第四幕 006話 攻め手、守り手_2



 蛮族との戦いに口上などない。

 次第に近付いてきた影陋族の部隊に向けて、号令と共に第一陣が突撃した。

 敵もまた、雄叫びと共に迎え撃つ。開戦の合図。


 接敵する最中、空に矢の雨が放たれた。

 イスフィロセの軍の後陣から放たれた千を超える矢が、影陋族の吹雪の魔法で弾き飛ばされる。


 かなり強力な魔法使いが複数いる。

 それを確認するための一斉射でもあり、運が良ければ敵を削れるだろうと。


 魔法使いがいる戦場で、初手の遠距離攻撃が有効な場合は少ない。手札の確認という色合いが強い。


 続けて放たれた複数の火球の魔法も、敵が放った氷柱を撃ち出す魔法で消し飛ばされる。

 これは消耗戦だ。圧倒的に数の少ない影陋族の魔法使いに無駄な魔法で消耗を強いる。常道的な手段。



 そうこうしているうちに第一陣が敵と刃を交える音が響いた。

 第二陣がその後ろに続くのを見ながら、ボニートたちの部隊も武器を握る手に力が入る。


「……?」


 その二波の足が、遠目に緩んだように見えた。

 湿地帯の水溜まりにでも入ったのだろうか。この近隣で地形を見誤ることはないと思うが。


 ボニート以外の数名も気が付いて、気を取られた次の瞬間だった。



 狂暴な衝撃に横から飲み込まれた。


「ぶをぁぁ!?」


 巻き上げられた土砂と吹き飛ぶ部下の兵士。ボニート自身も巻き込まれて体と意識を滅茶苦茶に吹き飛ばされる。

 何が起きたのかわからず、視界が白黒に掻き回された。


 猛烈な力で吹っ飛ぶ兵士の体や握っていた武器が、ボニートの体を引っ掻いていく。体中のあちこちが痛い。

 肉が削られ、目や頭だけは守ろうと必死に体を丸めて両腕で両耳を覆った。


「ぐぶぇあ!」


 ごろごろと地面を転がり、時折柔らかい肉の感触を踏みつけ、踏み潰され。

 痛みよりも衝撃の驚きが強い。わけがわからない。



 今日のボニートは、運が良かったのか。

 気が付けば、何かにし掛かられてはいるものの命はある。


 圧し掛かっているのは、味方の死体だ。

 衝撃で腕を捥がれた兵士は、激痛の為か口を開けて死んでいる。


 それとは別に、吹き飛ばされた際に味方の槍が腹に突き刺さった死体も。

 ボニートに被さったそれらの死体が、彼を隠してくれていた。


「っ……」


 まだ生きている。

 味方の死骸の山の中で、まだ生きている。

 何が起きたのか。




「アヴィ様、南から敵が来ます」

「先頭の男は私が。他を任せてもいい、セサーカ?」

「お任せください」


 ボニートの後ろの部隊には将校がいたはず。

 上位の冒険者級の力を持つ戦士だ。きっと彼が部下を率いて助けに来てくれた。その後ろには勇者級の力がある軍幹部もいるのだ。


 助かる。

 このまま息を潜めていれば助かる。


 横から、たった二匹で奇襲を仕掛けて来たというのか。

 確かにこの数なら気付かれずに近付くことも出来るかもしれないが、頭がおかしい。


 良かった。今日のボニートは幸運だ。あちこち痛むものの、今すぐに死ぬような大怪我もしていない。


 たかが二匹の敵など、不意を突かれなければどうとでもなる。

 強者が相手をしつつその支援に人数をかければ、いずれ疲弊して死ぬ。たとえ英雄級だろうが。



「真白き清廊より、来たれ絶禍の凍嵐!」


 柔らかい色の女の声が、真冬の吹雪よりさらに冷たい猛吹雪を呼んだ。

 寒い。

 冬の海で嵐に遭うと指がかじかみ感覚を失う。まさに死の凍嵐。


 それでも今日のボニートは幸運だから。

 折り重なった味方の死体が、その氷雪から身を守ってくれる。

 体の震えで上に重なった死体が崩れてしまわぬよう、必死で堪えた。




 金属音と罵声、怒声。

 時折聞こえる詠唱は、敵のもののはずなのに妙に安らぐ。美しい音色。


「セサーカ、大丈夫?」

「はぁ、ふ……はい、平気です」


 どれだけの時間だったのか、死体の山の中で身を縮めるボニートにはわからなかった。

 だが、かなりの時間。

 いい加減、この影陋族も疲労してきている。息が荒い。


「反対側のルゥナ様たちは平気でしょうか?」

「メメトハ達もいる。心配いらない」


 何の話をしているのか。反対と言うのなら軍の左翼側にも同じような奇襲を仕掛けたというのか。



 それにしても、会話をする様子がやけに落ち着いている。

 囲まれているはずなのに。

 先陣を切った兵士たちも、ここが襲撃されたことはわかっているはず。戻ってくれば挟み撃ちになるはずだ。


 恐る恐る目を開ける。

 ボニートは運が良いのか、体の向きはちょうど見たい方向――戦線の方角を向いていた。

 死体の隙間から見える。


 大地を踏みしめ進む足が。

 整然と並び、まるで息を揃えるかのように歩むそれを見る。

 死体を乗り越え、留まることのない大波のように一定の速度で。



「……」


 死を。

 イスフィロセでは、死を潮の流れに例えることがある。


 人間の力ではどうしようもなく、ただ定まった速さで滞ることなく流れる潮流のように。


 死は波のように押し寄せ、止めることは出来ない。逃げる先もまた死の海。

 そういうものを現実の光景として目に出来た人間はどれほどいるのだろうか。

 ボニートは、幸運なのだろうか。今日は。



「あ……」


 並ぶ足の向こうに、隙間から僅かに見える。

 突撃していった者が列になって並んでいるのを。

 綺麗に列を作り、死体となって。


 ボニートが反対側を見ることができれば、知ることが出来ただろう。

 後方の味方が算を乱して逃げていく姿を。

 見れば悲嘆したかもしれない。見ることができなくて幸いだった。



 ぼす、どす、と。

 踏みしめてきた足が、ボニートの上の死体をわざわざ踏みしめていく。


「ぅっ、ぶ……」


 衝撃で声が漏れぬように口を押えた。



「アヴィ、大丈夫だった?」

「別に平気」

「エシュメノ、ちゃんとやったぞ。自分だけ突っ込んだりしないで皆を守った」

「さすがです、エシュメノ」


 進んできた影陋族の中から、奇襲要員の二人と言葉を交わす。


「突っ込んできた人間は大体全部やっつけた。ちょっと逃げられたけど」



 ――だいたい、ぜんぶ、やっつけた?



 普通の戦闘で接敵した部隊の大半が死ぬことなど滅多にない。

 壊滅的な被害と言っても戦死者は半分程度にも届かないものだが。

 それ以上なら、全滅と言う。


 孤立して、敵に包囲されて。

 そういう状況なら全滅することも有り得るだろう。降伏しない限りは。

 今の状況で、イスフィロセ軍がそんな事態に陥るはずがない。


 影陋族側が全滅したというのならわかる。

 降伏などしないだろうし、大軍に飲み込まれ最後の一匹まで殺されたとしても不思議はない。

 その逆など有り得るか。信じられない。



 信じられないが、視界に映っていたものと符合する。

 列を作り大地に倒れる味方の兵士たち。


 影陋族の部隊と接触した時点で、一合の下に殺されたように。


 第一波が。そして続いた第二波が。

 敵をろくに消耗させることも出来ず、その場で並んで死んだというのか。



「あまり多く逃がすと後が面倒ね」

「ウヤルカ達が追ってる。エシュメノも急ぐ……けど、アヴィ?」


 幼い少女のような声が疑念を示した。



「なんでそこの下の人間、生きてるんだ?」


 ボニートの息が止まった。


「……気付かなかった」


 なら、そのままで通り過ぎてくれたのなら。



「ひ、いぃ……」


 近付いてくる足音から逃れようと味方の死体から這い出る。

 死体の山から這い出そうとするボニートの腰帯が、死体から突き出た何かに引っ掛かって引き留めた。

 お前も来いと言うように。


「ああぁ、うあ……」


 振り払い、逃げようとするボニートだが、もう間に合わないことは明白だ。



「ちょうどいいわ」


 美しい声に耳を奪われ、目を奪われた。


「聞きたいことがあるの」


 ボニートは幸いなのだろうか。

 今日のボニートは、もしかしたら本当に幸運なのかもしれない。



 女神だ。


 たぶんこれは女神と、女神の連れた軍勢だ。

 死神の軍勢。逃れられぬ死の大波。

 今まで生きてきて、これほど美しいものを見たことがなかった。


「どういう気分、かしら?」

「は、は……」


 女神が歩み寄る。ボニートの前に。

 絶対の死を届けようと女神自らが。



「どうしようもない力で滅ぼされるのって、どんな気分?」



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