第四幕 011話 無情の隔たり
「ひぃぃあぁっ!?」
がたばたと、そこらにある物を掻き分けて後ずさる中年の男。
中年といっても人間だ。ウヤルカより生きた年月は少ないのかも。
潜んでいた倉庫で、物をウヤルカの方に押し付けながら壁の隅に隠れようとする。
虫のようだ。食糧庫に潜む虫が、退治されそうになって逃げ場を探すのと同じ。
「た、助けてくれ!」
「あぁ?」
どの口で、そんなことを言うのか。
襟首を掴み、出入り口の方に転がした。そして蹴り出す。
人間の男など触れたくもないが、倉庫の中は汚さない方がいいだろう。
憎むべき人間の町だとはいえ、建物に罪があるわけではない。いずれ清廊族が住むかもしれない。
通りに蹴り出された人間が、頭を地面に伏してウヤルカに乞う。
「なんでもする、だからどうか……お、俺は影陋族になんにも」
「うるさいんじゃ」
グズグズ抜かす男の顔を蹴った。思い切りではない。全力でやったらそれだけで死んでしまう。
「今さらおのれら人間が、何の理屈があって助けてもらえるんと思うんじゃ。あほうが」
都合のいいことを並べる馬鹿に、腸が煮える。
何もしていないとは笑わせてくれる。
この男がどうではない。人間全てが、清廊族全ての犠牲の上にのうのうと暮らしていたのだ。
清廊族から土地を奪い、命と尊厳を奪い。清廊族の安らかな暮らしを踏み躙った上で生きてきた。何もしていないなど言わせるものか。
まして、謝る相手の名も正しく呼べないなど。
人間どものつけた蔑称で清廊族を呼び、どこに謝罪の真意など見えると思うのか甚だ疑問だ。
「何でもする、じゃったな」
「あ、ああ……なんでも、なんでもする!」
「じゃったら」
ウヤルカの足が軽く後ろに振られた。
「黙って死んどけ、ドアホウが」
「ぐぶぇ」
助けてもらえるのかと顔を上げた男の胸に、ウヤルカの足がめり込んだ。
喉と胸の間あたりに深く爪先が食い込む。気管を致命的に潰して。
「ぶ、へっ、ふぶぁ……ふぇ、はっ……」
呼吸が出来ず、悶えのたうち回る男を置き去りにして、その場を去った。
不愉快だ。人間と関わる何もかもが不愉快。
これまで数や力を頼みに清廊族を蹂躙しておいて、都合が悪くなれば弱者として媚びる。
仮にここで助けたとして、どうせ状況が変わればまた身勝手を言い出すのだ。
共存する道はなかったのかと言えば……
最初はそんなものもあったのだと思う。
人間がカナンラダの大地に辿り着いた当時に、ここに住む清廊族のことを尊重し、交流をしていたのなら。
そんなことは夢物語にしても馬鹿々々しく、現実にはそれと真逆の行いを百五十年に亘り続けて来た。
非道な行いを、当然の権利のように。
今さら歩み寄れる道はない。そんな道は人間が断ち、塞いだ。
そうした過去の清算。
未来への道は、清廊族か人間のどちらかが滅ぶしか残っていない。
人間どもは思いもしなかっただろう。清廊族の反撃で町が滅ぼされるなど。
自分たちの栄華は永遠で、この地の恵みを享受するのは当然の権利として疑いもしなかった。
自分より明らかに弱い者を殺すことに気分はよくないが、保存の食料を食い荒らす獣や虫の駆除だ。
同じ言葉を話すだけで、中身はそれらと変わらぬと頭を切り替える。
残せばまた増えて害を為す。嫌な作業でもやらねばならない。
町を歩き回り、隠れ潜んでいる人間を駆除する。
囚われていた清廊族もいくらか解放することが出来た。ひどく消耗したり傷ついた様子の者も多く、新たな戦力として期待できる者はどれほどいるだろう。
※ ※ ※
「……」
眉を
視界に入った光景に、ウヤルカの顔が歪む。
「あぁ……あぁ、そんな……」
嘆く老婆。
そのすぐ傍に、石壁に圧し潰された老人の死体。家族なのだと思う。
血糊を払うように、ぶんっと振るう姿も。
大楯を振って、白い表面についた血を飛ばした。
「へーきだよ。次の順番はお前だから」
横の面積が広い純白の大楯。
見つけた人間の老夫婦の片割れを、その大楯で潰して殺したらしい。蛙でも潰すように。
「やめぇや」
苛立ち、声を発した。
ウヤルカの声に、はぁと口を開けて顔を向けるオルガーラ。
その向こうにはトワの姿もある。
「なに、君? 雪鱗舞の奴じゃん」
「面白半分はやめぇや、オルガーラ。気分悪いわ」
ウヤルカだって人間への情などない。気に食わないことを言う奴は苦しんで死ぬように悪感情だけは湧くにしても。
相手が怯えるだけの爺婆やら物もわからぬ幼子なら、残虐な気にはならない。ただ死ねばいい。
「変なこと言うなぁ、君は」
怯えてへたり込む老婆を置いて、オルガーラは体をウヤルカに向けた。
「今までこいつら人間が面白半分にやってたんだよ。遊びで、大した意味がなくても」
そこまで言ってから、あぁと頷いた。
「君は東部出身なんだっけ? じゃあ知らないか、人間がどんな酷いことをしてきたか」
「知っとるわ、ボケぇ」
「知ってるだけで見たことないんだろ。木に吊るされて矢の的にされた清廊族の死体なんか」
西部で戦い続けていたオルガーラは、そんな亡骸も見たことがあるのだと。清廊族の集落が襲われ、助けにいった先で無惨なそれらを。
確かに、ウヤルカはそんなものを見たことはない。
「こいつらは根絶やしにしないと、また同じことをするんだ」
オルガーラが斜め後ろの老婆を顎で指し、ふんと鼻を鳴らす。
「次にやられるのは君か、君の大事な誰かかもしれないんだよ。わっかんないかなぁ?」
「ほんじゃけぇ、同じことするんか」
歩を進め、距離を詰めた。
先ほど人間を潰したオルガーラの大楯に手が届くほどに近く。
「ちゃうじゃろうが! ウチらはな、人間とは違うんじゃ!」
純白の大楯に手を伸ばし、その縁を掴む。
「殺すんはわかっとるわ。けんども、まともに戦えんモンを殺す時くらいはちぃとは真っ当なやり方をせえっちゅうんじゃ」
ぐいとオルガーラが引く力を、強く握って引き戻す。
「……離しなよ」
「おんしがまともに聞く言うんじゃったらな」
オルガーラの背丈は高くはない。ウヤルカからは見下ろす形に。
決して大柄ではない。けれどオルガーラの力は今この町ではアヴィに並ぶ最強格。
ウヤルカより明らかに上だ。だとしても、言いたいことは言う。
オルガーラの言動はかなり怪しい。危うい。
元々ではないという話だった。人間に囚われた際にひどい拷問を受けて精神のバランスがおかしくなってしまっている。
放っておけば、妙な方向に進んでしまうかもしれない。
ニーレが危うかったように、オルガーラが。
間違った方向に暴走されては仲間が危険かもしれない。
「離せって――」
「オルガーラ」
それまで黙っていたトワが制止の声を発した。
「やめなさい」
トワの様子もだいぶ怪しい。
ユウラをその手で送ったのだ。ニーレ以上に大きく心を揺らしてしまっても仕方がないけれど。
殻蝲蛄の魔石を盗んでまじりものを造ったり、不意に大泣きしたり。トワの心中は誰より測りづらい。
トワに言われたものの不満そうなオルガーラと、彼女の大楯を掴んだままのウヤルカ。
その横を、一筋の光が走った。
「か、は」
短い声を上げて老婆が仰向けに倒れた。
その目から後頭部まで氷の矢に貫かれて。
「遊んでいる暇はない」
こつこつと、石畳の道を踏む音。乱れぬ単調なリズムで。
「さっさとやるか、やらないなら邪魔だ」
「ニーレ……」
近くにいたのか、ニーレと、さらに後ろからルゥナも早足で駆けて来た。
言い争う声を聞きつけて、何かあったのかと。
「ウヤルカ」
「……なんじゃ」
「殺し方に文句を言っている時間があるなら、その間に殺して次を探せばいい」
今ほどニーレがやったように、オルガーラのやりように注文をつけていないで自分でさっさと殺せばいいと。
言いたいことだけ言って、ウヤルカとオルガーラの横をそのまま通り過ぎる。
トワには一瞥もくれない。
「……」
掴んでいた大楯を離した。
ニーレは他に話はないと言うようにその場を去っていく。
表情の薄いトワと不満げなオルガーラも、ニーレが向かう道とは違う方角へ離れようと。
「ウヤルカ、だいたい話は聞こえました」
遅れてきたルゥナがウヤルカに言って頷く。
「貴女の言う通りです。私たちは人間とは違う」
下劣な人間と戦っていて、自分たちの品性までそれらと同列にすることはない。
兵士や戦える力のあるもの、立ち向かってくる者は別にいい。どんな死に方をしようとも。
清廊族にとって憎むべき奴隷商のような連中も、拷問しようが何だろうが構わないだろう。
だが、年老いた者や子供を苦しめて殺すのでは、手を汚すのではなく魂を汚す。誇りある清廊族の戦士の所業ではない。
そんな真似はしなくていい。
仲間の誰にもさせたくない。
ウヤルカの気持ちに、ルゥナは頷いてくれた。
「抵抗しない子供や妊婦などは速やかに首を刎ねるか、この町の貯蔵倉庫に集めるよう全員に言いましょう」
憎い人間だと言っても、子供を相手には手が鈍る者もいるはず。
むしろ殺すことを愉悦と感じるような者がいるのなら、その方が気分が悪い。
「あぁ……そうじゃね」
根絶やしにする以上、それらも始末する。
だがやはり、やり方というのはあると思うのだ。ウヤルカは。
翌日、ウヤルカは後悔することになる。
人間の町の貯蔵倉庫はウヤルカの想像よりかなり大きかった。港に近く、輸送物資の保管などの建物だったのだと思う。千の倍ほど入ってもまだ余裕がある。
町自体も大きい。サジュと比べても半倍ほど。
住民の数は二十倍だったはずだけれど、かなり密集した住居の造りだ。窮屈ではないのだろうか。
誰も近付かないように。
そう厳命された。
加減が出来ないからと、アヴィはそう言い残して魔術杖を手に自分だけ倉庫に入る。
魔術杖の他に、何かネネランから渡された道具も手にしていた。
ネネランに頼んで作成してもらった何か。丸い球体だったということくらいしかわからない。
しばらくして、倉庫の屋根が小さな竜巻で破られた。
それほど強い魔法ではない。いくら子供だと言ってもあんなもので殺せるものなのか。
出て来たアヴィの後に中を見ると、押し込められた二千ほどの人間がみな死んでいた。
傷の一つも見えぬまま。
奇妙に思ったのは、皆が伏せていたことだ。
ほとんどの者が、頭を地に伏せた姿勢で眠るように死んでいる。
一部、苦し気に涎を垂らして喉を掻きむしったような者もいたけれど。
アヴィの力がわからない。
恐ろしいと思った。まるで人間たちが崇める女神がそこに現れたように、伏して死を迎えるなど。
訊ねることも出来ずに、軽く吐息を漏らして去っていくアヴィの背を見送るだけ。
弔うつもりなどなく、死体を海に放り込んだ。
命を失ったそれらを片付けながら、後悔を噛み締める。
こんなこと、アヴィだって気分が良いはずはない。
ウヤルカが嫌った仕事で、誰もが躊躇を感じたこと。
他の誰に任せるでもなく自らそれを行い、残したのは小さな吐息ひとつ。
嫌な仕事を押し付けてしまった。
後片付けくらいはもちろんするが、自分が忌避することをアヴィにさせてしまうなど。
後悔する。
結局、誰かがやるのだ。誰かがやらなければならなくて、ウヤルカがやらない分を押し付けて。
文句を言うでもなく淡々としていたが、あえて胸中を悟らせまいと冷淡に振舞っていたのかもしれない。
気分が悪い。
自分の手で殺す以上に、その不快感はウヤルカの心を苛んだ。
次は自分でやろうと。
他の者に強要することもないけれど、自分の目の前に出て来た分は自分でやろう。そう決めた。
オルガーラの言う通り、ウヤルカは知っているだけだったのかもしれない。
人間と清廊族との容赦のない関係を、頭で知っているつもりでいても、心には染みていなかったのか。
許しのない間柄。底のない裂け目。
たとえ弱者だろうが赤子だろうが関係はない。
その底無しの穴に、清廊族が放り込まれるか、人間を放り込むか。
改めて覚悟を決めて、その話をルゥナにした。
ルゥナが苦さと寂しさを感じさせる表情で頷いたことを、ウヤルカは終生忘れない。
※ ※ ※
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