷いのない瞳で。
「……」
「私の命だってそうです。たとえ死ぬことになっても、それを無駄にはしない。そう信じています」
自責に言葉を詰まらせたルゥナを、セサーカが両頬に手を添えて真っ直ぐに見つめた。
「死んでいった仲間たちも、一緒に戦う戦士たちも。貴女を信じているんです」
「……」
「立ち止まらないで下さい」
ルゥナの心根がどれほど卑劣だとしても、共に歩み共に戦う者たちはこの道を信じてきた。
私的な感傷に囚われることは許されない。
進めと、セサーカに諭される。
「……ありがとう、セサーカ」
「私は……私も、アヴィ様をお助けしたいんですから。ルゥナ様と一緒で」
本当に強くなった。この子は。
支えてくれる。
ルゥナの弱い気持ちを、背中から押してくれる。
迷うことがあっても進まなければならないのだと。
ルゥナが気を入れ直すのを見ながら、セサーカは首を振った。
「清廊族の未来なんて重いものは背負わなくていいと思いますよ」
よく見ているのだろう。ルゥナよりもよほど察しがいい。
「全てはアヴィ様の為に」
心の置き所を間違えるな、と。
「アヴィ様の望みを叶える。その為になら、何を犠牲にしたっていい」
「ええ……ええ、そうでしたね」
セサーカの言う通りだ。
ルゥナにとって一番大切なことはアヴィの願いを叶えること。
アヴィと共に進み、全ての人間をこの世界から消し去る。それが清廊族の未来にも繋がるだけ。
優先順位を間違えていた。
思えばセサーカやミアデを仲間にした時だって、アヴィの盾としての役割を期待してのこと。
さすがに今ではセサーカ達をそこまで切り捨てて考えることは躊躇うけれど、根本は変わらない。
戦士たちも、その命が無駄にならないのなら多少の納得は出来るはず。
人間を滅ぼす為の戦い。
清廊族が救われるのは、そのついでとまでは言わないが、そういうことでいい。
「ありがとう、セサーカ」
再度、礼を言う。
目が覚めた。
背負うものが多くなりすぎて、前ではなく足元ばかりを見ていたルゥナの顔を上げさせてくれた。
「お役に立てたなら嬉しいです。ルゥナ様」
微笑んで頷くセサーカの瞳は揺れない。
揺るがない。
「……」
この子は、こんなに強かっただろうか。
かすかな違和感。
ミアデのこともそうだったが、少し強すぎる気がする。
強いというのとも違うような。
透明過ぎる。
セサーカ自身の感情が見えない。
彼女の心はどこか遠くにいってしまっていて、生きている熱を感じない。
正しい。
アヴィを支える者として正しすぎる。
そこに私心はなく、迷いも悩みも感じさせない。
滅私というのはこういうことを言うのだろう。
その姿勢の強さに感心するのとは別に、何だか怖さも覚えてしまう。
生きている者が、これほど自らの心を捨てて誰かに尽くそうとできるものなのか。
「……」
微笑むセサーカに笑顔を返した。言葉は出てこない。
たぶん、ルゥナの勘違いだ。あるいは卑屈な罪悪感がありもしない不安を見せているだけ。
ルゥナの心の正しくない部分が、セサーカの正しさを眩しく感じて。
自分より若輩で後進にあると思っていたセサーカの方が、アヴィの支えとして適切なのではないか。
今まで考えたこともなかったけれど、追い抜かれてしまったような感覚。
「貴女は」
怖くて、妬んで。
「私よりも、強くなってしまいそうですね」
セサーカの微笑みに、わずかに色が浮かぶ。
「アヴィ様の為になるのなら、
揺るぎない献身の言葉は、ことによっては大軍以上に脅威になりそうで、ルゥナの肝を冷やしてくれた。
アヴィに対しての献身で負けてなるものかと。
ルゥナの表情が引き締まった。
セサーカの微笑みは、やはり揺らがなかった。
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