第四幕 016話 両刃の恋慕_2



「……ミアデの力は」


 考え事に意識をやっていたミアデに、ふとティアッテが呟く。


「アヴィから受け継いだと、そう言っていましたね」

「え? うん、そうだけど」



 やや寂し気な目でミアデを見ていたティアッテが、今度は視線を下げる。


「その……アヴィと、あんなことを?」

「あんなって……」


 口づけをして、恩寵を授かって。

 あの時は確かに、同性と熱を感じる口づけなど初めてだったから驚いたけれど。

 ティアッテもしたのだろうか。恩寵の為に。



「まあ、うん。したよ」


 案外とティアッテは初心なのだなぁとか。

 恥ずかし気にする彼女の態度に、ミアデもなんだか恥ずかしくなる。



 照れて目線を泳がせるミアデと、言いにくそうなティアッテ。


「でもそれで力をもらえたんだから」

「無理やりだったのでは?」


 言葉を接いだミアデに、ぐいとティアッテが迫る。


「強引に、ではないのですか? あんな」

「そ、そりゃあ……そう、だね。最初の時はそうだけど」


 口を覆い、小さく首を振るティアッテの様子に慌てて、


「で、でもっ! 最初はほんとびっくりしたんだけど、そんなにイヤじゃなかったんだよ。人間にはずっと酷いことされてたし、アヴィ様とは……あたしからお願いして、その後も」

「ミアデから望んで、そんな……」



 はしたないと思われたのだろうか。

 ティアッテは潔癖なのかもしれない。伴侶以外の誰かに唇を求めるなんて有り得ないことだと。


 それにしては、この砦で救われた時にミアデと唇を重ねたのだけれど。あれは弱り切った彼女の混乱のせいだったのか違うのか。



「あんなことを……獣のよう、です」

「え?」


 獣って親愛の口付けなんてするんだったかな。

 仲の良い獣同士だと、お互いの尻の匂いを嗅いでいるような気はするけれど。


「縄張りを示すように、その……おしっこだなんて……」

「は、はぁっ!?」


 何を言い出すのだ。

 この氷乙女、何を言っているんだろう。


「お、おしっこ? なにそれ……なんでそんな」


 混乱する。

 なんだ、アヴィは縄張りを示すようにティアッテにおしっこでもかけたと言うのか。

 ああいや、恩寵はアヴィの体液がどうとか。それも有効なのかも。


 しかしそれは色々と問題があるような。それでもやったというのなら理由がある、のか?



 氷乙女は元々強い力を持っていて、より深く強い行為でなければ恩寵を与えられない。そんな理由があるのかも。

 そうでなくともティアッテは混じりものだ。魔物の特性もあることが理由で。


 やばい。思った以上に聞いてはいけないことを聞いた気がして、先ほどティアッテの部屋から聞こえていた声と言葉と符合する。


 顔にかけて、とか。熱いだとか。

 こういう意味だったのか。ああ、思い出してしまった。忘れようとしていたのに。



「されたのでしょう? 無理やり、強引に……ミアデの顔に」

「ち、違うよっ! してない!」


 ティアッテの勘違いがどこから来ているのか知らないが、ぶんぶんと頭を振る。


「あたしがしたのは口づけだけ」


 いや、だけ……でもないけれど、大体それ。



「違う……のですか?」

「そ、そりゃあ、当たり前……いやその、それも方法なんだと思うけど、あたしはそういうのはされてない」


 やると言われたら、拒絶するだろうか。


 悩む。

 人間にされたことを思えば忌避感は少ない。敬愛するアヴィから言われるのなら、望まれるのなら。

 抵抗がないわけではないけれど、どうしよう。どうしたらいい。



「口づけ……それで、ああ」


 ティアッテの表情が少し緩んだ。安堵に。


「だとしても、強引にそんなのはよくないと、私は思います」

「そうだけど……いいんだよ。あたしにはいい思い出だし」


 えへへ、と笑った。思い出して。

 ミアデの笑顔に、ティアッテは溜息交じりに微笑みを返した。



 嫉妬されているのだと思う。

 どういうわけだかティアッテはミアデに強く親しみを覚えていて、過去のアヴィとのことを妬んでいる。

 こういう風に誰かに好かれるのは新鮮で、決して嫌な気分ではない。特に今は。



 引き留められると思った。

 そうでないにしても、名残惜しんだり寂しそうにしたり、あるいはそれこそ嫉妬したり。

 セサーカにそういう風はなかった。


 疑問も戸惑いも躊躇いもなく、ミアデにティアッテと共に行くように言った。

 ミアデは困惑していたのに。

 アヴィ達ともだけれど、セサーカと離れ離れになることを怖れて、引き留めてほしかったのに。


 彼女はまるで気にした様子はなく、戦いの為の務めなのだから当然だとして。

 そうだとしても、少しは何か他の言葉がほしかった。寂しがる顔を見せてほしかった。

 あれではまるで……



「セサーカとも、長いのでしたね」


 心を読まれたように言い当てられる。考えていたことを。


「うん、ずっと……」


 ティアッテはよく見ている。ミアデのことばかりを瞳に映して、強く想ってくれている。



「一緒の村で産まれたから。南部の、ニアミカルム麓に隠れ住んでいたんだ」


 今でも、ニアミカルム山脈の隙間に隠れ住む清廊族はいるのではないだろうか。人間どもから逃げてひっそりと。

 もう全て潰されてしまったかもしれないけれど。


「あたし達が小さい頃に人間に見つかって、ずっと一緒に……」

「そうでしたか」


 囁きかけて、そっとミアデの頬を撫でた。


「すごく辛い時も、アヴィ様に助けられてからもずっと一緒だった」


 なのに今は、離れて。不安。



「ティアッテも、オルガーラとずっと一緒に戦っていたんだよね?」


 不満をティアッテに吐いてしまいそうで、話を変えようと振ってみる。


「あの子とは、まあそうですね」


 微妙に困った表情を浮かべて頷きながら、言葉を接ぐ。


「並び立つ氷乙女ということで、他に追随できる者もいませんでしたし。その、伴侶というのとは少し違いますが」


 ミアデに言い訳をしているようだ。

 別に責めているわけでもないのだけれど。



「他に誰もいなかったので、親しくしていました。ミアデ達がいてくれたならまた違ったのだと思います」

「そうなの?」

「ええ、もちろん」


 何がもちろんなのか知らないが、オルガーラとの関係を重く捉えないでほしいとミアデに訴えた。


 やはりティアッテは潔癖なのだろう。

 ミアデは過去の経験からそこまで純潔性とかを誰かに求める気はないけれど、氷乙女ともなれば違うのだと思う。



「あれは依存や惰性だと……」

「わかった、わかったよ」


 ティアッテの言葉に苦笑して頷くけれど、ティアッテはまだ不足なようだ。ミアデがわかっていないと。



「ミアデだって」


 不満そうに、少し唇が尖る。


「そうなのではないですか?」


 拗ねたように、言葉を重ねて。


「なにが?」

「セサーカと貴女は……」


 責めるように、背は少しティアッテの方が高いのに、上目遣いで。



「他に誰もいないから、依存していただけ……なのでは」

「依存……」


 寄り掛かって、傷を舐め合って。


「辛い時期を共に過ごしたから、特別だと錯覚してしまって」

「……」

「今も、ただ惰性でその関係を」


「やめてよ!」



 断ち切った。

 ティアッテの言葉を断ち切った。


 強く言葉を放ち、背中を向ける。


「……」


 井戸から水を汲み、再び顔を洗った。



「……ミアデ、私は」

「最低だよ」


 ミアデの気持ちを、そんな風に言うなんて。

 そんな風に言われて、ここに来る前のセサーカの態度を思い出して。


 もう一度顔を洗う。冷たい水が、澱んだ気持ちを流せない。


「最低だよ、ティアッテ」

「……」


 そうかもしれないと、そう考えてしまう自分も。


 ミアデは違う。ミアデは違うかもしれないけれど、セサーカにとってはそうだったのか。

 言われた言葉が頭に残り、胸が重く締め付けられる。




 それ以上、話を続けたくなくて、部屋に戻った。

 見張りをしなければならない。また人間どもが来るかもしれないのだから。

 これまでの様子から、そう頻繁に来るとも思えなかった。今は来ないだろう。



 ミアデの背中に、掛けられる言葉はなかった。



  ※   ※   ※ 



 だが、扉の外で啜り泣く声が聞こえる。

 止まない。


「ミアデ……ごめんなさい、ごめんなさい。私……わたしは、ただ……」


 過ぎた言葉だったと。

 心無いことを言ってしまったと、悔む声。


 違う。

 確かにティアッテの物言いを不愉快に感じたけれど、強く拒絶してしまったのは彼女に対してではない。


 自分自身が、ティアッテの言うことに納得しかけて、それを否定したかった。

 そんなはずはない。セサーカはミアデを大事に思ってくれているはずだと。



 信じたかった。

 信じられなくなりそうで、怖くて。

 ミアデの中の問題で、不貞腐れているだけ。


「わた……ミアデ、ごめんなさい。お願い……わたし、このままじゃ……」


 思いつめるティアッテ。

 彼女はミアデを強く慕っていて、傷つけたと思い悩んでいる。


 よくない。

 ティアッテを傷つけ、追い詰めるようなことをしたいわけではない。



「……」


 立ち上がり、扉を開けた。


「?」


 巨大な戦斧を抱えるティアッテが、ドアの外に立っていた。



「そんなもの……」


 ミアデより頭よりかなり大きな戦斧。天井にぶつかるので斜めに持って。


「あ……」


 ミアデの顔を見て声を漏らすティアッテ。武器など持って、何を考えていたのか。



「だ、駄目だよ。ほら、もう別に怒っていないから」

「ミアデ!」


 戦斧を放りだして抱き着くティアッテ。


 受け止めて、戦斧の先端が床を破壊する音を聞く。重すぎてただ転がるだけで床の板を少し壊してしまった。

 こんな武器を持ち込んでどうするつもりだったのか。



「駄目だよ、ティアッテ。自分を傷つけたりしたら」


 たぶん自らを傷つけようとしたのだと思う。

 ミアデを傷つけたことを悔いて、自分の武器で自分自身を。


 潔癖で清廉なティアッテだ。

 真面目過ぎて自分を追い込んでしまったのではないか。


 まさかその斧で扉を破り、強引に押し入ろうなどとしたはずがない。



「ごめんなさい、ミアデ」

「うん、わかったから」

「ミアデがいないと私……貴女がいなければ、私は」


 まあ、冥利に尽きるというか。

 こうまで慕われることを悪く感じるわけではない。

 まして相手は氷乙女で、それがなくとも見目麗しい。


「ああいうのは……もう、やめてね」

「ええ、ええもちろん。もう言わない。もうしませんから」


 ぐい、ぐいと。

 ミアデに身を寄せたティアッテが押し入る。



 寝台に、転がされた。

 そのまま顔を寄せられる。


「ごめんなさい、ミアデ。私は、もう……」


 涙を浮かべて謝罪と、許しを求めた。



「……口づけだけ、だよ」


 許可をする。

 ティアッテと深い関係になりたいわけではない。


 けれど、ミアデだって少しは寂しさもある。

 引き留める素振りもなく送り出したセサーカのことを、不満に思っているのだから。

 だから、少しだけ。


「んむっ」


 許可を聞いて、一言もなく貪られた。

 ティアッテの唇。

 前にもこの砦で交わしたけれど、あの時とは少し状況が違う。


 ああ、そういえば。

 牧場でトワ達を救い出した時、自失するトワにルゥナが口づけをしていた。

 あのことがあったから、トワはルゥナに心を奪われたのだろう。


 この砦で自失しかけていたティアッテに、ミアデは唇を許した。

 だとすれば、ルゥナとトワとの関係みたいなもの。


 ルゥナがトワの想いに一定の配慮をしているのは見て取れる。ルゥナ自身、少なからずトワには甘い。

 ミアデも、そうすべきだろうか。


 自分が拾い上げたティアッテの心が、ミアデを求め必要としている。

 その責任を負うべきだろうか。



「もちろんです、ミアデ」


 唇を離したティアッテの顔は、何を肯定しているのだろう。


「唇だけ……口づけだけで、ええ……ええ、もちろん」

「ティアッテ?」

「それだけで十分……ええ、私は満足しますから、唇だけ……」


 煽情的な色の吐息と、揺れながら輝く瞳。


「ん、んんぅ」


 許可はしたけれど。

 唇は許可をして、それだけで満足だと言うのだけれど。



 このティアッテは、本当にそれだけで満たされてくれるのだろうか。

 誰もいない砦に、初夏なのに長い夜が訪れそうな気がした。



  ※   ※   ※ 

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