第四幕 012話 砦は二度放棄され_1
砦は二度放棄された。
造られてまだ一年も経たない砦が、二度。
「やはり誰もいません、隊長」
「ああ」
オディロンの報告に部隊長が短く答えた。
偵察の報告で聞いてはいたのだが、いざ無人の砦の調査に来るのは緊張させられる。
無人のはず。
気配はなく、使われている様子もない。
誰もいない建物というのも不気味なものだ。いれば危険だと言っても。
斥候部隊なのだから仕方がない。
ごく少数で、敵に感知されないよう状況を確認して本隊に報告する。
それでも敵と遭遇する可能性はあり、その場合は少ない人数で戦闘する必要もある。
ある程度腕が立つ者でなければ務まらない。
アトレ・ケノス共和国の斥候は精鋭だ。給金だって普通の兵士の倍もらえる。
いざ戦闘になったとしても、情報を持ち帰ることが最優先。
撤退の自由もあり、足の速さに自信があるオディロンにとっては悪くない。
もう二十年近く大きな被害が出るような戦闘はなかった。高い給料で割の良い仕事だと思っていたのだが。
ヘズの町は国境沿いに位置する。明確な国境線などないにしても。
兵士の募集は少なくない。冒険者という不安定だが一発の稼ぎが大きな仕事もあるが、オディロンは兵士を選んだ。
安定した収入を得て、適度な暮らしが出来ればいい。
兵士の中では優秀さを認められ、斥候部隊の一員に選ばれた時には幸運だと思ったものだ。
このまま務めて、斥候部隊の小隊長にでもなれれば給金はさらに良くなる。生活も楽になる。
それがどうして、こんな危険な任務をする羽目になったのか。
斥候部隊の役割なのだから当たり前ではあるにしても、胸中でぼやきが出るのは仕方がない。
上層部も余計なことをしてくれたものだ。
影陋族の巣をつついて手痛い反撃を受けたのだとか。
甘く見過ぎたのだろう。小さな獣だって卵を守ろうとすれば思わぬ力で反撃する。
大英雄ムストーグ・キュスタも、もういい加減五十から六十ほど。
耄碌していたに違いない。過去の栄光は聞き知っているが、年を食って全盛期ほどの力はなかったのではないか。
おごり高ぶり注意力を失った。それなら一流の戦士だろうが命を落とすこともある。
ロッザロンドの本国から鳴り物入りで来た竜公子様とやらも、噂ほどではなかったのだろう。
飛竜を操る尊い家柄とかで、噂の方が盛られていた。
所詮は本国でぬくぬくと過ごしていただけのお坊ちゃん。カナンラダ大陸の最前線で戦うだけの器ではなかった。
言葉にはしないが、オディロン以外の同僚も似たような感想らしい。
実際に勇者とか呼ばれる冒険者がどれほど強いのか、それは知っている。
ヘズの町周辺にも優れた冒険者がいて、オディロンも目にしたことがある。彼らの戦いを。
別格だ。やはり一流以上の冒険者や戦士の戦いはまるで違う。
努力や何かで追いつけるようなものではない。それらを見て、やはり冒険者の道を選ばなくて正解だったと思う。
オディロンではせいぜい中位の冒険者どまりだっただろう。
それでも世間一般では十分に強者で成功者になれたかもしれない。小さな村なら重用される。
選ばなかった道だ。リスクを考えた上でオディロンは兵士となった。
軍でも、幹部級は上位の冒険者やそれ以上の力と言うけれど、実際はどれほどのものか。
町で家畜以下の扱いを受ける影陋族などに敗れるなど、英雄様という肩書も怪しいものだ。
「……やはり、砦の中には何もいませんね」
仕事は仕事だ。上の者がどんな失敗をしたにしても、現場のオディロンがやるべきことがなくなるわけではない。むしろ増える。
「奪った砦を守れるだけの戦力もないんでしょう。連中には」
「それは予想通りだがな」
他の兵士も、集合場所にと言っていた南門辺りに集まってきた。
十名の少数部隊。
実際には十五人だ。残り五人は砦の外で、オディロンたちが戻らなかった時の報告の為に伏せている。無用なようだが。
無用でなければ困る。後詰の彼らの仕事が必要ということなら、オディロンの身が危険なのだから。
先に一人が偵察して、砦内に気配がないことを確認。
その後、部隊長を含む十人で中を調べたが、実際に何者の姿もない。
破壊跡や物資を持ち出された形跡はある。奪えるものを奪い、ここを放棄した。
湿地、沼地の中の砦。
ここは沼地の入り口付近になる。雨が降るとぬかるむ場所を避けて砦を築いた。
周辺は所々に柔い場所があり、茂みも多い。
砦周辺の木々は建造に使ったり焚き木に使ったりしてなくなっているが。
ここに来る途中、水溜まりのぬかるみに足を突っ込んだせいで脛あたりまで泥に汚れた。
そうでなくとも体中に泥の臭いが染みついている。
水浴びでもしたいが、さすがに作戦行動中にそうもいかない。
ヘズの町に戻るまで七日ほど。その間にどこか川で洗わせてもらえないだろうか。
帰り道にもまた泥に汚れるだろうから、今すぐでなくていいのだが。
この砦より北は、もっと沼地が多く深い場所もあるのだとか。
そっちも偵察しろとか言われたら軍を抜けたい。危険だし汚いし。
辟易する。
それでも一応は警戒しつつ周囲を探る。
どこからかふわりと花の香りが漂ったような気がしたのは、気のせいか。泥塗れでオディロンの鼻がおかしくなっているのかもしれない。
「隊長、井戸は無事でしたよ」
「そいつは助かる」
同僚の報告に、横で聞いていたオディロンが苦笑して答えた。
隊長も含め、皆泥塗れだ。似たような表情で井戸に向かった。
影陋族も生き物なのだから、飲み水は当然必要だろう。
泥水を飲むようなことはない。連中は氷雪系の魔法が得意だというからどうにかするのかもしれないが。
季節は初夏だ。井戸から酌んだ水を頭から浴びて少しさっぱりする。
「放棄するってのに毒だの入れたりしないもんかね」
井戸がそのままにしてあって助かったのだが、放棄するのなら嫌がらせくらいしても良さそうなものを。
毒ではなくとも、井戸に死体を投げ込んでおくだとか。
「影陋族は自然だのを崇めているからな。毒で自然を汚すようなことは嫌うんだと」
「へえ」
オディロンの疑問に隊長が答えた。井戸を自然のものと言うのかはわからないが、毒を使う考えがない。
そんな風な話は聞く。
山やら川やらを崇めて、物事を論理的に捉えない。
合理性がない。だから戦いに敗れるのだろう。
「井戸も宿舎もそのまんまってね。使わないんだったら壊していけばいいのに」
「そんな余裕がなかったんだろう」
破壊するにしても労力がいる。数の少ない影陋族が、時間と手間を掛けていられなかったのか。
影陋族の事情など知らないが、とりあえず水は助かった。
危険がないことを確認する危険な任務。それを終えて一時の休息を取る。
日も暮れる。危険がないのなら砦で夜を明かそうということに。
後方で待機している連中には悪いが、砦に足を踏み入れたオディロン達に多少の休憩くらい許されるだろう。
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