第四幕 005話 攻め手、守り手_1
イジンカの港町はイスフィロセの構える最北端の町だ。
大陸西部北寄りの湾になった内側にあり、嵐の時などでも波がある程度軽減する。流れてくる流氷も海流の為にこの湾には流れ込まない。
これ以上北に進むと、冬に海が凍り付いてしまう。港を構えるならここが最適だった。
南にいけばまだ二つ大きな港町があり、本国への物資輸送はイジンカの役割ではない。
最北端。影陋族との戦いの最前線。
戦いという認識とは違う。
大陸南部全域でほぼ狩り尽くしてしまった影陋族を、新たに捉えてその財を奪う拠点。
これ以上北に拠点を作るのは難しかったが、イジンカの役割はうまく嵌まって八十年以上の歴史を重ねて来た。
影陋族が湧いてくる。
攻め入るイスフィロセに対抗する為、影陋族は北部から集まってきた。
それらと戦いながら、捕らえて売り払う。
イスフィロセ単独でこの町を作り上げるのは困難で、その時点で大きな富を持っていたミルガーハ家からの融資があった。
捕らえた影陋族の売買でミルガーハも潤う。お互い様ということだ。
近隣の宝石鉱山なども誰に邪魔されるでもなく採掘できたし、海産物と湿地から繋がる水源で農産物にも不足しない。
人が暮らすのに十分な恵みがあった。冬の厳しい寒さを除けば悪い土地ではない。
戦いではない。
戦いとは、戦力差があっても双方に攻め合うものだろう。
イジンカ守備兵の中隊長を務めるボニートは、二十年の務めの中で影陋族から攻められたことは一度もない。
いや、一度だけあったか。
攻められたというほどでもないが、襲撃があった。
三年ほど前に、少数の影陋族が町に襲撃してきたことが。
イジンカと影陋族の拠点であるサジュとの間には、いくつかの集落がある。
潰した集落の生き残りが、仲間を取り戻そうと無謀な強襲を試みた。
当然失敗。この町の構造も知らなければ数も少ない。成功の見込みなど最初からないもの。
イジンカの住民の数は七万人だが、兵士は三万人という異常な割合になっている。
南のスラー、サキルクの港にはそれぞれ二十万を越える住民がいて、近隣の小さな町や農村などを含めれば二百万近くの人間が暮らす。
そちらの常駐兵員が一万ずつということを考えれば、イジンカの兵力は非常に多い。
最前線なのだから当然なのか。
兵士も軍船の教練ついでの漁をしたり、鉱山近くの魔物などを狩って食料を得ることもあるが。
ボニートが戦場に出るのは久しぶりだ。
過去に何度か影陋族居留地への作戦に参加したことはあるが、戦場は久しぶりだ。
防衛戦となれば初めてだった。
「なに、心配することはない」
ボニートは中隊長だ。初めてだからとおろおろする姿を見せられない。
経験がないことだとしても知っているかのような物言いをする。
「敵の数は二千程度。影陋族共の最後の悪足掻きだ」
遠征軍から戻ってきた数を含めて、イジンカの兵力は二万以上。敵の十倍だ。
「向こうから来てくれるってぇなら、魚が船に飛び込んでくるようなもんだ」
「影陋族どもの兵士は半分が女って本当っすか?」
部下の一人が、鼻の孔を膨らませて訊ねて来た。
「おお、連中年を食うのが遅いから案外若く見えるぞ」
これは事実だ。
元々非力な種族の為か、筋力の男女差が少ないのかもしれない。
少ない中で更に割合の少ない戦いに向いた者も、男女の比率がほぼ均等。
「若く見えても母ちゃんと同い年だったりなぁ」
「下手すりゃ婆ちゃんだぜ」
わははっ、と笑いが起きた。
ボニート以外の部隊でも似たようなものだ。
戦いを前に緊張をほぐそうとするのか、ただ怖れを誤魔化そうとしているだけか。
誰もが初めての経験で不安を抱えている中で、戦う意欲を失わないように。
「捕まえりゃ、しばらくは軍で好きにしてもいいだろうよ」
「そりゃあいい。娼館のしなびた影陋族にゃ飽き飽きだ」
「活きがいい跳ねっ返りってのはおもしれえ」
イスフィロセは海洋国家だ。
ロッザロンド北西の半島と諸島群からなる海洋国家。
その気性は、発祥となった海賊気質の色が強い。
船の上では大声が飛び交う。小声では掻き消されてしまうのだし。
日常的に声が大きく、荒々しくなりがちな人柄。
環境がそうした性分を作りやすく、お上品な者は少ない。
兵士にはちょうどいい。
多少無茶をやっても腕っぷしでうまいものを得ようと。
「おいおい、震えてんのかよ?」
「ちびってんじゃねぇのか」
全員が同じなわけではない。雰囲気の違う者もいる。
「しゃあねえって、こいつぁ遠征軍で痛い目に遭ってんだ」
「いつまでもビビッてんなよ。ここはイジンカだぜ」
「あ、あぁ…」
ボニートの部隊に回された遠征軍の帰還兵。
春先に影陋族の拠点に攻め入り、反撃の奇襲を受けて逃げてきた兵士だ。
怪我をしているわけでもない。帰って来たのなら再編成される。
「影陋族どもの土地じゃあ知らねえが、調子に乗ってここまで攻めてくるってんなら返り討ちだぜ」
「おおよ。たかが二千ってんなら大したこたぁねえ」
敵の土地で奇襲を受けたのだから、敗れることもあるだろう。
元々強引な作戦だった。それでも一度は町を占拠したのだから、敵の戦力の底は見える。
重要拠点を奪われて、慌てて全力で取り戻しにかかった。
北部から総動員して戦ったのだろう。そして町を奪い返された。
影陋族からしてみれば大勝利。過去にない。
勢いづいた連中が勝利に酔って、戦力差を考えずにここまで攻め寄せた。
元より、あまり戦略などなさそうな戦い方をする。
町を取り戻す戦いで既に半数以上失ったのではないか。その状態で勢いに任せた進撃。
頭の悪い蛮族のやりそうなことだ。獣に近い。
ボニートも敵の進撃を聞いて最初は驚いたが、中身を聞いて驚きの方向が変わった。バカじゃないのかと。
影陋族は人間ではない。なるほど、商人どもの言う通りか。
「でぇ、影陋族の町じゃあうまい目見たのか?」
「あ、まぁな、そりゃあ……へへ」
憂鬱そうだった帰還兵が、下卑た話を振られて鼻の下を伸ばす。
「初々しいのがけっこういたし、隊長も愉しんでたからなぁ」
「ちっくしょう! 俺も行きたかったぜ」
「お前だったらヤってて奇襲に気付かねえだろ」
「ヤりながら死ぬなら悪くねえ。せっかくなら初物だな」
馬鹿な笑いが湧いた。
あちこちの部隊から嗤い声が。
その声に呼ばれたように、湿地の遠くが揺れた。
湿地帯。沼というほどでもないが、草原のあちこちにぬかるみがある。
所々に木々の茂みもあるが、さほど深いものではない。見通しは悪くない。
敵より圧倒的に数が多いのだから、見晴らしのいい場所で迎え撃つ。
イジンカの町近くの湿地。
このカナンラダでも夏の日差しがあれば水蒸気で大気が揺らめく。
それでも遠くまで見通せるこの場所でなら、奇襲作戦など不可能だ。
少なくとも、一定数以上の部隊なら動きを見逃すことなど有り得ない。それ以下の数人で奇襲など意味もないだろう。
「おいでなすったぜ」
「ああ、馬鹿な連中がな」
二千の影陋族を迎え撃つイジンカ全軍二万超。
正面からぶつかってこれを打ち破るなど、全員が上位の冒険者並みの人員でも揃えなければ不可能だ。
その上で、イジンカの軍幹部はさらに用心していた。
万全を期しての作戦行動。
「うちの出番は六番目だ。それまでに奴らが逃げ出すかもしれんがな」
「そんときゃ逃げる奴の足を後ろから撃つぜ」
一度に交戦できる人数は限られている。
敵の数は二千。その全てが一列に前面に出ているわけでもない。
影陋族の戦士がそれなりに強いことは知られている。それらを削り殺す。
千人の部隊でぶつかり、交代して後ろからの二陣、三陣と。
繰り返す波のように新しい部隊がぶつかれば、岩が波で砕けるように敵も崩れる。
疲労すれば力を発揮できないのは勇者でも英雄でも変わらない。影陋族の精鋭とてそれは同じこと。
六番目とは、なかなか良い具合だ。ボニートは自分の運に感謝した。
一番手二番手では敵の勢いも強いだろう。六番手くらいなら、だいたい敵が崩れる頃合いではないか。
死ぬ可能性の低い順番。
その上で、自分の配置は全体の右寄り。中央側だと混戦の中で後ろとの交代もやりにくい。
幸運だ。
イスフィロセ風に言えば、良い波がボニートを運んでいる。
今の流れに乗れば戦功を挙げて出世することも、うまいモノにありつくことも出来そうだ。
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